2020年02月06日

花咲ガニと落花生

梅は咲いたかー桜はまだかいなー
暦の上では、もう立春。今年は暖冬で冬を感じなかった。
寒いのは嫌だが、蒲鉾が売れるためにはもっと寒くなれ、もっと寒くなれと願う蒲鉾工夫であった。

1月26日、天草マラソンが本渡運動公園陸上競技場で行われた。
当店も二手に分かれて出店した。今年は参加選手に配る参加賞の景品にも選ばれ、市民センターロビーでも売ることが出来た。



かつてない戦果を挙げた。来年も選ばれて欲しいものだ。
よく27日、河浦の天空の碁会所で、月例会が行われた。




結果は、4位で終わったが、その日の夕方、居酒屋「なべちゃん」で新年会が行われることになっていた。M氏に牛深まで迎えに来てもらい3名が参加した。
今年の抱負や、囲碁談義、武勇伝の話に花が咲き楽しい新年会だった。






締めにみんなでチャンポンを頼んだ。大変美味しかった。
10時過ぎ、かぼちゃの馬車が来たので、お開きとなった。

正月番外編を1つ、年末に北海道は根室から「酒と手長エビと花咲ガニ」が届いた。





特に花咲ガニは目をひいた。大きくて全身がとげに覆われて手で割って食べれるものではなかった。蒸し器で蒸して調理ばさみで切ってやっと食べられた。



身がぎっしり詰まってうまいのなんの、これ以上うまいカニが他にあってたまかいてんだ。
何!ほかにもある?あんたが知らないだけだと、「あっそう」
根室の女(ひと)にこの場を借りて厚く御礼申し上げます。また送ってね。
すると今度は東京から落花生が送られてきた。しかもゆで落花生。私の大好物である。
千葉県の落花生は特に有名で、風味があって味が良い。





千葉県のなかでも八街(やちまた)市の八街産が有名である。あ、そういえば、昨年亡くなった女優に「八街薫」という有名女優もいたなぁー。
死んだ裕の字が大ファンだったんだ。
オイオイそれを言うなら八千草薫だろぉー

地豆は日本語で落花生という
じゃ、ピーナッツは何語でしょうか?だと
英語じゃないの   ブッブゥー
何、正解は双子だとーバカヤロー
  


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2020年01月08日

笑う門には服着たる!

「♪もういいくつ寝るとお正月~♪」え!もう正月終わった?
そういえば、元日早々から、TELがかかってきて、御船から客人が来てるから囲碁の相手をしてくれないか、とのことだった。
これが不幸の序曲になろうとは…

元旦の日、今年初めての新しい家族が我が家に来てくれた。
いつも正月はパジャマのままで過ごすのだが、今回はそうはいかない。いつもより早く起きて服を着て、正月の準備をする。
巻き寿司とオードブルはテーブルに出ている。その後がなかなか出てこない。「オーイ、何んしょいとかー?」としびれを切らして呼ぶと、お屠蘇を入れる器と杯が見つからないという。「昨日出していたんだけど、どこに行ったんだろ」「バカヤローそれがないと正月はできないだろ」「何に入れていた?」「新聞紙にくるんでいた」「じゃ、間違えてゴミ袋に入れて外に出したんじゃないのか?」「公志!お前も起きて探せ!」
正月早々、外に出しているゴミ袋を1つ1つ開けて探す貝川家一族であった。いつもここ一番というとき下手を打つんだこの人は!
そんな中長男からTELが入る。「そっち行っても良かとや?」事情を説明し、来るように返事をした。とんだ時間をくっちゃった。
幸い、お袋が使っていた杯が出てきたので少しは正月の形はできるだろ。今年はお屠蘇用に「獺祭」と正月用に「越乃寒梅」を傍らに添えた。
気を取り直し、サーみんな揃ったところで、「あけまして、おめでとうございます。乾杯!」




少し出来上がったところ御船からの客人のことを思い出し、嫁にまぶ逹のところまで送ってもらった。
最初の2局は勝ったが、あっこの人は、私が済生会に入院している時わざわざお見舞いに来てくださった事を思い出し、勝ってはいけない人だった。
その後3局打ったが負けた。快気祝いとしてのプレゼントだ。「貝川さんわざと負けてくれらしたなぁー」いいえ私の力はこんなもんですよ。
まぶ逹に帰りは後浜経由で送ってもらった。
後浜から見る正月の夕景は穏やかで、格別なものがあった。



2日は初打ちと称して皆さんが、まぶ逹の所に集まってきた。
昨日の御船の客人はもとより、益城からは道場破りの無頼者が姿を現し、熱気をおびた碁会になった。



3日は、家族で初詣に行くのが恒例になっている。
次男が参拝するときの作法を見せてやるといい、手水所へ行き柄杓で指に水をかけた。冷たいのによせばいいのに。



おみくじも引いた。小吉である。読んでみると、今年はじっと我慢の年らしい。昼からは、まぶ逹の所へまた碁打ちに出かけた。
道場破りの無頼者が来ていたので、1年ぶりの対局になった。



結果は私の勝ちだったが、この男が来ると暗黙の了解で今夜は飲み会になるなーと思っていたのだが、読みは的中した。
新年会をかねて「ちゅうぼう隆」に決まった。



退院以来、久々の飲み会だった。碁の話、盆栽の話等々の話題で話も盛り上がった。
歳も70歳になろうという老人が飲んだり碁を打ったりする仲間がいることは、素晴らしい事だと思う
囲碁三昧の正月三が日であった。せっかくの正月を楽しむことなく私って本当に馬鹿ねー。あっそう言えば、もう一人お馬鹿な人がいた。
井上陽水の唄に「夢の中へ」という曲がある。その一節に♪探すのをやめた時、見つかる事もよくある話しー♪元日の朝、みんなで探しても見っからなかった。
お屠蘇を入れる器と杯が見つかった。嫁が自分が置いた場所を忘れて冷蔵庫の上から出てきた。
私たち夫婦って本当に馬鹿ねー。
  


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2019年12月08日

あの男が帰って来た(市民病院編)

あかね市も天候に恵まれ、無事2日間を終えることが出来た。
「売上は」と言うと、年々落ちている。厳しい娑婆になっていることは仕方がない事だろう。

11月7日、済生会病院から、牛深市民病院転院、2階の外科病棟に草鞋を脱ぐことになった。
済生会からの紹介状を担当医に渡してもらうよう看護師に預けた。
夕方になって「貝川さん、私が担当になりました○○です。」声のする方を見てみると、外科医の女先生だった。
少し取り調べを受けた後、今後の予定を告げて帰られた。
やがて一日目の夕飯が出てきた。



どっちかと言うと、済生会の方が味付けは良かった。

11月8日、今日から、リハビリが始まった。午前と午後と2回、ここも女性のリハビリ師2人だった。「俺ってどうしてこうも女性に恵まれているんだろ」これも天命だろうと直に納得した。
エレベータを使わずに階段も上り下りができるようになった。
土曜、日曜はリハビリも休みだったので、外出許可をもらって工場に帰った。
私が帰ることは嫁しか知らなかったので、私が姿を見せたらみんなびっくりして歓声を上げた。
杖はついていたのだが、手術前からすると足が軽やかだったのを見て自分のことのように喜んでくれた。

仕事はしていたが、息子たちは苦戦していた。
材料の調達、機械の点検、整備、資材の確保などなど、この一番忙しい時に原材料を切らすことが一番駄目だ。すぐ手配して事なきを得たが、問題は松木がなかった。
親友の戸谷君に電話し、松木はあるか聞いたら、廃材があるとのことで、チェーンソーをもって急行した。



トラック一台分はあった。年内は大丈夫だろう。
杖をついての陣頭指揮である。夕方になったので、市民病院に戻った。
日曜日は10時から外出許可をもらい工場に行った。
貧乏性だろうかじっとして見ていられない。久々の現場だ。






やっぱり私にはここが一番似合っている。
11月11日、ほとんど杖無しで歩けるようになった。看護師を通じて、女先生に退院を進言してもらった。
ところがである。嫁が風邪と流行目(結膜炎)にかかっていた。「うわあーこれじゃ帰れんなぁー」ここ一番というときにいつもこうだこの嫁は。
翌日、看護師から、エコーの検査をします。それで血栓もなくなっていたら退院できますとのことだったが、2,3日居ることにした。
11月14日、血栓もなくなっていて退院の許可が出た。11月15日、3週間ぶりに娑婆に出る。息子たちが出迎える。”長いお勤めご苦労様でした。”
その日の午後、仕事は休みだったので、久々河浦の天空の碁会所に行くことに決めた。




突然の私の来所にみんなびっくりして、「いつ退院されたんですか」と聞く。「今日です。今日は碁会があっているなぁーと思うと居ても立ってもおられずに飛んできました。」と言うと、大爆笑。
夕方、今日は出所祝いだから、酒と刺身は用意してあるだろうと気持ちはしていたんだけど、「今日は刺身は何もなかった。明日買っとくので今日はこれで我慢しとって」と咳をゴホンゴホンとしながら言われると食欲もなくなってしまった。



次の日刺身が出たのだが、体調が悪いのだろ料理に力がない。



こういう時は何も言わぬ方が一番いい。

11月19日火曜日、いつものように晩酌をはじめていると、NHKの歌謡番組が7時半から始まった。広島からの中継で、オープニングに小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」が流れてきた。「オッ、懐かしい曲」と思い、一緒に声を出して歌ってしまったんだ!「幼い弟、行くなと泣いた♪男だったら泣いたーりせずに、父さんだけを大事にしてねー♪」それを隣で聞いていた嫁が鋭い目線で睨んでいる。ありゃしまった、本音を唄ってしまった。
  


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2019年11月24日

あの男が帰ってきた。(済生会脳神経外科編)

11月15日、無事退院してまいりました。
天皇陛下や国民の皆様には、何のご奉公もできず、おめおめと帰ってまいりました。又、友人知人親戚の方々など多くの人にお見舞いに来ていただき、大変恐縮くしています。
「こんな男でも皆さん心配してくださっているんだなー」と、改めて感謝しています。有難うございました。

さて、2週間の闘病生活に少しふれておきましょう。
手術は10月24日、AM8:30から始まり、当初は6時間くらいと告げられていましたが、8時間かかった。起こされ、目が覚めた。



家族の面会が許されたが、言葉は出ず、目でうなずくだけだった。
ICUに一晩いたが、地獄だった。



痛み止めを打ってもらったら、幻覚が現れ、虫とか爬虫類が巨大化して迫ってくる。文字が壁で動き出す。人々が次々現れ、大口開けて笑ったり、怖い形相で襲い掛かろうとしたりする。しばらくして「ハハァー、これは現実ではないな。薬物中毒の患者が見る幻覚とはこういうものかもしれない」と納得した。
汗はかくわ、喉は渇くわ、寝れないわで、本当に貴重な体験をした。
手術後3日目に点滴も外され、自由の身になった。食事も普通の食事が出るようになった。




5日目、介護士付きの入浴(シャワー)も許され、頭も洗ってもらった。すっきりした。
4日目からリハビリの予定だったが、まだ歩けそうになかったので、入浴後、車いすでリハビリ室に行った。




小柄で30代前半くらうぃだろうか、気さくなリハビリの女先生だった。
すぐ意気投合し、熱心に指導してくれた。翌日から午後のリハビリも始まった。午後の先生は40代くらいの体格のいい女先生だった。
この人ともすぐ意気投合し、手取り足取りして体をほぐし、いろいろアドバイスを受けながら、歩行訓練にいそしんだ。
リハビリ3日目には、杖をついて院内の廊下を歩けるようになった。「こうなればこっちのものだ。」希望の光が見えてきた。

朝昼晩と規則正しい食事、減塩、適度なリハビリ、血圧も100前後で素晴らしい。この病院食も悪くない。





暇な時は、詰碁の勉強とこちらの方も修行は怠らない。



入院10日目、毎朝3階病棟のサポートの先生が回ってくる。「貝川さん、血圧も体温も食事も完食で、血液検査も良く、100点満点です。」と言って、太鼓判を押して行かれた。
夕方担当医が回って来られた。「転院日が決まりました。11月7日です。」牛深市民病院が受け入れを承諾したようだ。
「先生、左足が少しむくんでいるようですが」と先生に見せると、「そうだね、念のためエコーで見てみよう」と言われ、翌朝エコーの担当の技師が来た。
次の朝、エコー検査の結果、左足に血栓が詰まっていることが判明。「今日から、血液サラサラの薬を飲んでください」との事だ。
肺や脳や心臓じゃなくて良かった。

別れの朝、朝食を済ませて、部屋にいると、リハビリの30代の先生が来て、「貝川さん頑張ってね。宇城彩館には明後日蒲鉾買いに行くから」
ありがとうと手を差し伸べると、固く握り返してくれた。
入れ替わりに、今度は40代の先生が訪ねてこられた。
「貝川さん頑張れたですね。向こうに行ってもあまり無理はしないでね」今度は彼女の方から手を差し伸べてきてくれた。この数日で我々には友情という絆が生まれていたのかもしれない。
やがて嫁と息子が迎えに来た。玄関まで車いすで行った。



3階の脳神経外科病棟の皆さん、大変お世話になりました。

次回、牛深市民病院編へ続く

  


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2019年10月22日

決戦、脳神経外科

今年は台風の猛威が日本列島を吹き荒れた。



被災された方々には、心よりお見舞い申し上げます。
そんな中、ラグビーワールドカップで、日本のラガーチームが大活躍してくれた。




ラグビーとはこんなに素晴らしい競技とは知らなかった。
ルールも知らなかったし、ゴールデン番組での放送も今まで無かった。
日本国民に感動と勇気を与えてくれた。有難う。そして、お疲れさまでした。といつもはは乾杯するところだが、ここに1人うなだれている者がいる。

先般のブログ、整形外科放浪記(後編)で頭に腫瘍があることが分かった。髄膜腫である。この病気は、年間100万人に20人くらいかかる病気だとネットでわかった。
「20人に100万円が当たった」というなら、嬉しいのだが、なんで俺に白羽の矢が当たったのか。「神様が私に新たな試練を与えられた」と受け取るしかない。
いよいよ明日入院する。2日後は集中治療室に入っているだろう。
くしくも今日は、天皇陛下の『即位礼正殿の儀』が生中継された。






私は常に「私の体はお国にささげた体…風邪などひいて、もしもの時に役に立たなかったら、天皇陛下に申し訳ない」と健康には十分注意してきたのだが、一番大事な時、こんな病気になってしまった。非国民のそしりは免れまい。
各方面から激励の言葉や、お守り、お見舞いなど頂き、まるで戦地に赴く出征兵の心境だ。もう逃げられない。
今夜は宮中では「饗宴の儀」の晩餐会が行われている。
これが最後となるかもしれない我家の晩餐会はと言うと、「今日はほっともっとのカツとじでよかな!」と厳しい国防婦人会の言葉が飛んでくる。



永い間、小欄をご愛読いただきましてありがとうございました。
  


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2019年09月12日

新しい家族

9月2日早朝、長男から胸が痛いとのTELが入る。
すぐ市民病院へ行けと指示し、私も行った。
看護師に症状を説明し、すぐ心電図を取ってもらった。
その日は仕事をすることになっていたのだったが、仕事どころではないと判断し仕事中止の連絡をした。
9時半ごろ嫁が来たので、交代して朝食を食べに帰った。
12時過ぎ、嫁から「先生が説明されるので来てくれ」とTELが入り、病院へ行った。
「心筋梗塞の疑いがある」とのことで、今から救急車で地域医療センターへ緊急搬送しますと、説明された。
「ありゃ、これは大変なことになった。」嫁に救急車に乗ってもらい、次男はその後を追った。




私は役立たずなので工場に待機した。
4時過ぎ、次男からTELが入った。「心筋梗塞じゃなくて、急性心筋炎で、今集中治療室に入っている」とのことだった。少し安堵した。

9月5日、一般病棟に移され回復の兆しが見えてきた。

9月8日やっと退院になったのだが、長男には先月結納を済ませたばっかりの婚約者がいた。彼女は仕事が終わって毎日地域医療に通った。
不安で不安でしょうがなかったんだろう。その献身さが回復を早まらせたんだろうと思う。私も長男の顔を見てほっとした。
その足で2人は市役所に婚姻届けを出しに行った。結婚式は来年になる。

9月10日は長男の誕生だったので、ちゅうぼう隆にTELをしたら本日休業とのことだったので、海彩館に行くことになった。
貝川家の新しい家族を紹介しよう。
退院祝い、誕生祝い、入籍祝いで乾杯!そしておめでとう!



そこに蔵之元フェリーが入ってくる。夕暮れの時の静寂さに入港してくる光景は絵になる。木が邪魔だが。





どうか皆様この二人を温かく見守ってやってください。  


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2019年08月29日

引きこもりの人生

8月というのに、うっとおしい雨が続いている。
お盆前に、工場の前の空き地の雑草があまりも伸びていて、道路まではみだし、通行の妨げになっていた。
隣組の人たちも、私の所に苦情に来られるようになった。市の牛深支所にTELをして所有者に草を刈ってもらうよお願いした。
そしたら盆が過ぎたら、シルバー人材センターから刈りに来るとの連絡が入った。
盆過ぎてからは、雨ばっかしだったが、雨の晴れ間を見て刈りに来てくださった。よかったぁー。






8/23、次男の誕生日だった。今年はこの人に誕生日祝いにと電気カミソリをプレゼントされた。そのお礼にと思って、海彩館を予約して一席設けた。
「さぁさぁーお飲みなさい。おあがんなさいヨ!」「何歳になった」「29」「29歳かいいねー。にくまれ子世にはばかるか」「よせやい」「おっとこれは失礼」




いつもは楽しい飲み会だが、私が爆弾を抱えているので、皆が気を使って会話が弾まない。すまない。だから自然と引きこもりがちになっている。
45年前ぐらいだろうか、鶴田浩二に「傷だらけの人生」という唄があった。近頃この唄が脳裏にちらつく。
「♪何から何まーで真暗闇夜~、筋の通らぬことばぁかぁーり。右を向いても左を見ても~馬鹿と阿保~のだまし合い、何処に男の夢がある~♪」
日本、韓国の徴用工問題、香港、セブンペイ、煽り運転、リクルート等々。
日本と韓国問題にトランプ大統領が初めていいことを言った。
「日韓はいつも喧嘩ばかりしている。もっと仲良くしろよ!」と。少し好感が上がった。好感が上がらないのは私の体である。
歩くのはもちろん、立っているのもきつい。自宅から駐車場まで歩いている姿を人に見られたくない。
知らない人は「貝川さんがまた歩きよらす」「ヨボヨボして急に歳とらしたなー」「総合体育館に行って筋力トレーニングをすれば」と言いたい放題だ。
更に唄へ続く、「まっぴら御免と両手を振って歩きたいけど、歩けないー。いやでござんす、お天道様は日影育ちの泣き所~♪」と明るい時は工場でじっとして、暗くなってから行動することにした。これからは、引きこもりのケンちゃんと呼んでください。

事情通の話「オイ、オイ、夜はやめとけ!貝川さんが夜になると徘徊しよらすと噂が立つから」  


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2019年08月14日

閻魔大王と地獄の事情

風にも負けず、雨にも負けず、そして夏の暑さにも負けず、我々は仕事に精を出している。



この暑さで、機械も故障する。高価な機械なので、大事にしなくてはいけない。





我々、生産業者にとって盆はかき入れ時であるが、そこに台風がやってくると大打撃である。仕方がない。
今日は盆。仏壇の前で先祖の霊に手を合わせる。しばらくして、仏壇の前でうたた寝をする。
場面は、亀浦の精霊船を流す港である。見送りの鐘の音、念仏の声、多くの人であふれていた。私は用をたしたくなり、人気のない小道に入り用をたした。
帰ろうとすると後から次々と背中にリュック、手には一杯の荷物や土産を持った人たちが、小さな小道を先へ先へと歩いていく。
その人ごみに押され、私も中へ中へと押し流されていった。程なく歩くと、薄明かりが見えてきた。するとあれだけの人の波が居なくなっていた。
「おまえは誰だ。」という声が上の方からしたので、見上げてみると、2メートルはあるかという赤鬼、青鬼が立っていた。
両腕をつかまれ、閻魔大王様の前まで連れていかれた。




大王「おまえの名前は何という。」
「ハイ、カイガワケンスケと申します。」
大王「はてー?どっかで聞いたような?ま、よい、侍従官!この男の罪状を調べて見よ。」
侍従官「ハハアー」「この男は、20年前まで、飲む、打つ、買うの三拍子で、会社を倒産寸前にまで追い込み、いまだ閉店セールをやっている不届き者であります。」
大王「何!三拍子とな」「この男、すぐさま針の山に登らせろ!」
侍従官「大王様、この男、生前は針の筵で慣れていますので効かないと思います。」
大王「何!効かない」「それじゃ、火車に乗せて火あぶりにしろ!」
侍従官「大王様、誠に恐縮ですが、この男の会社20年以上火の車だったので、これも慣れて効き目がないと思います。」
大王「そうか、じゃ、煮えたぎる血の池地獄に落とせ!」
侍従官「大王様、お言葉ではございますが、この男事あるごとに嫁から煮え湯を飲ませれていますので、血の池に入っても鼻歌が出てくるかもしれないと思われます。」
大王「ウーム、忌々しい奴」
侍従官「大王様、今入ってきた情報によりますと、この男、生前は『石酔会』という碁の仲間の幹事長を20年やっていたそうです。」
大王「何!石酔会というと、あの佐々木又男、大田定、平田健二の荒くれ三羽烏!あいつらが来てからは、地獄の風紀が乱れ、鬼たちがほとほと手を焼いている。今この男が来たとなったら、一二祐介、城下等らが加わり、あいつらが勢いづいて、この地獄は収拾がつかなくなる。」
地獄にも法と秩序がある。おい、侍従!時にこの男なんでここに来たのか。
大王「何!手術をするくらいなら、死んだ方がマシだと」バカヤロー
オイ、死神、こいつを娑婆の入り口まで行って放り出せ!
死神の後について歩く「オイ、ケンスケ、お前に見せたいものがある」と言って火のついた蠟燭がいっぱい立っている所に案内された。
蠟燭には名前が書いてある。知っている名前もあった。
「この消えている蠟燭は」「今年亡くなった人だよ」
「今にも消えそうなのもあるね」「よく見ろお前だぞ」「ワーオ、ちょっと待ってくれ!」
「オイ死神、なんとかならないのか!」「あのな、物は相談だが、オレたちも昔は、24時間営業してたんだけど、働き方改革で、日が沈んでから夜明けまでとなって生活が苦しんだ。ここに1本の蝋燭がある。100万でどうだ。これを持ってたら、100歳以上生きられるぜ!何も今払えというんじゃない。お前が死んで保険が入るだろ。その時払えばいいんだ。だが、この事は誰にもしゃべるな!それがバレると日本死神協会から永久追放されるからな!」
「オイ死神、俺の話も聞け!死んでから700万はもらえる保険にかかっていたが、100万ぜひ要ったので、保険から借りた。そしたら、死んでからもらえる金は500万になっていた。なぜ?100万はどこにいったんだろ。あくどい事をするねーJAは。」
普通は死んだらみんなチャラになるんだが、お前は死んでからも借金を負うた。それがお前の人生さ!おっそろそろ出口が見えてきた。あばよ、達者でな!
出口が明るくなって来た!
その後から死神が一言声をかける。
「オイ、ケンスケ、外は明るいから、蝋燭の火を灯しているのはもったいないんじゃないか!」と、
「アッそうか」とおもってふぅーと消す。
………携帯の音で目が覚める。北海道の友人の訃報が入る。  


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2019年07月31日

土用の丑の日

7月22日、河浦の天空の碁会所で月例会があった。
8名の参加者で行われた。今回は、M氏は法事で不参加だった。
私もいつまで打てるかわからないので、精一杯頑張って打った。
そのせいだろうか、全勝で優勝することが出来た。3連覇である。
五段、六段、七段を倒しての全勝だったので、価値が大きかった。




7月27日は、全国的に「土用の丑の日」である。
この時期が一番貧乏なんだよな、我家は、チラシを見てみると、どこのチラシにも一尾2000円以上ばかりだ。
嫁に高いと思うなら、買わなくていいよ。と言って、諦めていた。
夕方、お膳に座ると、やっぱりなかった。
「貧乏を常とする身には、贅沢」と思って、刺身とポテトサラダをつまみに飲み始めた。
すると、醤油の甘がるい匂いが漂ってきた。
これはまさか?「そのまさかですよ」と言って、ウナギが二切れ出てきた。



うわー、嬉しかったなー。一尾を3人で食べることになった。
やっぱり土用はウナギでしょう。
名奉行、大岡越前にウナギにまつわる、名裁きがある。
ある男がウナギ屋の前で白ご飯を片手にウナギのかば焼きの匂いだけで、2,3杯食べる。
毎日繰り返すので、ウナギ屋の亭主が頭にきて、金を請求する。男は匂いだけでだから払わない。
とうとう亭主が奉行所に訴える。
両方の話を聞いたお奉行様は、亭主の言う通り、金六文を男に払うように言い渡す。
男はしぶしぶお奉行様に六文を渡す。
お奉行は、この金六文を袋に入れて、亭主の前で上下に振って音を聞かせた。
そしてこう言った。「この男は、匂いだけで、食べた。あなたも六文銭の音だけを受け取りなさい。」と。
流石は名奉行、感服した。

もう一つウナギにまつわる話を
戦後、昭和天皇が地方巡幸された時、とある旅館でウナギが出された。
大変気に入られ、そのことを、詠んだ川柳がある。
「うなぎとは、かくもうまいものかと、宮殿下」
それが全国に瞬く間に広がり、全国のウナギ店のメニューの横には、この句が掲げられていたとか。
身分を問わずウナギの旨さは万国共通らしい。  


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2019年07月24日

夏の風物詩

梅雨明けを気象庁が宣言した。さぁー夏本番だ!
とは言っても、鬱陶しい天気が続く。
病気のことばかり考えてもしょうがない。そんな中、今月の上旬、梅雨の晴れ間を見て、友人が工場の周りの草刈りをしてくださった。
毎年恒例になっている。本当にありがたいことだ。



感謝の気持ちを込めて、海彩館で一席設けさせてもらうことにした。
ハイヤ大橋の見えるいつもの席でささやかなる料理を堪能してもらった。





綺麗になった刈り跡に友情の柿の木が姿を現す。



この柿の木は、今年やっと実をつけることができた。5,6個なっている。嬉しかぁー。



毎年奈良から柿を送ってくれる友人がいる。この事をもう少し柿が色づいたら報告したいと思っている。
「桃栗三年柿八年という」何!「子作り三年ガキ八人」だと、バカヤロー。

又、各方面の方々より、いろいろ頂き物があった。
まずは一貫目もあるスイカを長島の従兄から頂いた。





スイカといったら、夏の風物詩。仕事の合間を見て、皆に出した。
「うまひ、うまひと言うて喰ふ」その姿を見ている時が、私は一番幸せである。
もう一つ、長男の同級生の親父さんが、自分の畑で取れた夏野菜をいっぱい持ってきてくださった。
「うわーこんなに沢山!」感謝、感激、神、あられ。



かぼちゃ、ピーマン、オクラ、キュウリにナス、ゴーヤにヘチマとはいかないが、皆、夏野菜の代名詞だろう。皆様のあたたかいご支援と友情で私たち家族は生かされている。本当にありがとうございました。

ところで、「五月みどりのヘチマの唄は知ってるか?」て、
「知らない。」「どんな唄だ、唄ってみろ」
「ヘチマなら来てよねー私寂しいのー♪」
………あーあー聴かなきゃよかった。  


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2019年07月18日

整形外科放浪記(完)

江戸時代の川柳に、だれが詠んだかわからない不詳の句がある。
「寝ては覚め、覚めては喰ふ、世の中に、死んでみるのもまた余興」
すごい人がいたものだ。私はまだそこまでの悟りは開いていない。

7月1日、済生会病院に行く。この日は嫁に運転してもらった。
済生会は5年ぶりである。2回の不整脈の手術をして、完治している。
またこの病院を訪れるとは、夢にも思っていなかった。
脳神経外科の前で名前を呼ばれるのを待った。




「貝川さん、中へお入りください」と呼ばれ中に入った。
先生が椅子にドーンと座っておられる。「アレーどっかで見たような人だなー」と記憶をたどる。「あっ、財津一郎を若くしたような先生だ」と心の中で思った。先生の説明が始まる。

「良性の脳腫です。」頭と脳の間に3.5㎝の水が溜まっているとのことだった。
「ワァー良かった。脳腫瘍じゃなくて」一瞬安堵した。
さらに続く、「これは手術しないと治りません」と。
「入院の日数は、どれくらいかかりますか?」「10日はかかります」
「今は盆前で仕事が忙しいので、盆が終わってからできませんか?」
「大丈夫です。急ぐ必要はありません。来年でもいいです。でも足元には気を付けて、躓いたり、こけたりして骨折しないように注意してください。」とのことだった。
盆過ぎにもう一度造影剤を入れて、MRIを撮ることが決まった。その後手術の日程が決まるだろう。
診察室を出ようとドアに手をやったら、後ろの方で、「ピアノ打ってちょうだーい♪」という声が聞こえたような気がする。

ちなみに風呂場の下血事件は、1週間の間に熊本を往復3回もして、座りっぱなしで元々痔病を持っていたのだが、酒を飲んだことで爆発したんだろう。
その後出血もしていないので、心配していた大腸ガンや直腸ガンではないだろうと思う。

歳も70歳くらいになると、体のあっちこっちに病魔がはびこる。
皆さんも体の異変を感じたときは、いち早く大きな病院で見てもらうことをお勧めします。
当店は今「私がもし死んだら」というシミュレーションのもとで、くんせいの作り方、調味のレシピ、帳簿、等々、2人の息子たちがやっと本気で取り組んでくれだした。
病気はつらいがこのことが一番うれしい。
つたない放浪記、4編でしたが、皆さんにはご心配をお掛け致しまして誠にすみませんでした。
また多くの人に小欄を見ていただき、ありがとうございました。

アイシャルリターン  整形外科放浪記 完  


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2019年07月14日

整形外科放浪記(後編)

「雨が降ります雨が降る~遊びに行きたし金は無し~♪」
雨が降るのは仕方がないが、洗濯物が乾かないのが、全国万人の共通の悩みだろう。

6月27日、再度機能病院に行く。



この日も長男に運転してもらった。
昼食を済ませ、神経科の前で待った。しばらくして呼ばれ、ベッドに腰かけさせられた。
先生一人と、技師二人で問診から始まった。
「いつごろからこの症状は始まりましたか?」「え、いつからだろう?」
今年に入ってからだったか、それとも去年の10月ごろだったか、記憶をたどるが曖昧である。
「そこが一番大事なんですから」と次々に質問がくる。まるで警察の取調室みたいでパニックになった。

「スミマセン旦那!実はみんな私がやりました。」と白状しそうになったが、堪えた。
「強情な奴め、だが次の拷問できっと口を割らせてやる」と言わんばかりにベッドに寝かされた。
「貝川さん大丈夫ですからね。怖がらなくてもいいですから」と言って、「まずは電気を通します。ピリピリしてきたら手を挙げてください」
次は頭から電波をあてまーす。「カチッ」と音がした瞬間、体が「ドーン」と宙に浮くんだねー
すごい衝撃波だった。最後でーす。と言って、ふくらはぎの所に針を左右1本ずつ刺して検査をした。すると隣の部屋でモニターを見ていた先生がすぐ入ってきて、「貝川さん、神経は大丈夫ですが、脳梗塞の疑いがある」と意外な容疑者の名前を口にされた。
「うわぁーえらい事になって来たなー」もう4時を回っていた。「牛深へ帰って出直すもねー」と思い、「先生!ここで脳のMRIを撮ってもらえますか?」と言ったらすぐMRI室にTELをくださった。空いていたのですぐ撮ってもらった。

神経科の前の椅子に座って待っていると、「中へ入ってください」と呼ばれ椅子に座った。
パソコンにMRIの頭の画像が出ていた。「貝川さん、真犯人が見つかりました。脳梗塞ではなくてよかったですね。とは言っても、右頭部に白い大きなものが映っていますがこれが何か…」
「脳腫瘍ですか?」
「うむー」と考え込む
「左足に命令を出すところに白いものがあり、圧迫してうまく命令が伝わっていないと思う」と言われた。
「じゃ、脳神経外科を紹介してください」日赤か市民病院…済生会病院はどうでしょう。
「おっそれでいこう。さっきから済生会が出てこないかなーとうずうずしていたんだ本当は。」じゃ紹介状を書きます。
そして済生会病院にすぐTELして担当の先生の予約もとって下さった。7月1日に決まった。
「ここの整形の先生には私から伝えておきます。」と言って紹介状とCDを渡された。
そこへ看護師Sさんが通りがかり、「良かったですね、原因がわかって、お気をつけて帰って下さい」と。
私も「お世話になりました。」と立ち上がり帰ろうとする耳元で「また来てね」とささやく、「来るかぁ!」

帰りの車の中で考え込む。「脳腫瘍かぁー、でも腫瘍にしては白い影が薄かったなぁー」とかすかな望みをつなぐ。
家につき、2,3杯ロックをあおる。気もまぎれたところで、シャワーをあび、下着を着始めたのだが、風呂場前の床に血が一滴落ちている。
「おーい、これは血ではないのか」と声を出すと、息子がすぐ来た。風呂場を開けてみる。腰かけと簀の子に血がついている。バスタオルも見た。バスタオルも血がいっぱいついている。「下血はやばい。これは大変なことになったぞ。」どちらを優先すべきか心配する息子を傍らで天を仰ぐ「嗚呼、68年の生涯だったかー」

・・・・・続後編へ
  


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2019年07月07日

整形外科放浪記(中編)

6月24日(月)この日は河浦の天空の碁会所の月例会になっていた。
入院したらもう碁も打たれないだろと思って出かけた。
1回戦にM氏と当たった。この頃メキメキと腕を上げてきている強敵だ。
99.9%負けていたのだが、なかなか殺してくれない。次の一手で投了しようかなと思っていたら、そっぽを向かれた。「ありゃー?」彼は「トントンの筋」を見逃していた。「ワァー」と悲鳴が上がる。M氏にとっては、鍋もそろそろ煮えてきた。うまい酒もコップに注いだ。肉もたっぷり入っている。さぁー食べようと箸を延ばした瞬間、左足の悪い男にテーブルごとひっくり返されたような心境だろう。この場を借りて深くお詫び申し上げます。
5月、6月と連覇できたのはひとえにM氏のおかげです。





6月25日、機能病院に行く日だ。この日は、長男に運転してもらった。予約なしなので、早めに出かけた。3人で昼食を済ませ、順番を待った。



ここの脊髄の先生は有名で、ほとんど予約で埋まっていた。
まもなくして呼ばれ、中に入った。「さぁ、今日こそ原因がわかるだろ」と椅子に座った。机の上のパソコンには、脊髄のMRIの画像が出ていた。
先生が説明を始められたが、私は耳が少し悪いので、聞き取りづらかった。「先生!私は耳が遠いので、マスクを取って話してもらえないですか?」と言ったら、快く外して説明してくださったのだが、画像を見る限り、それが原因で左足がマヒする要因が見つからないと言って、足がピリピリしないか、痛くはないか、しびれはないか、検診されたが、正常だった。
すると先生が、「いやー私は、2000人ほど手術してきたけれど、このような症状は初めてです。これは難しい」と言われた。
私は喜んでいいのやら、悲しんでいいのやら、一抹の不安にかられた。
「これはひょっとしたら、他の所に原因があるかもしれない」と言われた。
「明後日27日(木)に神経科に良い先生が来られるので、その先生に診てもらったら」と勧められ、紹介状を書いてもらった。
ありゃー、これは面倒なことになってきたなー
予約票ができるまで、ロビーで待った。
すると看護師Sさんが来て、これからの予定の説明をしたのだが、さっき大先生に対して「マスクを外してしゃべってくれ」と言ったのを見ていたせいかどうかはわからないが、緊張していた。
「次の予約は、6月2日にされますか、4日されますか・」と
「アレー?6月2日は過ぎているのじゃないですか?」と切り返す。
「あっ、すみません。7月の間違いでした。」
そして、神経科の予約票を手渡されたのだが、日付を見てみると、「アレッ、これは5/27になっている?」と嫁がつっこむ。
「アッ、すみません、すみません、6/27の間違いです」と目を潤ませて謝る。
「バカヤロー、2発もボケかましやがって。」肩をバシッと叩く。
「俺はなー、今度こそはカタギの病人になろうと思って、腹をくくって来ているんだぞ。それを何だいボケかましやがって、決心が揺らぐじゃないか!」
すっかり病気のことは忘れ、帰路についた。  


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2019年07月03日

整形外科放浪記(前編)

6月の第3日曜日は全国的に「父の日」であるが、「母の日」よりも弱い。
我が家でもゆめマートの安くなった寿司で祝ってくれた。



長男と嫁から、それぞれシャツのプレゼントがあった。ラッキー。



酒飲みの小黒柱ではあるが、父と思っていてくれていたのが嬉しかった。

6月20日。今年に入ってから、左足に異変があるのに気づいてはいたが、歳のせいだろう、腰からきているのだろうとほったらかしにしていた。
ズボンがはけない、スリッパも履けないし、履いてもスリッパから足先がぬけない。左足に命令が伝わらない。これはいけないと思い、市民病院の整形外科に行った。
予約していなかったので、待合室で待ったが、10時に行って、1時半まで3時間半も待たされた。やっと呼ばれ、中に入ったが、先生と看護師から「すいませんねー長く待たせて」と詫びられた。
私が「大丈夫ですよ、私は結婚してから、とても我慢強くなりましたので」と皮肉った。先生がニヤリと顔を緩め、嫁を知っている看護師は笑いをこらえ、肩で笑っていた。(この男、病院でもギャグを飛ばす不謹慎な男である)

症状を伝え、腰のMRIを撮ってもらった。すると脊髄の5番目の骨が前にずれていた。「あーこれが神経を圧迫しているかもしれない」と言われ、「ここで出来ますか」
「いやここではできないでも早い方が良い、麻痺が始まっている」
「じゃ、紹介状を書いてください」
「もちろん!で、どこの病院に行きますか」
「じゃ、熊本機能病院で」
ということで、市民病院を後にした。

翌日嫁に運転してもらい、熊本へ向かった。
12時には着いたが、1時からの受付だったので「まずは腹ごしらえをするか」と食堂に向かった。





受付を済ませ、診察室の前に座ったのだが、ここでも待たされた。
やっと呼ばれ、中に入ると、私は足専門ですので、脊髄専門の医師は火曜と木曜になります。でも予約で埋まっていますが、間に入れてもらいますかと、「ぜひ」と予約を取ってもらった。
6月25日に決まった。「TELして行けばよかった」と後悔しても後の祭り、帰り有明海の見える手前の住吉の所で、電車が見えた。記念に一枚。



今日は嫁に悪いことをした。
  


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2019年06月19日

間寛平と菜々海のぶらっ旅ロケ(牛深編)

6/14、前日の写真プリントを頼んでいたので、牛深カメラにもらいに行った。
すると店の前になぜか人だかりができていた。「アッ車が入れないや、じゃ後で来よう」と思い海彩館へ引き返すことにした。
所品の在庫調べに中へ入ったら、店員の方が「アヨ貝川さん、もちょっと早うけば良かったのに」と言われた。
「うん?何の事」と尋ねると、「間寛平さんが来て、皆でハイヤ節を踊ったとヨ」と言われた。
「じゃ、あの人だかりは寛平ちゃんだったのか」と思った。
間に合うかもしれない今なーらァ♪と唄の文句じゃないけれど、いつもの野次馬根性が頭をかすめる。
足はびっこ引いてるが、こうゆうことになると早いんだこの男は。

牛深カメラの前は、まだ人がいたので、岡田蒲鉾店の少し手前に駐車した。
車の中から様子を見ていたが、「確かに寛平ちゃんだ。」




スタッフやカメラマンも岡田蒲鉾店の方へ移動していった。
私も車から降りてロケ風景を見学することにした。「さぁーロケ風景をどうぞー」






外は小雨が降っていたが濡れるほどではなかった。
エンディングを撮るところになって、岡田さん家族が店の前に集められた。



するとADさんが、「どうぞどうぞ、皆さんも中に入って良いですよ」といって、私も中に入れてもらった。
するとディレクターさんらしき人が、「皆さん一緒に、熊本、いいの、いいの、牛深もよかぞーと言ってください」と説明があったが、「うん?牛深もよかぞーじゃなく何かないかなー」と首をひねった。
私が「牛深もよかばいはどうですか」と言ったら、「おっ、それでいきましょう!」と言って、カメラの前で5秒前のカウントを始めた。
みんな猫のポーズで、「熊本、いいの、いいの、牛深もよかばーい」

この放送は、7/2(火)午後7時、TKUで放送されるらしい。  


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2019年06月15日

酒場放浪記(ちゅうぼう隆編)

6/13は県庁販売に行った。嫁と息子で行ったのだが、息子は1週間前にぎっくり腰をやり、やや痛みが残っていた。
次男は、鹿児島の友達の所へ一泊泊まりで出かけた。
私は1日留守番だった。独りでいると、邪な妄想が駆り立てる。「今日はちゅうぼう隆に行こうかな。それともイタリアか」等々計画を立てながら、県庁組が帰って来るのを待った。

息子はまだ腰が痛いとのことで、二人でちゅうぼう隆に行くことになった。


座敷も空いているとのことだったが、2人だからカウンターを予約した。
のれんをくぐって行くと、奥の止まり木が2つ用意されていた。
座ろうとしてふと後ろの座敷を見ると、見覚えのある顔があった。「オオッ」と互いにびっくりする。
40数年前、バンドを組んでいた時のギターリストだった。
彼はエレキギター1本と歌唱力で全国制覇を成し遂げた男だ。今も現役で数々のステージに立っているという。
正に、牛深が生んだ矢沢だ!
これからも牛深のために是非活躍されることを切望して止まない。代表曲に「ロックハイヤ」がある。

さて、話を止まり木の方へ戻そう。
「まずは生で!」お通しに麻婆茄子が出てきた。これがうまかった。
刺身を1人前と、牛肉を二人前オーダーした。そしたら、次々と座敷のお客さんたちが入って来られた。厨房の中がにわかに慌ただしくなった。
中々我々の注文が来ない。催促しないのが、ご常連のマナーってものだろう。
さっきのお通しの麻婆茄子を二つ、これでしのぐ。まだ来ない。
島美人のロックに切り替える。まだ来ない。フーテンの寅の口上じゃないが、「やけのやんぱち、日焼けのなすび、色が黒くてかみつきたいが、私しゃ入れ歯で歯が立たない」と、3回目の麻婆茄子を注文したところへ、やっと出てきた。
ロックンローラーと会ったせいだろうか、3杯目のロックに入っていた。
やっと満面の笑顔を湛えることができた。






するとカウンターの方にボチボチとご常連が座りだした。
そろりそろり帰り時である。嫁はノンアルコールだったので、車を取りに行った。止まり木に座っていたせいだろうか。なぜか足が千鳥足になっていた。  


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2019年05月17日

とれたて市場10周年感謝祭

もう2週間も前のことになったが

4月27日、28日、とれたて市場で10周年感謝祭が行われ、我々ハイヤ産直隊も出店することになった。
1日目の土曜日は「天気晴朗なれど波高し」だった。



風が強くてとても寒かった。
9時過ぎたら、ステージで催しが始まった。
本渡中学校の吹奏楽部の演奏や、16歳女子高生のドラム演奏とかが行われた。





今の子供たちは、楽器に恵まれててうらやましい。
11時頃になると、恒例の豚汁の無料配布があり、さっそく二人分もらって来たのだが、お客さんが居て食べられなかった。しばらくして食べたが、冷めていた。



植木スイカの試食販売、黒毛和牛の試食には行列ができた。




午後からは上天草のよさこい連の演舞が行われたが、風が強くて大きな団旗を持っている女性の方が支えきれず、この後旗を収納した。



MCの河口さんも一緒に楽しそうに踊っていた。



演舞が終わると、とれたて市場開店から500万人目というラッキーな親子さんにJA組合長の川口さんから記念品贈呈が行われた。



そして本日のメインゲスくまモンの登場である。くまモンの人気はすごい。どこへ行っても人の山である。仕草を見ていると大人も子供もつい笑ってしまう。




最後の餅投げには、くまモンも参加して投げた。
帰り際くまモンに、嫁が当店の蒲鉾の詰め合わせを持たせた。手を合わせて喜んだ。
寒くて長い一日が終わった。2日目は嫁と息子で行ってもらった。
久々のイベントに参加したが、なんも役にも立たなかった。老兵は去り行くのみだ。  


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2019年05月12日

おくばせながら新年明けましておめでとうございます。

世の中は、10連休と言うのに当店は、4/27~5/8まで休みなしで仕事だった。
その疲れが残っている。5月病かもしれない。

先月の半ばに、昨年秋に北海道の友人親子さんが牛深を訪れた。
その娘さんから東京から北海道へ転勤することになったとのことで、お酒が届いた。
開けてみると純米吟醸酒とカラフルな酒が入っていた。
つまみにとチーズの粕漬け風のが2ヶ入っていた。流石気が利いてる。



もったいないから何かの記念日の時に飲もうと思いおあずけとなった。

そして4月30日、陛下が退位されることになり、平成が終わりを迎えた。「よし、この日に飲もう」と決断!
まずは、純米吟醸酒から頂くことにした。千葉産の酒らしい。家族で一杯ずつついで味を見てもらった。
まちきれず、私もおもむろに口に含んだ。「プワーうまい。やっぱり記念日にはこういう酒に限るねー」
家族も美味しいー、うまいねーとうなづく。



気を良くしたところで、テレビ桟敷に陣を取り、終わりゆく平成最後の陛下のお言葉をご拝聴しながら自分の平成時代を振り返ってみた。
私には激動の平成時代だった。
明治、大正、昭和と日本は戦争が続き、多くの人々が亡くなったが、この平成時代は戦争もなく平和であったのが一番良かった。
だが、戦争はなったが、この30年の間に、両親、親戚、友人、知人多くのかけがえのない人を無くしてしまった。しかたがないところだろう。

そして5月1日、新天皇が即位され、令和が始まった。



この日はもらった酒飲もう一本の方を飲むことにした。
この酒は日本酒だが、ワインに近い味だった。フルーティーといったところだろう。これもうまかった。



こうやってうまい刺身やうまい酒を飲んで幸せに暮らせて行けるのは、平和のなせるワザだろう。



江戸時代の狂歌作者、元木網(もとのもくあみ)に一首がある。
「汗水をながして習ふ剣術の役にも立たぬ御代ぞめでたき」
平和のおかげで、現在の繁栄を築いている。
御代ぞめでたき令和であってほしい  


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2019年04月17日

今ハマっている事

目に青葉、山ホトトギス、初ガツオ。
初夏の日差しになってきた。今年はさくらを楽しむ間もなく、あっという間に春が過ぎていった。



その中で、工場の椿の花が満開を迎えた。400は下らないという花の多さよ。所狭しと咲き誇った。



樹齢四十年、毎年春になるとこの目を楽しませてくれる。椿の聖霊に感謝申し上げる。

感謝申し上げることがもう一つ、4月4日にサプライズが起きた。
「おやじさん、はいこれ。あんたが欲しがっていたもの」と言ってわたされたものを見てみると、なんと電気カミソリだった。



さびしい誕生日の時、「元気を出せ」と一言言った次男がまさかのサプライズであった。うれしかったー。さっそく使わせてもらった。
石鹸も使わず、ただ顎に当てているだけでそれていくというすぐれ物。「え、それが電気カミソリって」知らなかった。まさに恐るべき(お、剃るべき)。
流石は我が息子、大事に大事に使わせてもらうよ!


話は変わるが、今ハマっていることがある。
普通刺身といえば、しょうゆで食べるものだが、これをオリーブオイルで食べている。
10数年前、大阪のとある料理店でオーダーしたカルパッチョが、うまくてうまくて、その味がとても忘れられずにいた。
ある日嫁が、野菜の上に刺身を乗せてオリーブオイルをかけて出した。マズイ!「オイ、塩胡椒を取ってくれ」と言って、かけたら食べられた。
アッこれだと思いついた。小皿にオリーブオイルを注ぐ。そこに生にんにくの刻みおろしを少々入れる。そして刺身には塩胡椒をあらかじめ振っておく。一口ほおばる。それを球磨焼酎繊月のお湯割りで流す。至福のひと時である。





白身(タイ、ヒラメ、サーモン)の魚は美味しいが、アジ、イワシなど青身の魚はうまくない。
欠点は、口元に持っていくまでにオリーブオイルが1,2滴落ちることだ。
横に台ふきかティッシュを置いとくことが大事である。

興味のある方は是非お試しあれ。  


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2019年04月07日

奴隷二人の記念日

「働けど働けど、我暮らし楽にならず」、石川啄木の歌にある。
彼は赤貧だったが、貧乏性とは違っていた。貧乏性とは、貧乏ではない。辞典で調べてみると、「ケチケチしてゆとりのない生活や、考え方をする性質」とある。
またしてもゴーン会長が逮捕された。数十億も持っている人が、結構式披露宴費用620万ほどをルノーにつけ回したという。
クルーザーや家族旅行費などなど、これほど貧乏性という言葉がぴったりの人はいないだろう。
赤貧まではいかないが、啄木の歌を愛唱している我が家の結婚記念日が、3月30日海彩館で行われた。一人は、消防団の歓送迎会でこれなかったので、3人で行った。日頃、食事、洗濯、売出しと頑張ってくれている嫁に感謝しつつ、日々の悪行を反省しつつ、ささやかな食事会を開いた。





2人の主人と2人の奴隷との関係が31年も続いている。そこに尺取役が1人現れた。夫婦げんかで口もきかないとき、彼を通して皇后陛下に奏上してもらうのだ。
この日は結構お客さんも多かった。何かさえない!消化試合のようにも見える。帰り際、嫁に似たくまモンが笑顔で見送る。



口下手な二人だが、くまモンの笑顔に救われた。  


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