2025年04月08日

春眠暁を覚えず

中国の漢詩に春暁(孟浩然)がある。

春眠不覚暁(しゅんみんあかつきをおぼえず)
処処聞啼鳥(しょしょていちょうをきく)
夜来風雨声やらいふううのこえ)
花落知多少(はなおつることしるたしょう)

春の目覚めは、何と心地よいものだろうか、夜が明けたことも気が付かなかった。あっちこっちから鳥のさえずりが聞こえてくる。それにしても昨夜の風雨はすごかった。多くの花々が散ってしまったことだろう。
我家の植木鉢もにわかに色めき立って来た。今年の蘭の花は今までで一番咲き誇っている。

春眠暁を覚えず
春眠暁を覚えず

何の手入れもせず、水だけやるだけで、これだけ栄えるとは、すごい生命力だ。もう7,8年以上になるかな。
嫁が、友達から誕生日のプレゼントに、毎年もらっては枯れかすので、「あまりにも花が可哀想じゃないか、工場に持ってこい」と言って、毎日水をやることになった。
本当は植木とか草いじりは趣味じゃない。そのお礼だろ、毎年この時期になると、きれいに咲いて心を和ませてくれる。
工場に来た人が、「うわっ、綺麗に咲いている。どうしたらこんなに咲くのですか。うちのは全然咲かん。」とそう尋ねられたら、言ってやるんだ「愛情が足らんと。」

3月16日はキビルフェスタが長島と牛深の会場で行われた。牛深は海彩館の広場で行われた。
うちの看板娘も応援に来てくれた。

春眠暁を覚えず
春眠暁を覚えず

フェリー代が往復500円だったので、長島からのお客さんもたくさん買ってくれた。

3月19日は嫁の誕生日だった。その日はとれたて市場の商品が欠品していたので、次男と二人で納品に行くことになった。
「今日は嫁の誕生日だから刺身でもとれたて市場から買って来よう。」と思って、店内の川床鮮魚に電話をかけた。
「2000円の刺身を作っとって下さい。」と奥さんに頼んだ。
とれたて市場の納品を終え、川床さんの所へ行った。
「今日は何事ですか。」と言われ「今日は山神の誕生日です。日頃の罪滅ぼしに刺身でも買って行こうと思って。」と言ったら、「ちょっと待っとかんな、魚のアラば奥さんに持っていかんな」と言って、冷蔵庫から持ってきてくださった。「ウワアーありがとうございます。これを見せたら嫁もきっと草場の影で喜ぶ事でしょう。」
事情通「オイ、オイ、まだ生きているんだぞ。」
帰りに、コスモスに寄って、酒を買うことにした。そしたら、香露と剣菱と霊山の3種類しかなかった。仕方がない。お神酒に香露、阿蘇の酒『れいざん』を各1本ずつ買った。
本来なら嫁の手を煩わせず、店を貸切、一席設けたいのだが、緊縮財政の為、今回は我慢してもらう事にした。
「お誕生日おめでとう」の乾杯をし、川床さんの刺身を食べた。

春眠暁を覚えず
春眠暁を覚えず

ゴリゴリして歯ごたえがいい。それを『れいざん』で流す。
吟醸酒に口が慣れているせいか、味はいまいちだった。

3月21,22,23日と3日間、熊本北区の農畜産市場you+youで天草フェアーが行われた。

春眠暁を覚えず
春眠暁を覚えず

天草市の主催だった。今回は長男と次男の精鋭部隊が行くことになった。前もってチラシを打ったせいか、まずまずの戦果を上げることが出来た。
「テレビを見ました」という人もいた。市の職員も売り上げに貢献してくれたことも嬉しかった。

3月30日は、37年目の結婚記念日だった。
この日も家族だけで祝うことにした。
鯛の刺身に、サラミ入りのポテトサラダ。メインの「肉豆腐」、それに白ワインの『マドンナ』を傍らに、オレの好きなものばかりで豪勢じゃないか。本当は「酒池肉林」の方が好きだけど、嫁と37年間ご苦労さんの乾杯をし、マドンナで口を潤した。

春眠暁を覚えず
春眠暁を覚えず
春眠暁を覚えず

もうこの年になると、結婚記念日と言っても感動も何もない。何かにかこつけて飲むだけのオッサンになってしまった。
外に目をやると今桜が満開である。
河浦の桜坂碁会所の前は桜が見頃であった。碁会の帰りに小川さん、嶋津さんと3人で記念写真を久保さんに撮ってもらった。

春眠暁を覚えず
春眠暁を覚えず


後で写真を見てみると、「しまった、差し歯が抜けているのを忘れてた。」後の祭りである。おかしくって歯無しにもならない。
一二祐介、吉田一久、二人の親友は先に散ってしまった。15年前までは、桜の木の下で酒を片手に碁を打っていたものである。
散る桜、残る桜も、散る桜



Posted by 貝川蒲鉾店  at 22:26 │Comments(0)

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。