2023年11月07日
ダンシングオールナイトと魚貫崎の花嫁
♪甘い時 はずむ心 一夜のきらめきに 揺れる キャンドルがうるむ 瞳の中で 無邪気に 踊ってみせる♪
この曲は、もんたよしのりのダンシングオールナイトの一節である。
先日、もんたよしのりの訃報が報道された。残念だ。この曲を聞くと、青春時代を思い出す。昭和57年頃の曲だと思う。
当時、博多の友達の所へ、よう遊びに行っていた。スーパーやパチンコ店や有線放送で毎日のように流れていた。
スナックのフロアでジルバなんか踊ったものである。
そんなもんたでも、娘がいたそうだ。とあるテレビ番組インタビューの中で、司会者が「もし娘さんが、彼氏を連れてこられたら何と言いますか?」との質問に、「シバク!」と即答したのが、面白かった。もんたらしい。我が家にもまご娘がいるので、少しうなずけた。
どうか天国で安らかに眠らず、じゃんじゃん唄って爆発してくれー。
10月22日、天附の親戚の家から、50年忌の法事の案内を受けた。長島の義兄と二人で行った。
ここのご夫婦は一昨年、金婚式を迎えられたそうだ。コロナ禍で何もしなかったとの事だった。
このご夫婦の結婚の時は、オレが活躍をした。当時オレは20才、当時車の免許と車を持っている者は少なく、結納の時、魚貫崎まで3回くらい通った。今みたいに道は舗装されてなく、雨が降るとぬかるみができ、坂道を上るのに一苦労した。
結婚式の当日、まだ通天橋は出来てなかったので、天附に行くのに、舟で渡っていた。
当日は魚貫崎から船で花嫁さんは行くことになっていたのだが、あいにくの悪天候で、舟は大いに揺れた。それに舟の船頭さんが、新米の船頭さんだったらしい。見かねて新郎の兄さんが変わって天附まで、操船してこられたようだ。おかげで新婦さんは、船酔いして大変だったらしい。
それから15年後、このご夫婦に仲人になってもらい、私たちは結婚することになった。
話を50年忌の方へ戻そう。法要が終わり、住職が退室された。テーブルには所狭しとご馳走が並べられた。コロナ禍の後、こんなにご馳走が並んでいるのを見たのは久しぶりだ。

日頃、豆腐と納豆しか食べていない小生としては、盆と正月がいっぺんに来たみたいだった。
食事中話題を尺八の事に振ってみた。するとニコニコしながら奥から尺八を持ってこられた。
最初は座って吹かれたのだが、嫁さんから「せっかくなら立って吹かじゃ、立たんば良か音色は出んぞ」と言われ、

「ならば」と立って吹かれたのだが、その音色の良い事が、初めて聞いた。いやここまで吹かれるとは思っていなかった。


良い趣味をもっておられる。50年忌のいい供養になった。
10月下旬、当店の秋の風物詩『ボラ』が運ばれて来た。



軽トラ3台分。このボラが来ると、年末に向けての臨戦態勢に入る。この後も3台分あると電話が入ったが、冷凍庫の中に入りきれないので断った。もったいなかったが仕方ない。
このブログも久しぶりだが、今、ユーチューブと2ちゃんねるの馴れ初め話にハマって、暇があれば見ている。だから新聞もテレビも見なくなった。
昨年まで、ガラケーで良いと思っていたが、馬鹿だった。スマホって本当に便利なものですね。
笑いは百薬の長
結婚して60年する夫婦がいた。二人の間には秘密はありませんでした。たった一つの事を除いては。
妻はクローゼットの上に靴箱を置き、この箱の中身だけは絶対見ないでと約束させました。
ところが妻が病気に倒れ、医者から回復の見込みがないと告げられました。
夫は身の回り品と一緒に、靴箱も妻の所へ持っていきました。妻も中身のことを話す時が来たと思いました。
箱を開けてみると、手編みの2つの人形と9万5000ドルの札束が入っていました。私たちが結婚した時、祖母に言われました。「もし私が夫に腹を立てたときは、言い返さずに人形を編んで入れなさい」と、それを聞いた夫は心を揺さぶられました。手編みの人形は2つ箱にある。それはつまり、今まで妻は、2度だけ腹を立て、60年の間私に尽くしてくれたのだ。幸せな気持ちで満たされた夫はさらに問いかけた。
人形のことはわかったが、この札束はどこから来たのだ。
「あァーそれはネ、人形を売って稼いだお金よ。」
この曲は、もんたよしのりのダンシングオールナイトの一節である。
先日、もんたよしのりの訃報が報道された。残念だ。この曲を聞くと、青春時代を思い出す。昭和57年頃の曲だと思う。
当時、博多の友達の所へ、よう遊びに行っていた。スーパーやパチンコ店や有線放送で毎日のように流れていた。
スナックのフロアでジルバなんか踊ったものである。
そんなもんたでも、娘がいたそうだ。とあるテレビ番組インタビューの中で、司会者が「もし娘さんが、彼氏を連れてこられたら何と言いますか?」との質問に、「シバク!」と即答したのが、面白かった。もんたらしい。我が家にもまご娘がいるので、少しうなずけた。
どうか天国で安らかに眠らず、じゃんじゃん唄って爆発してくれー。
10月22日、天附の親戚の家から、50年忌の法事の案内を受けた。長島の義兄と二人で行った。
ここのご夫婦は一昨年、金婚式を迎えられたそうだ。コロナ禍で何もしなかったとの事だった。
このご夫婦の結婚の時は、オレが活躍をした。当時オレは20才、当時車の免許と車を持っている者は少なく、結納の時、魚貫崎まで3回くらい通った。今みたいに道は舗装されてなく、雨が降るとぬかるみができ、坂道を上るのに一苦労した。
結婚式の当日、まだ通天橋は出来てなかったので、天附に行くのに、舟で渡っていた。
当日は魚貫崎から船で花嫁さんは行くことになっていたのだが、あいにくの悪天候で、舟は大いに揺れた。それに舟の船頭さんが、新米の船頭さんだったらしい。見かねて新郎の兄さんが変わって天附まで、操船してこられたようだ。おかげで新婦さんは、船酔いして大変だったらしい。
それから15年後、このご夫婦に仲人になってもらい、私たちは結婚することになった。
話を50年忌の方へ戻そう。法要が終わり、住職が退室された。テーブルには所狭しとご馳走が並べられた。コロナ禍の後、こんなにご馳走が並んでいるのを見たのは久しぶりだ。

日頃、豆腐と納豆しか食べていない小生としては、盆と正月がいっぺんに来たみたいだった。
食事中話題を尺八の事に振ってみた。するとニコニコしながら奥から尺八を持ってこられた。
最初は座って吹かれたのだが、嫁さんから「せっかくなら立って吹かじゃ、立たんば良か音色は出んぞ」と言われ、

「ならば」と立って吹かれたのだが、その音色の良い事が、初めて聞いた。いやここまで吹かれるとは思っていなかった。


良い趣味をもっておられる。50年忌のいい供養になった。
10月下旬、当店の秋の風物詩『ボラ』が運ばれて来た。



軽トラ3台分。このボラが来ると、年末に向けての臨戦態勢に入る。この後も3台分あると電話が入ったが、冷凍庫の中に入りきれないので断った。もったいなかったが仕方ない。
このブログも久しぶりだが、今、ユーチューブと2ちゃんねるの馴れ初め話にハマって、暇があれば見ている。だから新聞もテレビも見なくなった。
昨年まで、ガラケーで良いと思っていたが、馬鹿だった。スマホって本当に便利なものですね。
笑いは百薬の長
結婚して60年する夫婦がいた。二人の間には秘密はありませんでした。たった一つの事を除いては。
妻はクローゼットの上に靴箱を置き、この箱の中身だけは絶対見ないでと約束させました。
ところが妻が病気に倒れ、医者から回復の見込みがないと告げられました。
夫は身の回り品と一緒に、靴箱も妻の所へ持っていきました。妻も中身のことを話す時が来たと思いました。
箱を開けてみると、手編みの2つの人形と9万5000ドルの札束が入っていました。私たちが結婚した時、祖母に言われました。「もし私が夫に腹を立てたときは、言い返さずに人形を編んで入れなさい」と、それを聞いた夫は心を揺さぶられました。手編みの人形は2つ箱にある。それはつまり、今まで妻は、2度だけ腹を立て、60年の間私に尽くしてくれたのだ。幸せな気持ちで満たされた夫はさらに問いかけた。
人形のことはわかったが、この札束はどこから来たのだ。
「あァーそれはネ、人形を売って稼いだお金よ。」