2019年03月31日
素晴らしき囲碁仲間と懇親会
♪「土堤の柳は風任せ!可愛いあの娘は口任せ!えっえぇーしょんがいなーええしょんがいなぁー」いよいよ春本番!
3月25日は、天空の碁会所の月例会になっていた。
牛深から3人乗り合わせていった。内の原を過ぎると、レンゲや山桜が咲いてる。田植え前の田んぼは水が張ってあり、向こうには黄色の菜の花畑も見える。景色に見とれて走っていたら、おぼえず、碁会所に着いてしまった。AM11時からの対局開始で熱戦が繰り広げられた。



そこへ久玉の正光寺のご住職が少し遅れて参加された。
あれよあれよという間に5戦全勝で優勝された。御歳80半ばで立派なものだ。今回は牛深方面の人たちが上位を占めた。そして河浦囲碁部会の初の試みとして、牛深地区の我々との懇親会が夕方6時から「居酒屋なべちゃん」で予定されていた。一度車を置きに牛深へ帰り、迎えに来ていただいた。一町田の中央をちょっと過ぎて、右へ曲がって降ろされた所は、大きな鳥居が立っていた。明るいうちはちょっとわかりにくいところである。ママさんらしき人が、前に出て出迎えてくださった。当日は休業日だったのを無理に開けてもらったそうである。申し訳ない。
中に入ると、桜の話で盛り上がっていた。「皆さん吉野桜の唄って知っていますか」と言って、万朶(ばんだ)の桜か襟の色、花は吉野に嵐咲く大和男子と生まれなば散兵戦の花と散れ♪とワンコーラス唄うと、へー知らなかった。貝川さん良か声しとらすですね。と丸山さんが持ち上げる。余興はこれぐらいにして、宮本会長のあいさつの後、ご住職の乾杯の音頭で始まり始まり。

天草の囲碁人記に囲碁談義、今日の碁会の反省の一手とか、話は碁の話で盛り上がり、大変楽しいひと時を過ごさせてもらった。
帰る時刻になったので嫁に迎えに来てもらったのだが、私の説明不足で「場所がわからん」とおかんむり、見かねた久保さんが私の携帯を持って外に出て道順を教えてくださった。迎えに来たかぼちゃの馬車のシートが針のむしろに変わっていたのは言うまでもない。
3月25日は、天空の碁会所の月例会になっていた。
牛深から3人乗り合わせていった。内の原を過ぎると、レンゲや山桜が咲いてる。田植え前の田んぼは水が張ってあり、向こうには黄色の菜の花畑も見える。景色に見とれて走っていたら、おぼえず、碁会所に着いてしまった。AM11時からの対局開始で熱戦が繰り広げられた。



そこへ久玉の正光寺のご住職が少し遅れて参加された。
あれよあれよという間に5戦全勝で優勝された。御歳80半ばで立派なものだ。今回は牛深方面の人たちが上位を占めた。そして河浦囲碁部会の初の試みとして、牛深地区の我々との懇親会が夕方6時から「居酒屋なべちゃん」で予定されていた。一度車を置きに牛深へ帰り、迎えに来ていただいた。一町田の中央をちょっと過ぎて、右へ曲がって降ろされた所は、大きな鳥居が立っていた。明るいうちはちょっとわかりにくいところである。ママさんらしき人が、前に出て出迎えてくださった。当日は休業日だったのを無理に開けてもらったそうである。申し訳ない。
中に入ると、桜の話で盛り上がっていた。「皆さん吉野桜の唄って知っていますか」と言って、万朶(ばんだ)の桜か襟の色、花は吉野に嵐咲く大和男子と生まれなば散兵戦の花と散れ♪とワンコーラス唄うと、へー知らなかった。貝川さん良か声しとらすですね。と丸山さんが持ち上げる。余興はこれぐらいにして、宮本会長のあいさつの後、ご住職の乾杯の音頭で始まり始まり。

天草の囲碁人記に囲碁談義、今日の碁会の反省の一手とか、話は碁の話で盛り上がり、大変楽しいひと時を過ごさせてもらった。
帰る時刻になったので嫁に迎えに来てもらったのだが、私の説明不足で「場所がわからん」とおかんむり、見かねた久保さんが私の携帯を持って外に出て道順を教えてくださった。迎えに来たかぼちゃの馬車のシートが針のむしろに変わっていたのは言うまでもない。
2019年03月24日
夫婦喧嘩と誕生日
3月は何かと物入りである。16日は義甥(息子たちの従兄)の結婚式に家族全員招待された。


若いカップルの門出を笑顔で祝ってやらなければならないのだが、仕事外の出費は痛い。
早く息子たちも結婚してくれたらいいのだが。
そんな中、大分の義弟が「獺祭」を土産に持ってきてくれた。「流石は義弟」いつも私のことを思って酒を買ってきてくれる。有難い。
「俺はね、あんたを最初見たときから、あーこの人は良い人だなーとずっと思っていたんだ本当は。」とお礼を言った。
そして19日は嫁の誕生日だった。寝ている嫁の枕元に立ち、「うらめしやー」じゃなく「誕生日おめでとう」と一言言って仕事に出かけた。
午前中で仕事も終わり、デスクワークをしていると、つい眠ってしまった。うたた寝というものはとても気持ちのいいものである。
ところがである。突然「ハックション、ハックション」と大きなくしゃみにびっくりして目が覚めた。
「うるさい!なんで俺が寝てるときに限ってくしゃみするんだ。それも1回じゃなし2回じゃなし、5回も6回も、いくらくしゃみが自由だって人ってものは少しは遠慮してくしゃみはするもんだ。」
「何のくしゃみが止められるな!好きでくしゃみしといとじゃなかぁ」と嫁も反撃してくる。
「お父さんは疲れているから起こしたらいかんという配慮はないのか」
「なかぁー、どがいなくしゃみぐらい」と言って出て行った。
「ありゃー怒らせてしまったのかなぁー」と事の重大さに気づく。しかも今日は誕生日だ!まずい!家に帰るきっかけを作らないと。
しかし謝るのもしゃくだし、仕方がないか、家に帰るのは早いし、真珠会社のアルバイトに行くことにした。
二時間ほどで5000円もらった。思わぬ副収入が入った。
さっそく嫁に電話する。今日夕飯はどがんすいと!どこか食べに行こうか、すると「寒気がするから、何か出前でも取ってくれ」だった。
「今日は誕生日だったな、なんでも言ってくれ、じゃんじゃんおごっちゃうから」
「じゃー京華園から」と言って配達してもらった。
酢豚にエビチリ、ぎょうざ、刺身、それに結婚式で大分の義弟からもらった「獺祭」を合わせる。
おー立派な誕生日になったじゃないか。俺の誕生日とは雲泥の差だ。

え?夫婦喧嘩はどうなったって?30年も修羅場をくぐってきた二人には、日常茶飯事である。
私はもともと温厚な人間であるが、このことは世をあざむく仮の姿であると認識してもらいたい。
就寝前「今日は冷や汗ものだったが無事乗り越えることができた」と安堵した瞬間、ハックション!シー


若いカップルの門出を笑顔で祝ってやらなければならないのだが、仕事外の出費は痛い。
早く息子たちも結婚してくれたらいいのだが。
そんな中、大分の義弟が「獺祭」を土産に持ってきてくれた。「流石は義弟」いつも私のことを思って酒を買ってきてくれる。有難い。
「俺はね、あんたを最初見たときから、あーこの人は良い人だなーとずっと思っていたんだ本当は。」とお礼を言った。
そして19日は嫁の誕生日だった。寝ている嫁の枕元に立ち、「うらめしやー」じゃなく「誕生日おめでとう」と一言言って仕事に出かけた。
午前中で仕事も終わり、デスクワークをしていると、つい眠ってしまった。うたた寝というものはとても気持ちのいいものである。
ところがである。突然「ハックション、ハックション」と大きなくしゃみにびっくりして目が覚めた。
「うるさい!なんで俺が寝てるときに限ってくしゃみするんだ。それも1回じゃなし2回じゃなし、5回も6回も、いくらくしゃみが自由だって人ってものは少しは遠慮してくしゃみはするもんだ。」
「何のくしゃみが止められるな!好きでくしゃみしといとじゃなかぁ」と嫁も反撃してくる。
「お父さんは疲れているから起こしたらいかんという配慮はないのか」
「なかぁー、どがいなくしゃみぐらい」と言って出て行った。
「ありゃー怒らせてしまったのかなぁー」と事の重大さに気づく。しかも今日は誕生日だ!まずい!家に帰るきっかけを作らないと。
しかし謝るのもしゃくだし、仕方がないか、家に帰るのは早いし、真珠会社のアルバイトに行くことにした。
二時間ほどで5000円もらった。思わぬ副収入が入った。
さっそく嫁に電話する。今日夕飯はどがんすいと!どこか食べに行こうか、すると「寒気がするから、何か出前でも取ってくれ」だった。
「今日は誕生日だったな、なんでも言ってくれ、じゃんじゃんおごっちゃうから」
「じゃー京華園から」と言って配達してもらった。
酢豚にエビチリ、ぎょうざ、刺身、それに結婚式で大分の義弟からもらった「獺祭」を合わせる。
おー立派な誕生日になったじゃないか。俺の誕生日とは雲泥の差だ。

え?夫婦喧嘩はどうなったって?30年も修羅場をくぐってきた二人には、日常茶飯事である。
私はもともと温厚な人間であるが、このことは世をあざむく仮の姿であると認識してもらいたい。
就寝前「今日は冷や汗ものだったが無事乗り越えることができた」と安堵した瞬間、ハックション!シー
2019年03月22日
益城復興市とキビルフェスタ
先般、悲しい誕生日をブログに載せましたが、翌日の2日3日は益城復興市(木山初市)と人吉のひな祭りに出店することになっていた。
朝が早いので、お祝いは控えたのが本音だった。
益城の木山初市も15年くらいは出店しています。皆さん顔なじみや、ご常連も次々に買いに来て下さった。


当店の追っかけ、中島夫妻も来てくださった。


70半ばくらいの大先輩が、わざわざ私たち二人のために弁当を二人分作って来て下さった。
大変ありがたく恐縮していた。また、ご常連や知人からの差し入れ、市だご、焼きそば、ピザ、タコ焼き、焼き芋など、歓待された。本当にうれしかった。
人吉ひな祭りには、息子たち二人が行った。
3月17日はキビルフェスタ海食祭が行われた。



ここも当店は、牛深、長島と二手に分かれて売った。ミツバチラジオの生放送もやっていた。
なんだいそれは、みなしごハッチなら知っているけど、ミツバチラジオはあまり知らない。
当日私の一番の目的は、鹿児島の住吉社中のお座敷芸を一度見て見たかった。
天気は良かったが、風が強く、しかも逆光だったので顔がはっきり見えない。座長の挨拶に「私たちの芸はお座敷芸なので風の強い時は袖が引っかかってあまりいい踊りができませんが」と前置きして、さー始まるかなと思ったがなかなか始まらない。


その時ちょうどラジオの生放送をやっていたので、スピーカーから、しゃべり声、笑い声が大きく流れていた。
すると座長が、「生放送には勝てません」と言って三味線が鳴り出した。やっと開演になった。



可愛い女の子が3人踊る姿は、昭和30年代を彷彿させる。踊りに見入っていると、薄い煙が舞台にたなびく。横を見ると、農協の青年部が踊りなんかどこ吹く風と言わんばかりに、スペアリブをガンガン焼いている。せっかくの艶な踊りが艶消しである。

しかしながら、久々本物の芸者の「粋」を見た。
朝が早いので、お祝いは控えたのが本音だった。
益城の木山初市も15年くらいは出店しています。皆さん顔なじみや、ご常連も次々に買いに来て下さった。


当店の追っかけ、中島夫妻も来てくださった。


70半ばくらいの大先輩が、わざわざ私たち二人のために弁当を二人分作って来て下さった。
大変ありがたく恐縮していた。また、ご常連や知人からの差し入れ、市だご、焼きそば、ピザ、タコ焼き、焼き芋など、歓待された。本当にうれしかった。
人吉ひな祭りには、息子たち二人が行った。
3月17日はキビルフェスタ海食祭が行われた。



ここも当店は、牛深、長島と二手に分かれて売った。ミツバチラジオの生放送もやっていた。
なんだいそれは、みなしごハッチなら知っているけど、ミツバチラジオはあまり知らない。
当日私の一番の目的は、鹿児島の住吉社中のお座敷芸を一度見て見たかった。
天気は良かったが、風が強く、しかも逆光だったので顔がはっきり見えない。座長の挨拶に「私たちの芸はお座敷芸なので風の強い時は袖が引っかかってあまりいい踊りができませんが」と前置きして、さー始まるかなと思ったがなかなか始まらない。


その時ちょうどラジオの生放送をやっていたので、スピーカーから、しゃべり声、笑い声が大きく流れていた。
すると座長が、「生放送には勝てません」と言って三味線が鳴り出した。やっと開演になった。



可愛い女の子が3人踊る姿は、昭和30年代を彷彿させる。踊りに見入っていると、薄い煙が舞台にたなびく。横を見ると、農協の青年部が踊りなんかどこ吹く風と言わんばかりに、スペアリブをガンガン焼いている。せっかくの艶な踊りが艶消しである。

しかしながら、久々本物の芸者の「粋」を見た。
2019年03月14日
悲しい誕生日
やっと税金の申告も終わり自由の身になった。
3月1日は、私の誕生日であった。いつもなら海彩館とか、イタリアンとか、ちゅうぼう隆で祝杯を挙げているのだが、今年は誰も言い出さない。
朝飯の時、嫁が「お父さん誕生日おめでとう」と一言。長男が「親父何歳になったとー」と一言。「アレッ、何か忘れてはいませんか?」てんだ。
次男は何も言わない。「ハハーン、こいつ何も言わないところをみると、俺に何かサプライズのプレゼントをしてくれるのではないかなぁー」と勝手に想像する。「これがお父さんの欲しがっていた電気髭剃りだよ。誕生祝いにプレゼントするよ!」と手渡されると、涙が出るだろううなぁー「ずっと前からお前はどこか見どころのあるやつだなと思っていたんだ本当は!」とワクワクしながら現実になればと期待も膨らむ。
「一日だけ幸せになりたいのなら、床屋へ行きなさい。」という格言がある。行きつけの床屋に髭を剃りに行った。誕生日の記念に自撮りもやってみた。冴えない。

夕食になった。酒も刺身もない。まるで病院食じゃないか。

こういう時は何も言わず、ぐっと我慢するのが男ってものよ!
すると食べ終わった息子がすっと立ち上がり「お父さん」と大きな声で切り出した。「来た来た来たーきっとサプライズがあるはずだ」と期待がよみがえる。
「これだけははっきり言っておく。誕生日おめでとう」と言うと紙切れ一枚手渡しして、自分の部屋に立ち去ったのである。
あぁーこれは日頃の感謝の気持ちか何かそういうたぐいのものを書いているに違いないな。きっとそうだと開けてみる。
そこには「親父元気を出せ!」と一言書かれていた。
わびしかぁー
3月1日は、私の誕生日であった。いつもなら海彩館とか、イタリアンとか、ちゅうぼう隆で祝杯を挙げているのだが、今年は誰も言い出さない。
朝飯の時、嫁が「お父さん誕生日おめでとう」と一言。長男が「親父何歳になったとー」と一言。「アレッ、何か忘れてはいませんか?」てんだ。
次男は何も言わない。「ハハーン、こいつ何も言わないところをみると、俺に何かサプライズのプレゼントをしてくれるのではないかなぁー」と勝手に想像する。「これがお父さんの欲しがっていた電気髭剃りだよ。誕生祝いにプレゼントするよ!」と手渡されると、涙が出るだろううなぁー「ずっと前からお前はどこか見どころのあるやつだなと思っていたんだ本当は!」とワクワクしながら現実になればと期待も膨らむ。
「一日だけ幸せになりたいのなら、床屋へ行きなさい。」という格言がある。行きつけの床屋に髭を剃りに行った。誕生日の記念に自撮りもやってみた。冴えない。

夕食になった。酒も刺身もない。まるで病院食じゃないか。

こういう時は何も言わず、ぐっと我慢するのが男ってものよ!
すると食べ終わった息子がすっと立ち上がり「お父さん」と大きな声で切り出した。「来た来た来たーきっとサプライズがあるはずだ」と期待がよみがえる。
「これだけははっきり言っておく。誕生日おめでとう」と言うと紙切れ一枚手渡しして、自分の部屋に立ち去ったのである。
あぁーこれは日頃の感謝の気持ちか何かそういうたぐいのものを書いているに違いないな。きっとそうだと開けてみる。
そこには「親父元気を出せ!」と一言書かれていた。
わびしかぁー