2020年05月25日

朝鮮アサガオ

アサガオにつるべ取られてもらい水。
朝、出勤しようと外へ出たら、団地のフェンスにアサガオが咲いていた。
紫がかった青の鮮明なことよ。これはひょっとしたら、朝鮮アサガオじゃないか。



何で朝鮮アサガオと特別に呼ぶんだろ?と調べてみると、ナス科の一年草で、有毒で、特に種子には猛毒があると書かれている。
別名きちがいなすびとか、まんだらげとも言うそうだ。あぶない、あぶない。
朝鮮と言うと、昔は差別用語に聞こえていた。戦後は徴用工として、朝鮮半島から連れてこられた人たちが、そのまま日本に帰化した。いわゆる在日朝鮮人である。
小欄が小学生の頃も、いじめとか差別があっていた。
「朝鮮、朝鮮、パカするな!同じ飯食ってトコちがう!」と反発の言葉が返ってきた。次男が小学生のころ「そういうこともあっていたんだよ」と教えたら、その後次男は嫁から注意されるたびに、「朝鮮、朝鮮パカするな!人の飯食ってトコちがう!」と反発するようになった。
オイオイ、人の飯食ったらいかんだろー。
この頃からユーモアのセンスが開花し始めていた。
相変わらず、巷ではコロナの話題ばかり、3密は駄目だ、ソーシャルディスタンスとか、あたらしい言葉を聞くようにもなった。
そんな中、毎週月曜日、行きつけの床屋さんから囲碁のお誘いがあり、出掛けている。




みんな家から出られないので退屈なんだろう。
仕事はないし、毎日吉田亭とか床屋さんに行って囲碁は打てるし、思い出した時、ブログを書くし酒も飲もうと思えば飲めるし、老後の前倒しで謳歌しているようである。
でもそんな生活は永く続かないのが常である。
3密が駄目ならせいぜいあんみつを食べ、壇蜜のエロチズムを想像しながらコロナの厄除けとしよう。

(笑いは百薬の長)
(第2話)
船が難破し、乗客は近くの無人島に漂着した。助かったのは、女性10人に男性は1人だった。
女性は島の表側で男性は島の裏側で生活することになった。
そんなある日、女性の代表が二人やってきて男に告げた。「この島の女性全員が投票した選挙の結果、あなたがこの島で一番魅力ある男性に選ばれました。」と。

(第3話)
ある会社の重役が12時になると向こう側のレストランで昼食を食べに行くのが日課であった。
そこに行くには信号機のある交差点を渡らなければ行けない。
その信号機の所に、みすぼらしい服装で靴ひもを打っている男がいた。
シートを広げ靴ひもを並べ、どれも10セントと書かれた立札が1枚とその横に空き缶が置いてあった。
重役は哀れと思って、10セントだけ入れて靴ひもはいつももらっては行かなかった。
ある日、いつものように10セントを入れて、横断歩道を渡っていたら、後ろから「だんな、だんな」呼ぶ声がしたので、振り返り「何か用かね」と聞くと、「だんな、すみません。今日から15セントに値上がりしたんで。」  


Posted by 貝川蒲鉾店  at 21:52Comments(1)

2020年05月13日

母の日と誓文払い

「誓文払い」という陰暦10月の行事がある。
かっては、色町の遊女が商売の駆け引きで、客に嘘をついた罪を神仏に詫びた。お祓いを済ませ一安心、また1年の間、手練手管の嘘に身を任せたという。
小欄は、神仏に詫びるような罪はないが、我が家には「山の神」という怖い神様がいる。5月10日の「母の日」をうっかり忘れていた。1日前に気付いたからよかったが、慌てて「ちゅうぼう隆」に予約を入れた。毎日、朝昼晩の食事の準備、洗濯、仕事の手伝い、売り出し、銀行関係はては、布団の上げ下げまで、体の休まることはない嫁の、その労をねぎらって、何一つしない罪滅ぼしにちゅうぼう隆で一席設けた。
いつも賑わっていたちゅうぼう隆だったが、コロナの影響で、我々だけの貸し切りであった。どこも大変だった。
若嫁からは、カーネーションが届いた。みんなでお母さんありがとうの乾杯。





母の日を無事済ませて一安心、また1年の間、囲碁や真珠会社の修行に身を任せるこの男は、どこか色町の遊女に似てないでもない。
お籠り生活が続いている人の少しでも慰みになればと、今日から少しだけ笑える噺を書いていきたいと思う。

笑いは百薬の長(その1)
「駅通便」や「飛脚便」などいくつかの案の中から、「郵便」という呼び名を選んだのは、郵便制度の父、前島密(ひそか)である。
今では知らぬ人のないこの言葉に戸惑った人もいたらしい。
街角のポストに書かれた「郵便」の文字を「タレベン」と読んだ人が居た。「タレベン」の横には「差入口(さしいれぐち)」と書かれた穴がある。
これをじっと眺めていた人いわく、「日本人には差入口の位が高すぎやしないかと」制度ができて間もない1872年(明治5年)の東京での実話である。  


Posted by 貝川蒲鉾店  at 22:01Comments(1)

2020年05月05日

5月5日の花会

「屋根より低いこいのぼーり、大きな真鯉はお母あーさん」
5月5日今日は端午の節句。全国的に子供の日であるが、今年はどこにも連れて行ってもらえない。



籠城生活もやがて1ヵ月。コロナに包囲されて、その内軍資金も兵糧も尽き果ててしまうだろう。早く10万円が出てほしいものだ。
先々日デジカメを見ていたら、次男が中学生の時描いた絵が県立美術館に展示された時の写真が出てきた。そこには親友の祐の字が写っていた。
二人のツーショットはほとんどない。






先日祐ちゃんの夢を見た。スーツ姿になぜか青いののこを着ていた。
祐ちゃんは、白飯を山盛りにして、口にほうばっていた。
俺も白飯を食べたが全然味がしない。その横におふくろさんが白い服を着て立っていた。この人と子供の日には特別な思いがある。

20年前に遡るが、親友の祐ちゃんから、案内が来る。「今日1時から俺ん家の二階で花会をやるから来ないか」と子供2人に伝えると行く行くと大いに喜んだ。長男が小学5,6年のころだったと思う。二階に上がってみると、祐の字と、一麻さん親子が待っていた。
中央に白い座布団が1枚、その上に真っ新の花札が1ヶ置いてあった。
まずは千円出して碁石10ヶをもらう。それから親決めである。「オイどんはインチキせんでない」と言いながら始まる。
さーこの遊びはオイチョカブと言って、テレビがなかったころの遊びで、主に漁師やヤクザ、それに不良仲間の間での賭け事として流行った遊びで、一般社会の人たちは、それをする人を白い目で見ていた。フーテンの寅にも出てくる寅の口上がそれである。「サーサーはったはった。はって悪いはオヤジの頭、はらなきゃ食えないチョチン屋」「参参六方引け目無し」「ハッピクルクル車屋のカブ」「ニーサンヨッテらっしゃい女郎屋のカブ」といった具合にとても語呂合わせがうまくできている。

次男に幼稚園の頃、エピソードがある。ある日幼稚園に迎えに行くと、園長先生が私の所へきて「公ちゃんのお父さんにお願いがあるんですけど」なんでしょう?「公ちゃんに花札は幼稚園には持ってこないように言ってもらえませんか」雨の日は外で遊ばれないので、教室の中でゲームとかトランプとかして遊ぶのですが……花札を園内でされるとちょっとですねー
ははーん、あいつのやりそうな事だ。
次男は幼稚園に入る頃は、トランプ、花札、将棋、囲碁など、勝負事は皆一通りは覚えていた。だから幼稚園ではそんな遊びを知っている者はいないので、あいつの独壇場だったのだろ。

鉄火場も夕方まで熱気をおびていた。5時過ぎに下の方から「もうそろそろやめて下りてこんかー」とおふくろさんの声がかかる。
下りていくとテーブルを3つ並べた上には刺身、寿司、オードブルと子供用にジュースが用意されていた。
「うわーごちそうがいっぱい」親も子供たちも楽しい一日だった。それから2,3年は続いた。
今思うと子供に賭け事を教える親なんてなんと非常識な親とお叱りを受けて当たり前だが、20年も経った今でも5月5日なると、この事が思い起こされる。2人の子供もそうだ

4年前に祐の字、そして今年4月、一麻さんが他界された。小学生だった子供たちを1人の大人として接しくれたお二人に、心より感謝申し上げるとともに、ご冥福をお祈りいたします。


この前のブログのアメリカンジョークが難しいとお叱りを受けましたがお詫びとして、第3話を追加します。
おじいちゃんが病院に入院しているので孫がお見舞いに行った。おじいちゃんは酸素吸入器を鼻にあてていた。
「おじいちゃんお見舞いに来たよ。大丈夫?」とベッドの横に立って話しかけた。
「お!有難う、よく来てくれた。元気だよ」
としばらくするとおじいちゃんが苦しみだした。
孫がびっくりして「おじいちゃん大丈夫、僕、おじいちゃん大好きだから、何でも言うこと聞くから何でも言ってごらん」
「そうか、それでは1つだけ頼みたいことがあるんだが」「何でも聞くからいってごらん」
「じゃ、すまんが酸素吸入器のホースをのぼっているお前のその足をどけてくれんか」


  


Posted by 貝川蒲鉾店  at 21:56Comments(1)