2019年12月08日
あの男が帰って来た(市民病院編)
あかね市も天候に恵まれ、無事2日間を終えることが出来た。
「売上は」と言うと、年々落ちている。厳しい娑婆になっていることは仕方がない事だろう。
11月7日、済生会病院から、牛深市民病院転院、2階の外科病棟に草鞋を脱ぐことになった。
済生会からの紹介状を担当医に渡してもらうよう看護師に預けた。
夕方になって「貝川さん、私が担当になりました○○です。」声のする方を見てみると、外科医の女先生だった。
少し取り調べを受けた後、今後の予定を告げて帰られた。
やがて一日目の夕飯が出てきた。

どっちかと言うと、済生会の方が味付けは良かった。
11月8日、今日から、リハビリが始まった。午前と午後と2回、ここも女性のリハビリ師2人だった。「俺ってどうしてこうも女性に恵まれているんだろ」これも天命だろうと直に納得した。
エレベータを使わずに階段も上り下りができるようになった。
土曜、日曜はリハビリも休みだったので、外出許可をもらって工場に帰った。
私が帰ることは嫁しか知らなかったので、私が姿を見せたらみんなびっくりして歓声を上げた。
杖はついていたのだが、手術前からすると足が軽やかだったのを見て自分のことのように喜んでくれた。
仕事はしていたが、息子たちは苦戦していた。
材料の調達、機械の点検、整備、資材の確保などなど、この一番忙しい時に原材料を切らすことが一番駄目だ。すぐ手配して事なきを得たが、問題は松木がなかった。
親友の戸谷君に電話し、松木はあるか聞いたら、廃材があるとのことで、チェーンソーをもって急行した。

トラック一台分はあった。年内は大丈夫だろう。
杖をついての陣頭指揮である。夕方になったので、市民病院に戻った。
日曜日は10時から外出許可をもらい工場に行った。
貧乏性だろうかじっとして見ていられない。久々の現場だ。




やっぱり私にはここが一番似合っている。
11月11日、ほとんど杖無しで歩けるようになった。看護師を通じて、女先生に退院を進言してもらった。
ところがである。嫁が風邪と流行目(結膜炎)にかかっていた。「うわあーこれじゃ帰れんなぁー」ここ一番というときにいつもこうだこの嫁は。
翌日、看護師から、エコーの検査をします。それで血栓もなくなっていたら退院できますとのことだったが、2,3日居ることにした。
11月14日、血栓もなくなっていて退院の許可が出た。11月15日、3週間ぶりに娑婆に出る。息子たちが出迎える。”長いお勤めご苦労様でした。”
その日の午後、仕事は休みだったので、久々河浦の天空の碁会所に行くことに決めた。


突然の私の来所にみんなびっくりして、「いつ退院されたんですか」と聞く。「今日です。今日は碁会があっているなぁーと思うと居ても立ってもおられずに飛んできました。」と言うと、大爆笑。
夕方、今日は出所祝いだから、酒と刺身は用意してあるだろうと気持ちはしていたんだけど、「今日は刺身は何もなかった。明日買っとくので今日はこれで我慢しとって」と咳をゴホンゴホンとしながら言われると食欲もなくなってしまった。

次の日刺身が出たのだが、体調が悪いのだろ料理に力がない。

こういう時は何も言わぬ方が一番いい。
11月19日火曜日、いつものように晩酌をはじめていると、NHKの歌謡番組が7時半から始まった。広島からの中継で、オープニングに小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」が流れてきた。「オッ、懐かしい曲」と思い、一緒に声を出して歌ってしまったんだ!「幼い弟、行くなと泣いた♪男だったら泣いたーりせずに、父さんだけを大事にしてねー♪」それを隣で聞いていた嫁が鋭い目線で睨んでいる。ありゃしまった、本音を唄ってしまった。
「売上は」と言うと、年々落ちている。厳しい娑婆になっていることは仕方がない事だろう。
11月7日、済生会病院から、牛深市民病院転院、2階の外科病棟に草鞋を脱ぐことになった。
済生会からの紹介状を担当医に渡してもらうよう看護師に預けた。
夕方になって「貝川さん、私が担当になりました○○です。」声のする方を見てみると、外科医の女先生だった。
少し取り調べを受けた後、今後の予定を告げて帰られた。
やがて一日目の夕飯が出てきた。

どっちかと言うと、済生会の方が味付けは良かった。
11月8日、今日から、リハビリが始まった。午前と午後と2回、ここも女性のリハビリ師2人だった。「俺ってどうしてこうも女性に恵まれているんだろ」これも天命だろうと直に納得した。
エレベータを使わずに階段も上り下りができるようになった。
土曜、日曜はリハビリも休みだったので、外出許可をもらって工場に帰った。
私が帰ることは嫁しか知らなかったので、私が姿を見せたらみんなびっくりして歓声を上げた。
杖はついていたのだが、手術前からすると足が軽やかだったのを見て自分のことのように喜んでくれた。
仕事はしていたが、息子たちは苦戦していた。
材料の調達、機械の点検、整備、資材の確保などなど、この一番忙しい時に原材料を切らすことが一番駄目だ。すぐ手配して事なきを得たが、問題は松木がなかった。
親友の戸谷君に電話し、松木はあるか聞いたら、廃材があるとのことで、チェーンソーをもって急行した。

トラック一台分はあった。年内は大丈夫だろう。
杖をついての陣頭指揮である。夕方になったので、市民病院に戻った。
日曜日は10時から外出許可をもらい工場に行った。
貧乏性だろうかじっとして見ていられない。久々の現場だ。




やっぱり私にはここが一番似合っている。
11月11日、ほとんど杖無しで歩けるようになった。看護師を通じて、女先生に退院を進言してもらった。
ところがである。嫁が風邪と流行目(結膜炎)にかかっていた。「うわあーこれじゃ帰れんなぁー」ここ一番というときにいつもこうだこの嫁は。
翌日、看護師から、エコーの検査をします。それで血栓もなくなっていたら退院できますとのことだったが、2,3日居ることにした。
11月14日、血栓もなくなっていて退院の許可が出た。11月15日、3週間ぶりに娑婆に出る。息子たちが出迎える。”長いお勤めご苦労様でした。”
その日の午後、仕事は休みだったので、久々河浦の天空の碁会所に行くことに決めた。


突然の私の来所にみんなびっくりして、「いつ退院されたんですか」と聞く。「今日です。今日は碁会があっているなぁーと思うと居ても立ってもおられずに飛んできました。」と言うと、大爆笑。
夕方、今日は出所祝いだから、酒と刺身は用意してあるだろうと気持ちはしていたんだけど、「今日は刺身は何もなかった。明日買っとくので今日はこれで我慢しとって」と咳をゴホンゴホンとしながら言われると食欲もなくなってしまった。

次の日刺身が出たのだが、体調が悪いのだろ料理に力がない。

こういう時は何も言わぬ方が一番いい。
11月19日火曜日、いつものように晩酌をはじめていると、NHKの歌謡番組が7時半から始まった。広島からの中継で、オープニングに小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」が流れてきた。「オッ、懐かしい曲」と思い、一緒に声を出して歌ってしまったんだ!「幼い弟、行くなと泣いた♪男だったら泣いたーりせずに、父さんだけを大事にしてねー♪」それを隣で聞いていた嫁が鋭い目線で睨んでいる。ありゃしまった、本音を唄ってしまった。