2025年01月16日
国士無双
遅まきながら、新年のご挨拶を申し上げます。
まずはまご娘ツムギのご挨拶から。

「皆さん明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。」
元旦は家族が集まり、みんなでお屠蘇を飲み、食事をするのが正月のならわしである。


『久保田』を傍らに置き、数の子や刺身を肴に飲む酒は格別である。ツムギもみんなからお年玉をもらってご満悦だった。
まだお年玉の意味はわからないだろう。料理にも関心がなく、スマホの動画に見入っていた。

午後過ぎたら、亀浦、崎津のそれぞれの嫁の実家に新年の挨拶に行くと言って帰って行った。
しばらくテレビを見てくつろいでいたら、電話がかかって来た。「アッこれはひょっとしたら床屋さんかも。」着信を見たら、やっぱり。
「今何ばしよいと?」「電話ばしてます」「そいはわかっとい。よかったら一局教えてもらえないでしょうか」と、「出て来いと言われれば、行かないが、教えてくださいと言われると行かざるを得ない。」ちょっと待てよ、去年の正月も出て行って袋叩きにあったな。オレは酔っぱらって、相手は素面だったからなァー。今年もそう思っておられるに違いない。碁敵に背中を見せるわけにもいかない。「よし、馬をひけー」

結果は、1勝2敗で負けたが、年の差は11歳もある。85歳の方と、正月でも遊んでもらえるという事は、囲碁冥利に尽きる。
1月3日、牛深八幡宮に初詣に行くのが我が家のならわしである。ツムギは相変わらず境内を所せましと走り回っていた。
家内安全、商売繫盛、無病息災、交通安全を祈願し、お祓いをしてもらった。最後、お神酒を頂き、神事は終わった。



みんなで記念写真を撮って、正月の行事は終わった。
一方、ツムギ達の正月三が日はというと、元日は午後から崎津、2日はうちの嫁の実家亀浦へ新年の挨拶に行った。
嫁の弟の次男坊とその子供が帰ってきていた。ツムギはその子供たちと直ぐ打ち解けて、一緒に遊びまわった。


♪お正月には凧揚げて~コマを廻して遊びましょう~♪
という唱歌があるが、本物の凧揚げなんてツムギは初めてだろ。


みんなで凧揚げしたり遊んだりして、昔の唱歌の風景そのままだ。田舎にはその素朴さがまだ残っている。
正月三が日間は天気にも恵まれ、良い正月日和だった。
また年末は各方面からいろいろな贈り物を頂き、有難うございました。北海道からはラーメンセットと酒、奈良からは柿、嶋津ご住職からは「月桂冠の大吟醸」、亀浦の弟からは、「瑞鷹」とこの場を借りて厚くお礼申し上げます。




特に北海道からの酒は「国士無双」という酒だった。

思えば私たちが作っている「くんせい蒲鉾」は70年前から作られている牛深伝統のくんせい蒲鉾の味を後世に伝え、残していくために日夜努力精進している。おそらく世界中または、日本全国探しても無い蒲鉾であると思っている。
我々は蒲鉾業界の国士無双であり続けなければならない。
来年から後期高齢者の仲間入りするが、生き残るためのしっかりとした布石を敷き、人から一目置かれる存在になりたいと思っている。
大器晩成未だ成就せず、凡器をいだきやすらかに生く。
今年もつたない小欄をよろしくお願い申し上げます。
まずはまご娘ツムギのご挨拶から。

「皆さん明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。」
元旦は家族が集まり、みんなでお屠蘇を飲み、食事をするのが正月のならわしである。


『久保田』を傍らに置き、数の子や刺身を肴に飲む酒は格別である。ツムギもみんなからお年玉をもらってご満悦だった。
まだお年玉の意味はわからないだろう。料理にも関心がなく、スマホの動画に見入っていた。

午後過ぎたら、亀浦、崎津のそれぞれの嫁の実家に新年の挨拶に行くと言って帰って行った。
しばらくテレビを見てくつろいでいたら、電話がかかって来た。「アッこれはひょっとしたら床屋さんかも。」着信を見たら、やっぱり。
「今何ばしよいと?」「電話ばしてます」「そいはわかっとい。よかったら一局教えてもらえないでしょうか」と、「出て来いと言われれば、行かないが、教えてくださいと言われると行かざるを得ない。」ちょっと待てよ、去年の正月も出て行って袋叩きにあったな。オレは酔っぱらって、相手は素面だったからなァー。今年もそう思っておられるに違いない。碁敵に背中を見せるわけにもいかない。「よし、馬をひけー」

結果は、1勝2敗で負けたが、年の差は11歳もある。85歳の方と、正月でも遊んでもらえるという事は、囲碁冥利に尽きる。
1月3日、牛深八幡宮に初詣に行くのが我が家のならわしである。ツムギは相変わらず境内を所せましと走り回っていた。
家内安全、商売繫盛、無病息災、交通安全を祈願し、お祓いをしてもらった。最後、お神酒を頂き、神事は終わった。



みんなで記念写真を撮って、正月の行事は終わった。
一方、ツムギ達の正月三が日はというと、元日は午後から崎津、2日はうちの嫁の実家亀浦へ新年の挨拶に行った。
嫁の弟の次男坊とその子供が帰ってきていた。ツムギはその子供たちと直ぐ打ち解けて、一緒に遊びまわった。


♪お正月には凧揚げて~コマを廻して遊びましょう~♪
という唱歌があるが、本物の凧揚げなんてツムギは初めてだろ。


みんなで凧揚げしたり遊んだりして、昔の唱歌の風景そのままだ。田舎にはその素朴さがまだ残っている。
正月三が日間は天気にも恵まれ、良い正月日和だった。
また年末は各方面からいろいろな贈り物を頂き、有難うございました。北海道からはラーメンセットと酒、奈良からは柿、嶋津ご住職からは「月桂冠の大吟醸」、亀浦の弟からは、「瑞鷹」とこの場を借りて厚くお礼申し上げます。




特に北海道からの酒は「国士無双」という酒だった。

思えば私たちが作っている「くんせい蒲鉾」は70年前から作られている牛深伝統のくんせい蒲鉾の味を後世に伝え、残していくために日夜努力精進している。おそらく世界中または、日本全国探しても無い蒲鉾であると思っている。
我々は蒲鉾業界の国士無双であり続けなければならない。
来年から後期高齢者の仲間入りするが、生き残るためのしっかりとした布石を敷き、人から一目置かれる存在になりたいと思っている。
大器晩成未だ成就せず、凡器をいだきやすらかに生く。
今年もつたない小欄をよろしくお願い申し上げます。
2025年01月07日
年末かく戦えり(後編)
前半がまだの方はこちら
「新年の挨拶は、次回ゆっくりさせてもらうという事でお許し下され!」
12月4日、あの男が帰って来た。カナダからのカウボーイだ。半袖を着て少しポッチャリとしている。「寒くはないかい」と聞くと、カナダからすると日本はまだ暖かいそうだ。カマボコをいっぱい買ってくれた。

3月いっぱい、レストラン『うみそら』をやっているそうだ。大矢野を通られることがあったら、時間があったら、ぜひ立ち寄って下さい。
12月5日、2週間前位から、右ひざの所に違和感があった。どうにも我慢できず、市民病院の整形に行った。
「どうされました?」と看護婦が尋ねた。「足がパンパンに張って水が溜まっているみたい。」と言うと、「すぐレントゲンを撮ります。終わった待合室で待っていて下さい。」「今日は少ないから直ぐ先生に診てもらえますよ。」
診察室に呼ばれると、「足を見せてください」診察台に仰向けに寝て、右足を見せた。「アッ、水が溜まっている。抜きましょう」と言って、注射器2本分抜いてくれた。オレが「金は貯まらず、水ばっかり溜まるなァー」と言うと、みんな苦笑した。レントゲンの結果「ひざの軟骨が炎症を起こしている」と説明してくれた。
12月14日、12月の年金支給日は15日が日曜日の為、13日に前倒しで支給された。いつも年金日に久玉のグリーントップで売り出しがある。年末だったので、14,15日の2日間、売り出しがあった。
「餅と一緒に送る」とか「ミカンと一緒に送る」とか、「お歳暮で送ってくれんかなァー」とかで、盛況だった。グリーントップの売り出しの中では過去最高を記録した。
また、15日はツムギのお遊戯会が保育園であった。
12月に入って休みがなかったので、この日は仕事を休みにした。
ツムギと男の子とで開演の挨拶をすることになっていた。見に行きたかったが、グリーントップの売り出しがあった為行けなかった。


でも今はスマホの動画で見れるから、便利な世の中になったね。
12月20日、河浦囲碁部会の12月の月例会があったが、私は仕事で参加できなかった。が、夜の忘年会には出席させてもらった。例によって、居酒屋『ナベちゃん』で行われた。
今回は、牛深から、野田さんが初参加された。野田さんの乾杯の音頭で始まった。今回はオレ、嶋津先生、出永さんを除くとみんな役所出の方々で、碁より役所対抗のスポーツ関係の話に花が咲いた。

その後、ハイヤ節の話になり、溝口さんが野田さんに「ハイヤ節を唄ってくれ」と言い出された。「いや、ハイヤ節は難しくて誰でもは唄えんとさな」と返し、オレも「素人では、唄いきらんもんな」と言って、「磯節なら唄えるばってん」と言ったら、「ぜひ、唄ってくれー」と言われたが、まだ素面だったので、断ったのだが、一発唄ってみても良かったかなァーと後で思った。

最後に五段以下の人達は、皆、来年から一段昇段することが決まった。これからも段に恥じないよう精進されることを切望します。
12月24日、市民病院の整形に2度目の水を抜きに行く。この頃は疲れがピークに差し掛かり、朝起きるのも嫌になって来た。
12月29日、燻製機の中の火を消した時はホッとした。注文の品は全部発送してしまい。売り損なうことはなかった。
こうして年末の戦いは無事終わった。みんな、よく頑張った。来年は機械、機具の異常の無いことを祈る。
「新年の挨拶は、次回ゆっくりさせてもらうという事でお許し下され!」
12月4日、あの男が帰って来た。カナダからのカウボーイだ。半袖を着て少しポッチャリとしている。「寒くはないかい」と聞くと、カナダからすると日本はまだ暖かいそうだ。カマボコをいっぱい買ってくれた。

3月いっぱい、レストラン『うみそら』をやっているそうだ。大矢野を通られることがあったら、時間があったら、ぜひ立ち寄って下さい。
12月5日、2週間前位から、右ひざの所に違和感があった。どうにも我慢できず、市民病院の整形に行った。
「どうされました?」と看護婦が尋ねた。「足がパンパンに張って水が溜まっているみたい。」と言うと、「すぐレントゲンを撮ります。終わった待合室で待っていて下さい。」「今日は少ないから直ぐ先生に診てもらえますよ。」
診察室に呼ばれると、「足を見せてください」診察台に仰向けに寝て、右足を見せた。「アッ、水が溜まっている。抜きましょう」と言って、注射器2本分抜いてくれた。オレが「金は貯まらず、水ばっかり溜まるなァー」と言うと、みんな苦笑した。レントゲンの結果「ひざの軟骨が炎症を起こしている」と説明してくれた。
12月14日、12月の年金支給日は15日が日曜日の為、13日に前倒しで支給された。いつも年金日に久玉のグリーントップで売り出しがある。年末だったので、14,15日の2日間、売り出しがあった。
「餅と一緒に送る」とか「ミカンと一緒に送る」とか、「お歳暮で送ってくれんかなァー」とかで、盛況だった。グリーントップの売り出しの中では過去最高を記録した。
また、15日はツムギのお遊戯会が保育園であった。
12月に入って休みがなかったので、この日は仕事を休みにした。
ツムギと男の子とで開演の挨拶をすることになっていた。見に行きたかったが、グリーントップの売り出しがあった為行けなかった。


でも今はスマホの動画で見れるから、便利な世の中になったね。
12月20日、河浦囲碁部会の12月の月例会があったが、私は仕事で参加できなかった。が、夜の忘年会には出席させてもらった。例によって、居酒屋『ナベちゃん』で行われた。
今回は、牛深から、野田さんが初参加された。野田さんの乾杯の音頭で始まった。今回はオレ、嶋津先生、出永さんを除くとみんな役所出の方々で、碁より役所対抗のスポーツ関係の話に花が咲いた。

その後、ハイヤ節の話になり、溝口さんが野田さんに「ハイヤ節を唄ってくれ」と言い出された。「いや、ハイヤ節は難しくて誰でもは唄えんとさな」と返し、オレも「素人では、唄いきらんもんな」と言って、「磯節なら唄えるばってん」と言ったら、「ぜひ、唄ってくれー」と言われたが、まだ素面だったので、断ったのだが、一発唄ってみても良かったかなァーと後で思った。

最後に五段以下の人達は、皆、来年から一段昇段することが決まった。これからも段に恥じないよう精進されることを切望します。
12月24日、市民病院の整形に2度目の水を抜きに行く。この頃は疲れがピークに差し掛かり、朝起きるのも嫌になって来た。
12月29日、燻製機の中の火を消した時はホッとした。注文の品は全部発送してしまい。売り損なうことはなかった。
こうして年末の戦いは無事終わった。みんな、よく頑張った。来年は機械、機具の異常の無いことを祈る。