2021年05月28日

仲間(老人編)

舟木一夫に「君たちがいて僕がいた」という唄がある。
♪心の悩みを、うちあけ合って……君達がいて、僕がいたァー♪
この写真は、8年前の写真だろうか、(手前の黒シャツは)まだ祐の字が写っている。




テーブルの上には、ジョニー黒が置いてある。祐の字らしいや。
この人は、無類の酒好きで、特に日本酒とウイスキーをこよなく愛した。
酒のうんちくを語らせたら、牛深では右に出る者はいない。
だが、焼酎だけは、一滴も飲まなかった。
西の関、香露、越の寒梅、男山など、全国の美味い酒を飲ませてくれた。
うまい酒を飲んでしまって無くなると、台所の料理酒を引っ張り出して飲んでいたから、こだわっている割には節操がなかったみたい。
昔、まだ祐の字の親父さんが生きておられたころのエピソードが残っている。
長島の義兄が海上自衛隊に居た頃、正月休暇で帰ってきたときのこと。大晦日の晩、二人で飲んだらしい。
酒が切れて下の台所に酒があったので、二升飲んだ。
元旦の朝、親父さんが楽しみにしていたお屠蘇用の酒が無くなっていた。「ハハァーン、あいどんは、飲(や)ったばいなァー」
おふくろさんが慌てて、近所の酒屋さんを正月早々たたき起こして酒を買ってきたという。
親父さんは、怒るどころか、そんな二人を頼もしく思っていたようだ。





写真、奥から、嫁さんに逃げられた人、碁を打っている二人は、嫁さんに先立たれた人、手前二人は独身。この頃から祐の字は肝臓ガンを患っていたのだろう。平気で飲んでいたから、そんなことは全然気付かなかった。
還暦を過ぎたいい老人が、仲間の家に集まり酒を飲み、好きな碁を打ち、人生を謳歌している。
去年の10月に7回忌が終わったが、近頃毎晩夢に出てくる。
相変わらず、酒を飲んで語気も荒かった。まだ安らかに眠って無いらしい。
墓参りに来いということだろうか。
  


Posted by 貝川蒲鉾店  at 20:51Comments(1)

2021年05月20日

夢は夜ひらく

♪赤く咲くのはケシの花ー、白く咲くのは百合の花ー、どう咲きやいいのさこの私ー、夢は夜ひらくー♪

先般、母の日の前々日、行きつけの床屋さんからサツキの鉢植えをもらった。この人はサツキが趣味で名人の域に達しておられる。
そうとう投資しておられるらしい。
「俺は、あんまり赤は好かん。よかればもろてくれ。」と言って、手間ひまかけて育てられたサツキを一鉢下さった。



「立派なサツキじゃないかーありがたい。」と言って頂いたのだが、母の日を2日後に控えていたので、プレゼントを何にするか考えていたが、「そうだ、これをプレゼントにしよう」と、邪悪な考えが脳裏をかすめた。
「母の日のプレゼントにこれやるよ。店で買ったら三万はくだらない代物だぞー。」と言ったが、「ツツジはよかァ!いらん!」と一蹴された。
騙されなかった。「フン、ツツジとサツキの区別がつかない者にはやらん。」嫁も年を取ると、騙されにくくなった。
若嫁からは、小さな白いバラの鉢植えが届いた。



近頃のニュースで、コロナワクチン接種で余ったワクチンを町長や、その関係者が捨てるのも勿体ないので、打ったということが明るみに出た。当然世間から批判が出た。
その報道の中で、私の心の中で、何十年も死語になっていた『狡い(こすい)』と言う言葉を見つけた。国語辞典で引いてみる。①ずるがしこい。ずるい。②人をごまかして利益を得るような性質。とある。彼らにはぴったりの言葉だ。「何!あんたも同じ」だと、私の場合は1ランク下の『セコイ』ぐらいじゃないかなァー。ま、ご愛敬ということでお許し願いたい。

5/9母の日、前日何か食べたいものはあるかと嫁に尋ねたら、エビフライが食べたいとのことで、海彩館に行くことになった。




刺し身も半分、エビフライも一尾しか食べない。元気がないので、どうかしたのかと聞いてみる。「4時頃、小腹が空いたので、餅を食べた。」と、「なんで夕方まで我慢できないのか」と少し腹が立った。
すると帰り際、今度は足がツルと言って顔しかめる。長男が見かねて、「どらっ」と言って足を持ち上げ、ふくらはぎをマッサージしてくれた。



まったく、ここ一番と言うところで白ける女だぜ!まったくだぜ。

♪50~60~70と~私の人生暗かったー。過去はどんなに暗くとも~夢は夜ひらくー♪  


Posted by 貝川蒲鉾店  at 21:52Comments(1)

2021年05月06日

斬新なトイレ

連休の3,4,5日まで店頭販売だった。6日は県庁販売だった。
その間小欄は、工場でお留守番。
3日の月曜だけ、床屋さんから囲碁のお誘いがあり、午後から出掛けていった。
すると4時ごろ、ドッドッドッドッドッと、地響きする音がして、店の前で止まった。
小川さんが「ア、弟が来た。」と言って外に出て行かれた。
私も出てみると、バイクの王様『ハーレーダビッドソン』が止まっていた。



スゲー間近で見るのは久しぶりだ。
私も自動二輪の免許は持っているので、若い頃はバイクにも乗っていた。だが、ハーレーだけは乗ったことがない。憧れのバイクだった。
だが、今は50ccのバイクでも恐ろしくて乗ろうとは思わない。


店内で碁を打っている時は、店のトイレを使用させてもらうのだが、いつも流すとき、10数年前の県庁のトイレを思い出す。



昔から、「馬上」「枕上(寝床)」とともに「厠上(トイレ)」が、文章を練るのに最適な場所とされてきたのも、人を冷静な心持ちにさせる空間だからだろう。
ところが最近は冷静になれない空間に出くわすことが少なくない。
衛生陶器メーカのTOTOが募集した「トイレ川柳」入選作に同憂の友を見つけた。
「斬新で流すところがわからない」。県庁のトイレの中で、スイッチを片っ端から押しても水が流れない。
観賞に堪えるものではないから、外で待つ次の人を呼び入れて聞くわけにもいかず、困った覚えがある。
親切、便利を極めて、不親切、不便に至る。一事が万事、機械音痴には生きにくいご時世である。
かつての「サラリーマン川柳」を思い出す。「このオレにあたたかいのは便座だけ」
最後の砦も今や危うし。  


Posted by 貝川蒲鉾店  at 22:28Comments(1)

2021年05月04日

道の駅「みずなし本陣」の商談会

♪瓦ーの波と雲も波、・・・・・・高ーく泳ぐは鯉のぼりー♪
薫風が吹くさわやかな季節である。
4月上旬、先般、肥後本因坊天草予選で小欄で一緒に大会に出られた、木村一平元町議と今度は島原へ行くことになった。
木村さんの紹介で普賢岳の麓にある道の駅「みずなし本陣深江」に当店の蒲鉾を置かせてもらう為の商談だった。
当日は晴天に恵まれ、次男にも同行してもらった。
鬼池からフェリーに乗った。久々の船旅である。
口之津に着いたら、港が新しくなっていた。
みずなし本陣の会長は、木村さんの親戚になるそうで、小浜に会社はあるとの事で、道は逆だが、まずは会長に挨拶に行った。
立派な会社だった。



この会長は、長崎商工会の会長もしておられるとの事だった。
挨拶を終え、山越えして、深江に向かった。
みずなし本陣では、支配人と副支配人が、首を長くして待っておられた。





商談はスムーズにいった。10数年前にも置かせてもらっていたし、支配人もうちの商品を覚えていて下さっていた。
5月2日に、この道の駅で軽トラ市があるが出店しないかと、お誘いがあり、出店予定でいたが、コロナがまた全国で感染が広がり始めたので、中止になった。
昼過ぎていたので、ここで昼食を取っていくことになった。
私と息子は、そうめんのチャンポン、木村さんは昼はいつも食べないとの事で、そうめんのかけめんだけを注文した。せっかくだからと言って普賢岳をバックに記念写真。



商談を無事に終え、帰路につくことになったが、船の上では行きも帰りも木村さんの武勇伝に華がさいた。
彼は若い頃は、外国航路の船長をしていたそうで、韓国人、フィリピン人など外国人も使っていたらしい。
飛行機の機長とか、船長にはピストルの使用が認められていたそうだ。フィリピン人はおとなしかったが、韓国人は言う事をあまり聞かなかったとの事だった。
奥さんがそのまま船長をしていてくれれば良かったのにと今でも言うと。給料が良かったのでしょう。

コロナ禍の中、イベントは次々と中止になり、現金収入もない。いよいよ生活困窮におちいっていくことは、目に見えている。
その中で今年に入って5件の取引先が現れ、そのうちの4件はすでに取引が始まっている。
これからは原点に帰り、新規店舗の開拓に力を入れていきたい。
「アレッ、落ちも何もない文章になったが、どうかしたのってか?」
古希になったせいか、僕謙虚になったみたい。  


Posted by 貝川蒲鉾店  at 22:08Comments(0)