2016年11月26日

今年も健軍商店街に行ってきた

今日は、父に代わり愚息が書いていきたいと思います。

打ち込んでるのは、毎回私なのですが…。

さて、11月20日に私は健軍商店街に行ってきました。

19日から健康フェア&健軍よかもん市が開催されていて、それに参加したというわけです。

健軍と言えば、熊本地震で被害が大きかった地域であり、その爪痕は未だに残っていました。



アーケードの天井は修理中ですね。サンリブは、取り壊されていました。



こんな感じで、売り出しの準備をする。我々産直隊のメンバー。


イベントの内容は、まず最初に開会と子供神輿がありました。



かなりの人の数でした。というより、子どもたちが多い。

やっぱり都会だなと思いました(小並感)。





あとは、フラダンスがあったり、ゴスペル音楽があったり、吹奏楽の演奏があったりと、にぎやかでした。



最後は、琉球國祭り太鼓があって、イベントも終了です。

前回のブログ記事の通り、父たちは、本渡の天草マラソンの方にいっており、健軍商店街は我々と、二手に分かれての販売でした。

父たちに負けじと、頑張って販売してきました。



昼ご飯は、商店街内にあるラーメン屋で食べました。

300円は安い。これだけは伝えておきたかった。

  


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2016年11月21日

天草マラソンと番外編

昨日、第11回天草マラソン大会が行われた。

心配された天候も、曇り日和で暑くもなく寒くもなく、絶好のマラソン日和だ。

毎年、本渡陸上競技場が、スタートとゴール地点だったが、今年は大矢崎の緑地公園で行われた。初めてである。

出店業者は7時~8時までに搬入するよう通達された。

ハーフマラソンは、9時に天草信用金庫の本店前からのスタートだった。



我々業者も準備万端整え、決戦に備えた。

ハーフマラソンの1位のランナーがゴールしたころまでは、人はまばらだったが、次々にゴールした者が入ってくると、広い会場は人、人、人にあふれて来た。




さー我々も戦闘開始である。フルマラソンの選手がゴールする前に、ハーフマラソンの表彰式が行われた。その後、餅投げも行われた。





番外編

去年は、猫ひろしが招待選手として走ったが、今年は猫も犬も招待選手はいなかった。

だが、色々のコスプレの選手がいた。その選手たちを2,3紹介しよう。







とてもユニークである。

「スポーツは勝つことではなく、参加することに意義がある。」

皆さんご苦労様でした。  


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2016年11月19日

告知

明日は、天草マラソン大会と、健軍商店街の2か所に販売に行きます。

よろしくお願いします。  


Posted by 貝川蒲鉾店  at 22:41Comments(0)

2016年11月18日

送り人とスーパームーン

11月13日、嫁の父が亡くなった。御年93歳であった。

2年半の入院生活だった。

とても穏やかな人で、孫たちにもとても優しかった。

私の両親は20年前に亡くなっている。

親を持つ子供にとっていつかは来ることだと思っていた。

送り人の現実が今おとずれた。

ブログに掲載することは、不謹慎とは思っているが、あえてお許しを願いたい。







生あるものは、いつかは死がおとずれるが、親には最後の仕事がある。

死ぬという事はこういうことだぞと、自分の死をもって伝えることだ。

お通夜の斎場は、満席だった。義父の人柄が偲ばれる。

ご冥福を祈るだけだ。



その翌日、スーパムーンが見られた。とてもきれいだった。




なぜ人は今も昔も月を見て感動するのだろう。

次に見れるのは、18年後だという。

その時まで生きていたら、このブログをまだ書いているでしょう。

フォークのシンガーソングライターに加川良という人がいる。

教訓1の一節に「命は一つ、人生は一回、だから、命を捨てないようにね」とある。  


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2016年11月10日

久玉小3年生体験学習に来る

昨日、久玉小の3年生が、工場見学に訪れた。

先週、担任の先生から、授業の一環として、工場見学をさせてもらえないかというTELがあり、少し考えたが、うまくスケジュールを合わせることが出来たので、OKした。

9時半すぎた頃、22人の精鋭達が工場前に顔を見せた。



ますは、工場の中に入ってもらい、現場の仕事の様子を見てもらった。それから外に出て蒲鉾作りに対しての質疑応答に入った。




おいしく作るには、どうしていますか?

値段はどうして決められているのですか?

蒲鉾を作るときは、どういう時が辛いと思いますか?等々

矢継ぎ早にに質問が飛んで来る。たじたじである。

ど素人の大人は、口先でいなせるが、子どもには嘘は教えられない。

その後、体験学習に入った。

蒲鉾にチーズを入れて丸くまるめる作業を体験してもらった。







皆、悪戦苦闘ではあったが、笑顔で楽しく作っていた。

先生にも体験してもらった。

皆が物作りの楽しさ、苦しさを知り、少しでも将来の自分に役立ってくれれば幸いである。

午後3時頃、出来上がったみんなの手づくりチーズ入りくんせい蒲鉾を小学校に届けた。

その日の夕方、米国大統領選の一報を聞いた。

愕然と来た。ヒラリー氏はトランプ氏がジョーカーを持っていることを知らなかったかもしれない。  


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2016年11月01日

三度益城へ

熊本震災から半年になる。10月20日頃と思うが、益城町商工会の婦人部長から

「貝川さん、今月の30日にイベントをするから、是非来てもらえないか。」というオファーを受けた。

「魚が食べたい」という事だ。

すぐ、我々産直隊は出店者を募った。三業者が行くことになった。秋祭りだという。

初めての試みで、益城復興市でイベントをしようと企画したそうだ。牛深ハイヤ踊りも是非という事でした。

ハイヤ踊りの桃の会にお願いして、「今日はボランティアで出演してもらえないか」と桃の会の会長にお願いしたら、

「今こそ益城町に恩返しせねばならない。」と快諾してもらった。思う気持ちは一緒だった。

「ありがたい」牛深の心意気を伝えたい。

その情景をご覧いただこう。










ハイヤ踊りは、午前1回、午後1回と2回公演だった。



現場は、地震の爪痕もまだまだ残っている黒潮市場の敷地内です。皆さんで、道中踊りを踊った。

きっと楽しい思い出になったに違いない。

その後ステージでは、カラオケ大会になった。









帰り際、商工会の婦人部長、富澤さんと記念写真を撮ってもらい帰路についた。

10月31日、今日で避難所が終わりになるという。追い出された人々は、これから冬が来るというのに、路頭に迷われる方もいるだろう。

あてになるようであてにならないのが行政である。自分たちの町は自分たちで結束して少しずつ立ち上がる以外にはないだろう。

その為にも、要請があれば、我々はいつでも支援を惜しまない県民ならましてや!



  


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