2025年03月09日

木山初市最終回

「冬来たりなば春遠からじ」暦の上では春だが、まだまだ寒い日が続いている。奈良東大寺の二月堂のお水取りは、3月12日である。それが終わらないと本格的な春は来ないらしい。

3月1日と2日は益城町の木山初市だった。ここに出店するようになってから、18年近くになる。その間いろいろな人と出会い、知り合いになったり仲間になったり、沢山の人脈ができた。
18年の間には、私も嫁も大きな手術をし現在に至っているが、歳も70歳越えるとあちこちとガタがきて泊りがけのイベントがきつくなってきた。
今年を最後に、お世話になった皆さんにお礼がちら行くことにした。
朝から曇っていたが、イベント会場に着くと晴れて来てテントの中まで日が差し込んできた。陳列していた商品に日が当たって来たので、売り台を後ろに下げた。ステージで催しが始まった。
我々の店にもお客さんが入れ代わり立ち代わり買いに来てくれた。
そして毎年たくさん買って下さる古賀先生が来られた。
この人は昔、牛高の教員をしておられた。その頃私が、石酔会の幹事をやっていた頃、一緒に碁を打ったり、飲んだりした仲間だった。
熊本地震前までは、ここ木山通りの中央に木山座があった。先生が私の所の蒲鉾を買ってくれ、「ちょこっと打って行かんね。木山座の2階で今碁会をやっているから。」と言って、オレを引っ張っていかれた。
木山座の前では、婦人部が『市だご』を販売していた。そこにはずらっと行列が出来ていた。それを横目に二階へ上がり、先生が紹介して下さり、打たせてもらった。当時は五段で打ったのだが、次々と向かって来るのだが、みんなやられる。院生くずれとか、六段が向かって来るけど、負かしてしまった。「オーイ、県代クラスのだれだれさんを呼んでこーい」とあたかも道場破りが来たような騒ぎだった。
「あッ、俺はここには仕事で来てたんだ。」と我に返り、急いで仲間のテントの所へ帰った。
「あんた、いつまでしといと、仕事はほったらかして。」嫁はご立腹だった。
今年もたくさん買って頂いた。「先生、今年で最後になります。記念に写真をお願いします。」と言って、撮らせてもらった。

木山初市最終回

今年も、「釣りはいらん」と言って、一万円を置いて行かれた。
ステージでは、ペルーの音楽が演奏されていた。
「コンドルは飛んで行く」この曲は好きである。 本場の人達が演奏してるかと思ったが、日本人だった。

木山初市最終回

レポーターの樫山結さんが私のテントの前で蒲鉾を紹介してくれた。

木山初市最終回

また、お客さんもテレビ見ましたという人が多くいて、今年は今までで一番売れたようだ。

木山初市最終回

夕方帰り支度をしていたら、雨が降り出した。その日は男の隠れ家、ビジネスホテル「こめや」に泊まった。4時ごろこめやに電話を入れた。「今日は私の誕生日なので、刺身とかできますか?」と、「今日はあいにくお客がいっぱいで、手が回りません」との返事だった。仕方ないか。こめやにも手土産をもってチェックインした。
夕食時間になったので、食堂に行ってみると、「今日はすみませんネ。誕生日の方はどちらさんですか。」と「私です」と言うと、「鶏の唐揚げを多めにしときました。」と言って3人分持って来られた。
一瞬、我々は目が点になり、言葉を失った。気を失いそうになった。息子が言った。「この人は宗教上の理由で、鶏肉と豚肉は食べないんですよ。」と、女将さんには気の毒ではあったが、食べれないものは食べれない。
「カキとナマコがありますが、どちらがいいですか」「カキでお願いします」それから、ウナギの竜田揚げも出して下さった。
少し気を良くし、3人で74歳の誕生日を祝った。

木山初市最終回
木山初市最終回

その日は若女将が休みだった。おられたらオレの好みは知っておられたものを。
翌日、朝から少し雨が降っていた。朝食を食べている間には止んだ。昼から晴れ上がり、木山座の前は人だかりだった。

木山初市最終回

ステージでは餅投げならぬ、豆投げがあっていた。

木山初市最終回

古賀先生、お茶の富澤さん、清水の親分、商工会の担当者にお別れの挨拶をし、来年からは息子たちが来ますが、これまで同様よろしくお願い申し上げます。長い間有難うございました。

追伸
♪明かりをつけましょボンボリに、お花を上げましょ桃の花♪
孫娘のひな祭りが質素に行われた。
 木山初市最終回
木山初市最終回



Posted by 貝川蒲鉾店  at 21:55 │Comments(0)

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