2020年05月25日

朝鮮アサガオ

アサガオにつるべ取られてもらい水。
朝、出勤しようと外へ出たら、団地のフェンスにアサガオが咲いていた。
紫がかった青の鮮明なことよ。これはひょっとしたら、朝鮮アサガオじゃないか。



何で朝鮮アサガオと特別に呼ぶんだろ?と調べてみると、ナス科の一年草で、有毒で、特に種子には猛毒があると書かれている。
別名きちがいなすびとか、まんだらげとも言うそうだ。あぶない、あぶない。
朝鮮と言うと、昔は差別用語に聞こえていた。戦後は徴用工として、朝鮮半島から連れてこられた人たちが、そのまま日本に帰化した。いわゆる在日朝鮮人である。
小欄が小学生の頃も、いじめとか差別があっていた。
「朝鮮、朝鮮、パカするな!同じ飯食ってトコちがう!」と反発の言葉が返ってきた。次男が小学生のころ「そういうこともあっていたんだよ」と教えたら、その後次男は嫁から注意されるたびに、「朝鮮、朝鮮パカするな!人の飯食ってトコちがう!」と反発するようになった。
オイオイ、人の飯食ったらいかんだろー。
この頃からユーモアのセンスが開花し始めていた。
相変わらず、巷ではコロナの話題ばかり、3密は駄目だ、ソーシャルディスタンスとか、あたらしい言葉を聞くようにもなった。
そんな中、毎週月曜日、行きつけの床屋さんから囲碁のお誘いがあり、出掛けている。




みんな家から出られないので退屈なんだろう。
仕事はないし、毎日吉田亭とか床屋さんに行って囲碁は打てるし、思い出した時、ブログを書くし酒も飲もうと思えば飲めるし、老後の前倒しで謳歌しているようである。
でもそんな生活は永く続かないのが常である。
3密が駄目ならせいぜいあんみつを食べ、壇蜜のエロチズムを想像しながらコロナの厄除けとしよう。

(笑いは百薬の長)
(第2話)
船が難破し、乗客は近くの無人島に漂着した。助かったのは、女性10人に男性は1人だった。
女性は島の表側で男性は島の裏側で生活することになった。
そんなある日、女性の代表が二人やってきて男に告げた。「この島の女性全員が投票した選挙の結果、あなたがこの島で一番魅力ある男性に選ばれました。」と。

(第3話)
ある会社の重役が12時になると向こう側のレストランで昼食を食べに行くのが日課であった。
そこに行くには信号機のある交差点を渡らなければ行けない。
その信号機の所に、みすぼらしい服装で靴ひもを打っている男がいた。
シートを広げ靴ひもを並べ、どれも10セントと書かれた立札が1枚とその横に空き缶が置いてあった。
重役は哀れと思って、10セントだけ入れて靴ひもはいつももらっては行かなかった。
ある日、いつものように10セントを入れて、横断歩道を渡っていたら、後ろから「だんな、だんな」呼ぶ声がしたので、振り返り「何か用かね」と聞くと、「だんな、すみません。今日から15セントに値上がりしたんで。」  


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2020年05月13日

母の日と誓文払い

「誓文払い」という陰暦10月の行事がある。
かっては、色町の遊女が商売の駆け引きで、客に嘘をついた罪を神仏に詫びた。お祓いを済ませ一安心、また1年の間、手練手管の嘘に身を任せたという。
小欄は、神仏に詫びるような罪はないが、我が家には「山の神」という怖い神様がいる。5月10日の「母の日」をうっかり忘れていた。1日前に気付いたからよかったが、慌てて「ちゅうぼう隆」に予約を入れた。毎日、朝昼晩の食事の準備、洗濯、仕事の手伝い、売り出し、銀行関係はては、布団の上げ下げまで、体の休まることはない嫁の、その労をねぎらって、何一つしない罪滅ぼしにちゅうぼう隆で一席設けた。
いつも賑わっていたちゅうぼう隆だったが、コロナの影響で、我々だけの貸し切りであった。どこも大変だった。
若嫁からは、カーネーションが届いた。みんなでお母さんありがとうの乾杯。





母の日を無事済ませて一安心、また1年の間、囲碁や真珠会社の修行に身を任せるこの男は、どこか色町の遊女に似てないでもない。
お籠り生活が続いている人の少しでも慰みになればと、今日から少しだけ笑える噺を書いていきたいと思う。

笑いは百薬の長(その1)
「駅通便」や「飛脚便」などいくつかの案の中から、「郵便」という呼び名を選んだのは、郵便制度の父、前島密(ひそか)である。
今では知らぬ人のないこの言葉に戸惑った人もいたらしい。
街角のポストに書かれた「郵便」の文字を「タレベン」と読んだ人が居た。「タレベン」の横には「差入口(さしいれぐち)」と書かれた穴がある。
これをじっと眺めていた人いわく、「日本人には差入口の位が高すぎやしないかと」制度ができて間もない1872年(明治5年)の東京での実話である。  


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2020年05月05日

5月5日の花会

「屋根より低いこいのぼーり、大きな真鯉はお母あーさん」
5月5日今日は端午の節句。全国的に子供の日であるが、今年はどこにも連れて行ってもらえない。



籠城生活もやがて1ヵ月。コロナに包囲されて、その内軍資金も兵糧も尽き果ててしまうだろう。早く10万円が出てほしいものだ。
先々日デジカメを見ていたら、次男が中学生の時描いた絵が県立美術館に展示された時の写真が出てきた。そこには親友の祐の字が写っていた。
二人のツーショットはほとんどない。






先日祐ちゃんの夢を見た。スーツ姿になぜか青いののこを着ていた。
祐ちゃんは、白飯を山盛りにして、口にほうばっていた。
俺も白飯を食べたが全然味がしない。その横におふくろさんが白い服を着て立っていた。この人と子供の日には特別な思いがある。

20年前に遡るが、親友の祐ちゃんから、案内が来る。「今日1時から俺ん家の二階で花会をやるから来ないか」と子供2人に伝えると行く行くと大いに喜んだ。長男が小学5,6年のころだったと思う。二階に上がってみると、祐の字と、一麻さん親子が待っていた。
中央に白い座布団が1枚、その上に真っ新の花札が1ヶ置いてあった。
まずは千円出して碁石10ヶをもらう。それから親決めである。「オイどんはインチキせんでない」と言いながら始まる。
さーこの遊びはオイチョカブと言って、テレビがなかったころの遊びで、主に漁師やヤクザ、それに不良仲間の間での賭け事として流行った遊びで、一般社会の人たちは、それをする人を白い目で見ていた。フーテンの寅にも出てくる寅の口上がそれである。「サーサーはったはった。はって悪いはオヤジの頭、はらなきゃ食えないチョチン屋」「参参六方引け目無し」「ハッピクルクル車屋のカブ」「ニーサンヨッテらっしゃい女郎屋のカブ」といった具合にとても語呂合わせがうまくできている。

次男に幼稚園の頃、エピソードがある。ある日幼稚園に迎えに行くと、園長先生が私の所へきて「公ちゃんのお父さんにお願いがあるんですけど」なんでしょう?「公ちゃんに花札は幼稚園には持ってこないように言ってもらえませんか」雨の日は外で遊ばれないので、教室の中でゲームとかトランプとかして遊ぶのですが……花札を園内でされるとちょっとですねー
ははーん、あいつのやりそうな事だ。
次男は幼稚園に入る頃は、トランプ、花札、将棋、囲碁など、勝負事は皆一通りは覚えていた。だから幼稚園ではそんな遊びを知っている者はいないので、あいつの独壇場だったのだろ。

鉄火場も夕方まで熱気をおびていた。5時過ぎに下の方から「もうそろそろやめて下りてこんかー」とおふくろさんの声がかかる。
下りていくとテーブルを3つ並べた上には刺身、寿司、オードブルと子供用にジュースが用意されていた。
「うわーごちそうがいっぱい」親も子供たちも楽しい一日だった。それから2,3年は続いた。
今思うと子供に賭け事を教える親なんてなんと非常識な親とお叱りを受けて当たり前だが、20年も経った今でも5月5日なると、この事が思い起こされる。2人の子供もそうだ

4年前に祐の字、そして今年4月、一麻さんが他界された。小学生だった子供たちを1人の大人として接しくれたお二人に、心より感謝申し上げるとともに、ご冥福をお祈りいたします。


この前のブログのアメリカンジョークが難しいとお叱りを受けましたがお詫びとして、第3話を追加します。
おじいちゃんが病院に入院しているので孫がお見舞いに行った。おじいちゃんは酸素吸入器を鼻にあてていた。
「おじいちゃんお見舞いに来たよ。大丈夫?」とベッドの横に立って話しかけた。
「お!有難う、よく来てくれた。元気だよ」
としばらくするとおじいちゃんが苦しみだした。
孫がびっくりして「おじいちゃん大丈夫、僕、おじいちゃん大好きだから、何でも言うこと聞くから何でも言ってごらん」
「そうか、それでは1つだけ頼みたいことがあるんだが」「何でも聞くからいってごらん」
「じゃ、すまんが酸素吸入器のホースをのぼっているお前のその足をどけてくれんか」


  


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2020年04月28日

人類の敵コロナウイルスをやつけろ

”目に青葉山ホトトギス、初ガツオ。”本来なら薫風が吹き抜けて爽やかな季節なのだが、心が全然爽やかにはならない。
緊急事態宣言の後、不要不急の外出は控え、自宅で過ごせ、イベントは中止。飲食店、パチンコ店も休業、由緒ある祭りや行事の中止の報を聞くたび、ただならぬ歴史の一コマに立ち会っていると改めて思う。ならば、後世に誇れる記録を残せ!全世界の人類が英知を結集し、この人類の敵コロナウイルスといかに戦って、見事危機を乗り越えた実績を。私たちはその歴史の証人になるだろう。

”明けぬ夜はない。”気を取り直して団地の公園に行く。今年は「桜を見る会」も中止、それじゃせっかく咲いた桜に申し訳がない。記念写真を撮っては見たのだが、ホームレスのおじさんみたいであまりさえない。



午後からは吉田邸に碁打ちに行くのが日課になっている。そんな時、一通のハガキが届いた。「肥後本因坊の挑戦者決定戦が延期になった」との知らせだった。
このご時世だ。当然だろう、と同時にホッとした。人間の事情なんか知らない猫は幸せだねー



今年の税金の申告はしなかった。ノータッチだった。
次男が全てやってくれた。こんな日が来るとは思ってもみなかった。うれしかぁー。そこで税務署にかかわる小噺を2つ。
その1娼婦の場合
税務職員が女に尋ねる。「あなたはベッドとヒールを経費に挙げていますが、なぜベッドとヒールが必要経費なのですか?」

その2
税務職員が目的地までの道がわからず、道を聞こうと、とある家のドアをノックした。対応に出た奥さんがネームプレートを見るなり奥にいる主人に向かって「あなたーもうバレたわよー」と叫んでしまった。  


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2020年04月09日

我が家の緊急事態宣言

♪春が来た春が来たーどこに来た。山に来た里に来た野にも来たー♪といつもなら春を満喫している季節なのだが、今年はコロナウイルスの影響で大変なことになっている。
いつもなら、大勢の行楽客や、花見客で賑わう行楽地や桜の名所も閑散としている。
そんな中、工場の畑の雑草の中に黄色のチューリップが一輪咲いているではないか。



「よくぞ咲いてくれた」殺伐とした世の中に、咲く季節を忘れずに咲いてくれる花々の精霊に感謝申し上げる。どんなに心が癒されることか!
気を良くしたところで、午前中は仕事、午後からは吉田亭にそそくさと通う囲碁三昧の今日この頃であった。





3月の初め、熊日新聞社から肥後本因坊の天草予選の案内が来ていた。
4月5日本渡市民センターで、肥後名人戦と、肥後本因坊天草代表決定戦が行われた。
私はCパートで勝ち4回目の代表者出場権を獲得した。うれしかー♪
昨年も今年も吉田亭の主人とあたった。昨年は彼が行った。
その晩、吉田亭で祝勝会を二人で挙げることになったのは言うまでもない。




先日政府は、緊急事態宣言を発表した。だんだん人事ではなくなってきた。我が社も例にもれず、経営が落ち込んでいる。
そんな中、我が社は、4月から楽天に店を出すことになった。
次男も私も「なーんのうちみたいな店に注文は来ないだろう」とゆったり構えていたら、一週間の間に2件の注文が来ていた。オーマイゴッド!
これが当店の売り上げアップの起爆剤になればと少しは希望が膨らむ。
でもこのコロナウイルスはいつ終息するか全然見通しが利かない。あと1か月この状態が続くと我が社も緊急事態宣言になってしまう。
家族に小さな声で言う「夜逃げの準備をしとけ」とすると次男が、「お父さん、テレビで不要不急の外出は控えて、なるだけ自宅で過ごすようにと言ってるけど」………そうかー  


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2020年03月11日

誕生日は町中華で飲ろうぜ

近頃のニュースは、コロナウイルスのことばっかりで、いやになっちゃうよ。
イベントは中止になるわ、人の集まる所へは行っちゃだめ、等々、ウイルスに対する規制が国家を挙げて行われている。
河浦の天空の碁会所も例外ではない。寂しい限りだ。
しかし、碁打ちには孤独を愛する人が多く、寂しいのには慣れている。
今は、その孤独を愛する人たちが毎週週末になると、牛深の吉田亭に集まって来て碁を打っている光景はまるで祭りのような盛況であった。



河浦からもM氏や通称「勤ちゃん」などが、参加されている。決して恐妻家の集まりではない。
いつも男の隠れ家を提供して下さっている吉田亭の亭主に感謝申し上げる。


コロナウイルスが世界中に猛威を振るっている中、3月1日69歳の誕生日を迎えた。昨年は悲しい誕生日であったが、今年は新しい家族をまじえての誕生日になった。
今回は私がBSテレビの「町中華で飲もうぜ」の玉袋筋太郎と高田秋、それに坂ノ上茜にはまっていたから、たまには中華もいいかと思って、京華園に予約を取った。まずは生ビールからと本来はいくのだが、中華ときたら、瓶ビールでしょう。長男は生を頼んだが、次男と私は瓶ビールにした。
女性陣はノンアルコールとウーロン茶でまずは乾杯。





餃子、エビチリ、酢豚が運ばれてきた。日頃はロッキーとかゆめマートの総菜の中華しか食べてないので、久々の本場の中華の味はうまかった。特に酢豚は好きである。ビールはすぐ腹が太るから、ハイボールにお色直しにした。滅多にハイボールは飲まないのだが、油っこいのを食べる時はあっさりして食欲も増す。新発見だった。
新婚さんから、ケーキのプレゼントも頂いた。



切ってから慌てて写真を撮ったが、嬉しいねーみんな優しくて大事にしてくれて。
息子二人は、麻婆豆腐と太平燕を追加した。お父さんは追加ありますか、いやだいぶ食べた!もうこれ以上は今日喰えん(京華園)
お後がよろしいようで
  


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2020年03月05日

貝川蒲鉾店三代目祝言を挙げる

♪妻をめとらば才たけてー見目麗しく情けありー♪与謝野鉄幹の唄の一節だが、昨年の5月だったか、仕事をしていると「ちょっとこっちへ来て」と長男に呼ばれた。「ちょっと来いに良いことはない」と思いながら、行って見ると、彼女を紹介された。ビックリした。まさに晴天の霹靂である。
これから付き合いが始まるんだろうと思っていたのだが、話をよく聞いてみると、結納の日取りまで決めているではないか。
「あじゃー、こちらの懐具合も知らないで、このバカヤローが」と心で叫んだ。
そんな訳で、7月24日嫁と2人で相手方のご両親に挨拶に行き、今後のことについて話し合った。
結婚式は年内でもという話は出たが、10月に私が手術することになっていたので、来年ということになった。

8月5日、結納である。






長島の義兄に頼んで行ってもらうことになった。
嫁と次男と長男も同行する。私は後方支援で牛深に残った。
結納もその土地、その土地で違うようである。持って行った鯛を男方の方がその場で刺身にする風習など、全然知らなかった。
結納はすぐ終わったのだが、鯛が大きいだけに、誰も出来ない。
そこで長島の義兄が包丁とエプロンと砥石を貸して下さいと言ってさばきだした。
女性陣はそれを取り囲み包丁さばきに見とれていた。




よくぞ義兄に来てもらっていたと後で安堵した。
そういうこととはつい知らず、寿司とオードブルを届けた。




私も上がらせてもらったが、話はその話で盛り上がっていた。

11月の初め、私の退院の目途がついた。結婚式は令和2年2月16日、ホテルアレグリアに決まった。
サー次は、軍資金の調達だ。頭が痛い。
今年正月過ぎにとある銀行員の方が訪ねてきた。
「金を借り予定はありませんか・」と、神様がまた使いをよこしてくださった。
披露宴の見積書を見せるとすぐ貸してくれた。これをとなえて「渡りに舟」と言う


2月16日結婚式当日、外は朝から雨が降っていた。
長男から嫁さんは雨女と聞かされていたが、確かにそうだった。
「サー時間がない、朝食抜きだ」次男は、長島から来る義兄夫妻と杉本夫妻を乗せて後から、我々は先に行って着替えを済ませなければならない。
10時半ホテルの小高い丘の上の教会でウエディングマーチの流れる中挙式が始まった。
ドアが開いてお父さんの腕に支えられた新婦の姿を見て一瞬目が潤んだ。



一方それを迎える長男の姿見たとき、一瞬どこの力士だろうと思った。



幸せ太りだろうと解釈しよう。
無事指輪の交換も終わり退場となった。






次は披露宴会場に移ろう。

新郎新婦が高砂の席に着くと両家から1人ずつお祝いの祝辞が述べられた。




貝川家からは、義兄が祝辞を述べてくださった。



その後は乾杯になるのだが、その前に私のサプライズとしていとこの杉本さんと尺八師範の福本先生に長持唄を披露してもらった。



杉本さん夫妻には、私たちの仲人をしていただいた方で、披露宴の会場に入る時、杉本さんの長持唄で入場したことを思い出す。
この唄一つでこの披露宴の格式が一段上がったような気がする。
浦本君の乾杯の音頭で、披露宴が始まり始まり。




お色直しが2度、ケーキ入刀、キャンドルサービスとあったが、





一人うなだれてる男がここにいる。



最後に両家代表して、謝辞を挨拶しなければならない。
不安ではあったが、無事挨拶も言い終えることが出来、ホッとした。



100名強の大勢のご臨席を賜り、感謝申し上げます。
まだまだの若輩者の二人ですが、貝川蒲鉾店共々これからも宜しくお願い致します。
  


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2020年02月06日

花咲ガニと落花生

梅は咲いたかー桜はまだかいなー
暦の上では、もう立春。今年は暖冬で冬を感じなかった。
寒いのは嫌だが、蒲鉾が売れるためにはもっと寒くなれ、もっと寒くなれと願う蒲鉾工夫であった。

1月26日、天草マラソンが本渡運動公園陸上競技場で行われた。
当店も二手に分かれて出店した。今年は参加選手に配る参加賞の景品にも選ばれ、市民センターロビーでも売ることが出来た。



かつてない戦果を挙げた。来年も選ばれて欲しいものだ。
よく27日、河浦の天空の碁会所で、月例会が行われた。




結果は、4位で終わったが、その日の夕方、居酒屋「なべちゃん」で新年会が行われることになっていた。M氏に牛深まで迎えに来てもらい3名が参加した。
今年の抱負や、囲碁談義、武勇伝の話に花が咲き楽しい新年会だった。






締めにみんなでチャンポンを頼んだ。大変美味しかった。
10時過ぎ、かぼちゃの馬車が来たので、お開きとなった。

正月番外編を1つ、年末に北海道は根室から「酒と手長エビと花咲ガニ」が届いた。





特に花咲ガニは目をひいた。大きくて全身がとげに覆われて手で割って食べれるものではなかった。蒸し器で蒸して調理ばさみで切ってやっと食べられた。



身がぎっしり詰まってうまいのなんの、これ以上うまいカニが他にあってたまるかいてんだ。
何!ほかにもある?あんたが知らないだけだと、「あっそう」
根室の女(ひと)にこの場を借りて厚く御礼申し上げます。また送ってね。
すると今度は東京から落花生が送られてきた。しかもゆで落花生。私の大好物である。
千葉県の落花生は特に有名で、風味があって味が良い。





千葉県のなかでも八街(やちまた)市の八街産が有名である。あ、そういえば、昨年亡くなった女優に「八街薫」という有名女優もいたなぁー。
死んだ裕の字が大ファンだったんだ。
オイオイそれを言うなら八千草薫だろぉー

地豆は日本語で落花生という
じゃ、ピーナッツは何語でしょうか?だと
英語じゃないの   ブッブゥー
何、正解は双子だとーバカヤロー
  


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2020年01月08日

笑う門には服着たる!

「♪もういいくつ寝るとお正月~♪」え!もう正月終わった?
そういえば、元日早々から、TELがかかってきて、御船から客人が来てるから囲碁の相手をしてくれないか、とのことだった。
これが不幸の序曲になろうとは…

元旦の日、今年初めての新しい家族が我が家に来てくれた。
いつも正月はパジャマのままで過ごすのだが、今回はそうはいかない。いつもより早く起きて服を着て、正月の準備をする。
巻き寿司とオードブルはテーブルに出ている。その後がなかなか出てこない。「オーイ、何んしょいとかー?」としびれを切らして呼ぶと、お屠蘇を入れる器と杯が見つからないという。「昨日出していたんだけど、どこに行ったんだろ」「バカヤローそれがないと正月はできないだろ」「何に入れていた?」「新聞紙にくるんでいた」「じゃ、間違えてゴミ袋に入れて外に出したんじゃないのか?」「公志!お前も起きて探せ!」
正月早々、外に出しているゴミ袋を1つ1つ開けて探す貝川家一族であった。いつもここ一番というとき下手を打つんだこの人は!
そんな中長男からTELが入る。「そっち行っても良かとや?」事情を説明し、来るように返事をした。とんだ時間をくっちゃった。
幸い、お袋が使っていた杯が出てきたので少しは正月の形はできるだろ。今年はお屠蘇用に「獺祭」と正月用に「越乃寒梅」を傍らに添えた。
気を取り直し、サーみんな揃ったところで、「あけまして、おめでとうございます。乾杯!」




少し出来上がったところ御船からの客人のことを思い出し、嫁にまぶ逹のところまで送ってもらった。
最初の2局は勝ったが、あっこの人は、私が済生会に入院している時わざわざお見舞いに来てくださった事を思い出し、勝ってはいけない人だった。
その後3局打ったが負けた。快気祝いとしてのプレゼントだ。「貝川さんわざと負けてくれらしたなぁー」いいえ私の力はこんなもんですよ。
まぶ逹に帰りは後浜経由で送ってもらった。
後浜から見る正月の夕景は穏やかで、格別なものがあった。



2日は初打ちと称して皆さんが、まぶ逹の所に集まってきた。
昨日の御船の客人はもとより、益城からは道場破りの無頼者が姿を現し、熱気をおびた碁会になった。



3日は、家族で初詣に行くのが恒例になっている。
次男が参拝するときの作法を見せてやるといい、手水所へ行き柄杓で指に水をかけた。冷たいのによせばいいのに。



おみくじも引いた。小吉である。読んでみると、今年はじっと我慢の年らしい。昼からは、まぶ逹の所へまた碁打ちに出かけた。
道場破りの無頼者が来ていたので、1年ぶりの対局になった。



結果は私の勝ちだったが、この男が来ると暗黙の了解で今夜は飲み会になるなーと思っていたのだが、読みは的中した。
新年会をかねて「ちゅうぼう隆」に決まった。



退院以来、久々の飲み会だった。碁の話、盆栽の話等々の話題で話も盛り上がった。
歳も70歳になろうという老人が飲んだり碁を打ったりする仲間がいることは、素晴らしい事だと思う
囲碁三昧の正月三が日であった。せっかくの正月を楽しむことなく私って本当に馬鹿ねー。あっそう言えば、もう一人お馬鹿な人がいた。
井上陽水の唄に「夢の中へ」という曲がある。その一節に♪探すのをやめた時、見つかる事もよくある話しー♪元日の朝、みんなで探しても見っからなかった。
お屠蘇を入れる器と杯が見つかった。嫁が自分が置いた場所を忘れて冷蔵庫の上から出てきた。
私たち夫婦って本当に馬鹿ねー。
  


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2019年12月08日

あの男が帰って来た(市民病院編)

あかね市も天候に恵まれ、無事2日間を終えることが出来た。
「売上は」と言うと、年々落ちている。厳しい娑婆になっていることは仕方がない事だろう。

11月7日、済生会病院から、牛深市民病院転院、2階の外科病棟に草鞋を脱ぐことになった。
済生会からの紹介状を担当医に渡してもらうよう看護師に預けた。
夕方になって「貝川さん、私が担当になりました○○です。」声のする方を見てみると、外科医の女先生だった。
少し取り調べを受けた後、今後の予定を告げて帰られた。
やがて一日目の夕飯が出てきた。



どっちかと言うと、済生会の方が味付けは良かった。

11月8日、今日から、リハビリが始まった。午前と午後と2回、ここも女性のリハビリ師2人だった。「俺ってどうしてこうも女性に恵まれているんだろ」これも天命だろうと直に納得した。
エレベータを使わずに階段も上り下りができるようになった。
土曜、日曜はリハビリも休みだったので、外出許可をもらって工場に帰った。
私が帰ることは嫁しか知らなかったので、私が姿を見せたらみんなびっくりして歓声を上げた。
杖はついていたのだが、手術前からすると足が軽やかだったのを見て自分のことのように喜んでくれた。

仕事はしていたが、息子たちは苦戦していた。
材料の調達、機械の点検、整備、資材の確保などなど、この一番忙しい時に原材料を切らすことが一番駄目だ。すぐ手配して事なきを得たが、問題は松木がなかった。
親友の戸谷君に電話し、松木はあるか聞いたら、廃材があるとのことで、チェーンソーをもって急行した。



トラック一台分はあった。年内は大丈夫だろう。
杖をついての陣頭指揮である。夕方になったので、市民病院に戻った。
日曜日は10時から外出許可をもらい工場に行った。
貧乏性だろうかじっとして見ていられない。久々の現場だ。






やっぱり私にはここが一番似合っている。
11月11日、ほとんど杖無しで歩けるようになった。看護師を通じて、女先生に退院を進言してもらった。
ところがである。嫁が風邪と流行目(結膜炎)にかかっていた。「うわあーこれじゃ帰れんなぁー」ここ一番というときにいつもこうだこの嫁は。
翌日、看護師から、エコーの検査をします。それで血栓もなくなっていたら退院できますとのことだったが、2,3日居ることにした。
11月14日、血栓もなくなっていて退院の許可が出た。11月15日、3週間ぶりに娑婆に出る。息子たちが出迎える。”長いお勤めご苦労様でした。”
その日の午後、仕事は休みだったので、久々河浦の天空の碁会所に行くことに決めた。




突然の私の来所にみんなびっくりして、「いつ退院されたんですか」と聞く。「今日です。今日は碁会があっているなぁーと思うと居ても立ってもおられずに飛んできました。」と言うと、大爆笑。
夕方、今日は出所祝いだから、酒と刺身は用意してあるだろうと気持ちはしていたんだけど、「今日は刺身は何もなかった。明日買っとくので今日はこれで我慢しとって」と咳をゴホンゴホンとしながら言われると食欲もなくなってしまった。



次の日刺身が出たのだが、体調が悪いのだろ料理に力がない。



こういう時は何も言わぬ方が一番いい。

11月19日火曜日、いつものように晩酌をはじめていると、NHKの歌謡番組が7時半から始まった。広島からの中継で、オープニングに小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」が流れてきた。「オッ、懐かしい曲」と思い、一緒に声を出して歌ってしまったんだ!「幼い弟、行くなと泣いた♪男だったら泣いたーりせずに、父さんだけを大事にしてねー♪」それを隣で聞いていた嫁が鋭い目線で睨んでいる。ありゃしまった、本音を唄ってしまった。
  


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2019年11月24日

あの男が帰ってきた。(済生会脳神経外科編)

11月15日、無事退院してまいりました。
天皇陛下や国民の皆様には、何のご奉公もできず、おめおめと帰ってまいりました。又、友人知人親戚の方々など多くの人にお見舞いに来ていただき、大変恐縮くしています。
「こんな男でも皆さん心配してくださっているんだなー」と、改めて感謝しています。有難うございました。

さて、2週間の闘病生活に少しふれておきましょう。
手術は10月24日、AM8:30から始まり、当初は6時間くらいと告げられていましたが、8時間かかった。起こされ、目が覚めた。



家族の面会が許されたが、言葉は出ず、目でうなずくだけだった。
ICUに一晩いたが、地獄だった。



痛み止めを打ってもらったら、幻覚が現れ、虫とか爬虫類が巨大化して迫ってくる。文字が壁で動き出す。人々が次々現れ、大口開けて笑ったり、怖い形相で襲い掛かろうとしたりする。しばらくして「ハハァー、これは現実ではないな。薬物中毒の患者が見る幻覚とはこういうものかもしれない」と納得した。
汗はかくわ、喉は渇くわ、寝れないわで、本当に貴重な体験をした。
手術後3日目に点滴も外され、自由の身になった。食事も普通の食事が出るようになった。




5日目、介護士付きの入浴(シャワー)も許され、頭も洗ってもらった。すっきりした。
4日目からリハビリの予定だったが、まだ歩けそうになかったので、入浴後、車いすでリハビリ室に行った。




小柄で30代前半くらうぃだろうか、気さくなリハビリの女先生だった。
すぐ意気投合し、熱心に指導してくれた。翌日から午後のリハビリも始まった。午後の先生は40代くらいの体格のいい女先生だった。
この人ともすぐ意気投合し、手取り足取りして体をほぐし、いろいろアドバイスを受けながら、歩行訓練にいそしんだ。
リハビリ3日目には、杖をついて院内の廊下を歩けるようになった。「こうなればこっちのものだ。」希望の光が見えてきた。

朝昼晩と規則正しい食事、減塩、適度なリハビリ、血圧も100前後で素晴らしい。この病院食も悪くない。





暇な時は、詰碁の勉強とこちらの方も修行は怠らない。



入院10日目、毎朝3階病棟のサポートの先生が回ってくる。「貝川さん、血圧も体温も食事も完食で、血液検査も良く、100点満点です。」と言って、太鼓判を押して行かれた。
夕方担当医が回って来られた。「転院日が決まりました。11月7日です。」牛深市民病院が受け入れを承諾したようだ。
「先生、左足が少しむくんでいるようですが」と先生に見せると、「そうだね、念のためエコーで見てみよう」と言われ、翌朝エコーの担当の技師が来た。
次の朝、エコー検査の結果、左足に血栓が詰まっていることが判明。「今日から、血液サラサラの薬を飲んでください」との事だ。
肺や脳や心臓じゃなくて良かった。

別れの朝、朝食を済ませて、部屋にいると、リハビリの30代の先生が来て、「貝川さん頑張ってね。宇城彩館には明後日蒲鉾買いに行くから」
ありがとうと手を差し伸べると、固く握り返してくれた。
入れ替わりに、今度は40代の先生が訪ねてこられた。
「貝川さん頑張れたですね。向こうに行ってもあまり無理はしないでね」今度は彼女の方から手を差し伸べてきてくれた。この数日で我々には友情という絆が生まれていたのかもしれない。
やがて嫁と息子が迎えに来た。玄関まで車いすで行った。



3階の脳神経外科病棟の皆さん、大変お世話になりました。

次回、牛深市民病院編へ続く

  


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2019年10月22日

決戦、脳神経外科

今年は台風の猛威が日本列島を吹き荒れた。



被災された方々には、心よりお見舞い申し上げます。
そんな中、ラグビーワールドカップで、日本のラガーチームが大活躍してくれた。




ラグビーとはこんなに素晴らしい競技とは知らなかった。
ルールも知らなかったし、ゴールデン番組での放送も今まで無かった。
日本国民に感動と勇気を与えてくれた。有難う。そして、お疲れさまでした。といつもはは乾杯するところだが、ここに1人うなだれている者がいる。

先般のブログ、整形外科放浪記(後編)で頭に腫瘍があることが分かった。髄膜腫である。この病気は、年間100万人に20人くらいかかる病気だとネットでわかった。
「20人に100万円が当たった」というなら、嬉しいのだが、なんで俺に白羽の矢が当たったのか。「神様が私に新たな試練を与えられた」と受け取るしかない。
いよいよ明日入院する。2日後は集中治療室に入っているだろう。
くしくも今日は、天皇陛下の『即位礼正殿の儀』が生中継された。






私は常に「私の体はお国にささげた体…風邪などひいて、もしもの時に役に立たなかったら、天皇陛下に申し訳ない」と健康には十分注意してきたのだが、一番大事な時、こんな病気になってしまった。非国民のそしりは免れまい。
各方面から激励の言葉や、お守り、お見舞いなど頂き、まるで戦地に赴く出征兵の心境だ。もう逃げられない。
今夜は宮中では「饗宴の儀」の晩餐会が行われている。
これが最後となるかもしれない我家の晩餐会はと言うと、「今日はほっともっとのカツとじでよかな!」と厳しい国防婦人会の言葉が飛んでくる。



永い間、小欄をご愛読いただきましてありがとうございました。
  


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2019年09月12日

新しい家族

9月2日早朝、長男から胸が痛いとのTELが入る。
すぐ市民病院へ行けと指示し、私も行った。
看護師に症状を説明し、すぐ心電図を取ってもらった。
その日は仕事をすることになっていたのだったが、仕事どころではないと判断し仕事中止の連絡をした。
9時半ごろ嫁が来たので、交代して朝食を食べに帰った。
12時過ぎ、嫁から「先生が説明されるので来てくれ」とTELが入り、病院へ行った。
「心筋梗塞の疑いがある」とのことで、今から救急車で地域医療センターへ緊急搬送しますと、説明された。
「ありゃ、これは大変なことになった。」嫁に救急車に乗ってもらい、次男はその後を追った。




私は役立たずなので工場に待機した。
4時過ぎ、次男からTELが入った。「心筋梗塞じゃなくて、急性心筋炎で、今集中治療室に入っている」とのことだった。少し安堵した。

9月5日、一般病棟に移され回復の兆しが見えてきた。

9月8日やっと退院になったのだが、長男には先月結納を済ませたばっかりの婚約者がいた。彼女は仕事が終わって毎日地域医療に通った。
不安で不安でしょうがなかったんだろう。その献身さが回復を早まらせたんだろうと思う。私も長男の顔を見てほっとした。
その足で2人は市役所に婚姻届けを出しに行った。結婚式は来年になる。

9月10日は長男の誕生だったので、ちゅうぼう隆にTELをしたら本日休業とのことだったので、海彩館に行くことになった。
貝川家の新しい家族を紹介しよう。
退院祝い、誕生祝い、入籍祝いで乾杯!そしておめでとう!



そこに蔵之元フェリーが入ってくる。夕暮れの時の静寂さに入港してくる光景は絵になる。木が邪魔だが。





どうか皆様この二人を温かく見守ってやってください。  


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2019年08月29日

引きこもりの人生

8月というのに、うっとおしい雨が続いている。
お盆前に、工場の前の空き地の雑草があまりも伸びていて、道路まではみだし、通行の妨げになっていた。
隣組の人たちも、私の所に苦情に来られるようになった。市の牛深支所にTELをして所有者に草を刈ってもらうよお願いした。
そしたら盆が過ぎたら、シルバー人材センターから刈りに来るとの連絡が入った。
盆過ぎてからは、雨ばっかしだったが、雨の晴れ間を見て刈りに来てくださった。よかったぁー。






8/23、次男の誕生日だった。今年はこの人に誕生日祝いにと電気カミソリをプレゼントされた。そのお礼にと思って、海彩館を予約して一席設けた。
「さぁさぁーお飲みなさい。おあがんなさいヨ!」「何歳になった」「29」「29歳かいいねー。にくまれ子世にはばかるか」「よせやい」「おっとこれは失礼」




いつもは楽しい飲み会だが、私が爆弾を抱えているので、皆が気を使って会話が弾まない。すまない。だから自然と引きこもりがちになっている。
45年前ぐらいだろうか、鶴田浩二に「傷だらけの人生」という唄があった。近頃この唄が脳裏にちらつく。
「♪何から何まーで真暗闇夜~、筋の通らぬことばぁかぁーり。右を向いても左を見ても~馬鹿と阿保~のだまし合い、何処に男の夢がある~♪」
日本、韓国の徴用工問題、香港、セブンペイ、煽り運転、リクルート等々。
日本と韓国問題にトランプ大統領が初めていいことを言った。
「日韓はいつも喧嘩ばかりしている。もっと仲良くしろよ!」と。少し好感が上がった。好感が上がらないのは私の体である。
歩くのはもちろん、立っているのもきつい。自宅から駐車場まで歩いている姿を人に見られたくない。
知らない人は「貝川さんがまた歩きよらす」「ヨボヨボして急に歳とらしたなー」「総合体育館に行って筋力トレーニングをすれば」と言いたい放題だ。
更に唄へ続く、「まっぴら御免と両手を振って歩きたいけど、歩けないー。いやでござんす、お天道様は日影育ちの泣き所~♪」と明るい時は工場でじっとして、暗くなってから行動することにした。これからは、引きこもりのケンちゃんと呼んでください。

事情通の話「オイ、オイ、夜はやめとけ!貝川さんが夜になると徘徊しよらすと噂が立つから」  


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2019年08月14日

閻魔大王と地獄の事情

風にも負けず、雨にも負けず、そして夏の暑さにも負けず、我々は仕事に精を出している。



この暑さで、機械も故障する。高価な機械なので、大事にしなくてはいけない。





我々、生産業者にとって盆はかき入れ時であるが、そこに台風がやってくると大打撃である。仕方がない。
今日は盆。仏壇の前で先祖の霊に手を合わせる。しばらくして、仏壇の前でうたた寝をする。
場面は、亀浦の精霊船を流す港である。見送りの鐘の音、念仏の声、多くの人であふれていた。私は用をたしたくなり、人気のない小道に入り用をたした。
帰ろうとすると後から次々と背中にリュック、手には一杯の荷物や土産を持った人たちが、小さな小道を先へ先へと歩いていく。
その人ごみに押され、私も中へ中へと押し流されていった。程なく歩くと、薄明かりが見えてきた。するとあれだけの人の波が居なくなっていた。
「おまえは誰だ。」という声が上の方からしたので、見上げてみると、2メートルはあるかという赤鬼、青鬼が立っていた。
両腕をつかまれ、閻魔大王様の前まで連れていかれた。




大王「おまえの名前は何という。」
「ハイ、カイガワケンスケと申します。」
大王「はてー?どっかで聞いたような?ま、よい、侍従官!この男の罪状を調べて見よ。」
侍従官「ハハアー」「この男は、20年前まで、飲む、打つ、買うの三拍子で、会社を倒産寸前にまで追い込み、いまだ閉店セールをやっている不届き者であります。」
大王「何!三拍子とな」「この男、すぐさま針の山に登らせろ!」
侍従官「大王様、この男、生前は針の筵で慣れていますので効かないと思います。」
大王「何!効かない」「それじゃ、火車に乗せて火あぶりにしろ!」
侍従官「大王様、誠に恐縮ですが、この男の会社20年以上火の車だったので、これも慣れて効き目がないと思います。」
大王「そうか、じゃ、煮えたぎる血の池地獄に落とせ!」
侍従官「大王様、お言葉ではございますが、この男事あるごとに嫁から煮え湯を飲ませれていますので、血の池に入っても鼻歌が出てくるかもしれないと思われます。」
大王「ウーム、忌々しい奴」
侍従官「大王様、今入ってきた情報によりますと、この男、生前は『石酔会』という碁の仲間の幹事長を20年やっていたそうです。」
大王「何!石酔会というと、あの佐々木又男、大田定、平田健二の荒くれ三羽烏!あいつらが来てからは、地獄の風紀が乱れ、鬼たちがほとほと手を焼いている。今この男が来たとなったら、一二祐介、城下等らが加わり、あいつらが勢いづいて、この地獄は収拾がつかなくなる。」
地獄にも法と秩序がある。おい、侍従!時にこの男なんでここに来たのか。
大王「何!手術をするくらいなら、死んだ方がマシだと」バカヤロー
オイ、死神、こいつを娑婆の入り口まで行って放り出せ!
死神の後について歩く「オイ、ケンスケ、お前に見せたいものがある」と言って火のついた蠟燭がいっぱい立っている所に案内された。
蠟燭には名前が書いてある。知っている名前もあった。
「この消えている蠟燭は」「今年亡くなった人だよ」
「今にも消えそうなのもあるね」「よく見ろお前だぞ」「ワーオ、ちょっと待ってくれ!」
「オイ死神、なんとかならないのか!」「あのな、物は相談だが、オレたちも昔は、24時間営業してたんだけど、働き方改革で、日が沈んでから夜明けまでとなって生活が苦しんだ。ここに1本の蝋燭がある。100万でどうだ。これを持ってたら、100歳以上生きられるぜ!何も今払えというんじゃない。お前が死んで保険が入るだろ。その時払えばいいんだ。だが、この事は誰にもしゃべるな!それがバレると日本死神協会から永久追放されるからな!」
「オイ死神、俺の話も聞け!死んでから700万はもらえる保険にかかっていたが、100万ぜひ要ったので、保険から借りた。そしたら、死んでからもらえる金は500万になっていた。なぜ?100万はどこにいったんだろ。あくどい事をするねーJAは。」
普通は死んだらみんなチャラになるんだが、お前は死んでからも借金を負うた。それがお前の人生さ!おっそろそろ出口が見えてきた。あばよ、達者でな!
出口が明るくなって来た!
その後から死神が一言声をかける。
「オイ、ケンスケ、外は明るいから、蝋燭の火を灯しているのはもったいないんじゃないか!」と、
「アッそうか」とおもってふぅーと消す。
………携帯の音で目が覚める。北海道の友人の訃報が入る。  


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2019年07月31日

土用の丑の日

7月22日、河浦の天空の碁会所で月例会があった。
8名の参加者で行われた。今回は、M氏は法事で不参加だった。
私もいつまで打てるかわからないので、精一杯頑張って打った。
そのせいだろうか、全勝で優勝することが出来た。3連覇である。
五段、六段、七段を倒しての全勝だったので、価値が大きかった。




7月27日は、全国的に「土用の丑の日」である。
この時期が一番貧乏なんだよな、我家は、チラシを見てみると、どこのチラシにも一尾2000円以上ばかりだ。
嫁に高いと思うなら、買わなくていいよ。と言って、諦めていた。
夕方、お膳に座ると、やっぱりなかった。
「貧乏を常とする身には、贅沢」と思って、刺身とポテトサラダをつまみに飲み始めた。
すると、醤油の甘がるい匂いが漂ってきた。
これはまさか?「そのまさかですよ」と言って、ウナギが二切れ出てきた。



うわー、嬉しかったなー。一尾を3人で食べることになった。
やっぱり土用はウナギでしょう。
名奉行、大岡越前にウナギにまつわる、名裁きがある。
ある男がウナギ屋の前で白ご飯を片手にウナギのかば焼きの匂いだけで、2,3杯食べる。
毎日繰り返すので、ウナギ屋の亭主が頭にきて、金を請求する。男は匂いだけでだから払わない。
とうとう亭主が奉行所に訴える。
両方の話を聞いたお奉行様は、亭主の言う通り、金六文を男に払うように言い渡す。
男はしぶしぶお奉行様に六文を渡す。
お奉行は、この金六文を袋に入れて、亭主の前で上下に振って音を聞かせた。
そしてこう言った。「この男は、匂いだけで、食べた。あなたも六文銭の音だけを受け取りなさい。」と。
流石は名奉行、感服した。

もう一つウナギにまつわる話を
戦後、昭和天皇が地方巡幸された時、とある旅館でウナギが出された。
大変気に入られ、そのことを、詠んだ川柳がある。
「うなぎとは、かくもうまいものかと、宮殿下」
それが全国に瞬く間に広がり、全国のウナギ店のメニューの横には、この句が掲げられていたとか。
身分を問わずウナギの旨さは万国共通らしい。  


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2019年07月24日

夏の風物詩

梅雨明けを気象庁が宣言した。さぁー夏本番だ!
とは言っても、鬱陶しい天気が続く。
病気のことばかり考えてもしょうがない。そんな中、今月の上旬、梅雨の晴れ間を見て、友人が工場の周りの草刈りをしてくださった。
毎年恒例になっている。本当にありがたいことだ。



感謝の気持ちを込めて、海彩館で一席設けさせてもらうことにした。
ハイヤ大橋の見えるいつもの席でささやかなる料理を堪能してもらった。





綺麗になった刈り跡に友情の柿の木が姿を現す。



この柿の木は、今年やっと実をつけることができた。5,6個なっている。嬉しかぁー。



毎年奈良から柿を送ってくれる友人がいる。この事をもう少し柿が色づいたら報告したいと思っている。
「桃栗三年柿八年という」何!「子作り三年ガキ八人」だと、バカヤロー。

又、各方面の方々より、いろいろ頂き物があった。
まずは一貫目もあるスイカを長島の従兄から頂いた。





スイカといったら、夏の風物詩。仕事の合間を見て、皆に出した。
「うまひ、うまひと言うて喰ふ」その姿を見ている時が、私は一番幸せである。
もう一つ、長男の同級生の親父さんが、自分の畑で取れた夏野菜をいっぱい持ってきてくださった。
「うわーこんなに沢山!」感謝、感激、神、あられ。



かぼちゃ、ピーマン、オクラ、キュウリにナス、ゴーヤにヘチマとはいかないが、皆、夏野菜の代名詞だろう。皆様のあたたかいご支援と友情で私たち家族は生かされている。本当にありがとうございました。

ところで、「五月みどりのヘチマの唄は知ってるか?」て、
「知らない。」「どんな唄だ、唄ってみろ」
「ヘチマなら来てよねー私寂しいのー♪」
………あーあー聴かなきゃよかった。  


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2019年07月18日

整形外科放浪記(完)

江戸時代の川柳に、だれが詠んだかわからない不詳の句がある。
「寝ては覚め、覚めては喰ふ、世の中に、死んでみるのもまた余興」
すごい人がいたものだ。私はまだそこまでの悟りは開いていない。

7月1日、済生会病院に行く。この日は嫁に運転してもらった。
済生会は5年ぶりである。2回の不整脈の手術をして、完治している。
またこの病院を訪れるとは、夢にも思っていなかった。
脳神経外科の前で名前を呼ばれるのを待った。




「貝川さん、中へお入りください」と呼ばれ中に入った。
先生が椅子にドーンと座っておられる。「アレーどっかで見たような人だなー」と記憶をたどる。「あっ、財津一郎を若くしたような先生だ」と心の中で思った。先生の説明が始まる。

「良性の脳腫です。」頭と脳の間に3.5㎝の水が溜まっているとのことだった。
「ワァー良かった。脳腫瘍じゃなくて」一瞬安堵した。
さらに続く、「これは手術しないと治りません」と。
「入院の日数は、どれくらいかかりますか?」「10日はかかります」
「今は盆前で仕事が忙しいので、盆が終わってからできませんか?」
「大丈夫です。急ぐ必要はありません。来年でもいいです。でも足元には気を付けて、躓いたり、こけたりして骨折しないように注意してください。」とのことだった。
盆過ぎにもう一度造影剤を入れて、MRIを撮ることが決まった。その後手術の日程が決まるだろう。
診察室を出ようとドアに手をやったら、後ろの方で、「ピアノ打ってちょうだーい♪」という声が聞こえたような気がする。

ちなみに風呂場の下血事件は、1週間の間に熊本を往復3回もして、座りっぱなしで元々痔病を持っていたのだが、酒を飲んだことで爆発したんだろう。
その後出血もしていないので、心配していた大腸ガンや直腸ガンではないだろうと思う。

歳も70歳くらいになると、体のあっちこっちに病魔がはびこる。
皆さんも体の異変を感じたときは、いち早く大きな病院で見てもらうことをお勧めします。
当店は今「私がもし死んだら」というシミュレーションのもとで、くんせいの作り方、調味のレシピ、帳簿、等々、2人の息子たちがやっと本気で取り組んでくれだした。
病気はつらいがこのことが一番うれしい。
つたない放浪記、4編でしたが、皆さんにはご心配をお掛け致しまして誠にすみませんでした。
また多くの人に小欄を見ていただき、ありがとうございました。

アイシャルリターン  整形外科放浪記 完  


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2019年07月14日

整形外科放浪記(後編)

「雨が降ります雨が降る~遊びに行きたし金は無し~♪」
雨が降るのは仕方がないが、洗濯物が乾かないのが、全国万人の共通の悩みだろう。

6月27日、再度機能病院に行く。



この日も長男に運転してもらった。
昼食を済ませ、神経科の前で待った。しばらくして呼ばれ、ベッドに腰かけさせられた。
先生一人と、技師二人で問診から始まった。
「いつごろからこの症状は始まりましたか?」「え、いつからだろう?」
今年に入ってからだったか、それとも去年の10月ごろだったか、記憶をたどるが曖昧である。
「そこが一番大事なんですから」と次々に質問がくる。まるで警察の取調室みたいでパニックになった。

「スミマセン旦那!実はみんな私がやりました。」と白状しそうになったが、堪えた。
「強情な奴め、だが次の拷問できっと口を割らせてやる」と言わんばかりにベッドに寝かされた。
「貝川さん大丈夫ですからね。怖がらなくてもいいですから」と言って、「まずは電気を通します。ピリピリしてきたら手を挙げてください」
次は頭から電波をあてまーす。「カチッ」と音がした瞬間、体が「ドーン」と宙に浮くんだねー
すごい衝撃波だった。最後でーす。と言って、ふくらはぎの所に針を左右1本ずつ刺して検査をした。すると隣の部屋でモニターを見ていた先生がすぐ入ってきて、「貝川さん、神経は大丈夫ですが、脳梗塞の疑いがある」と意外な容疑者の名前を口にされた。
「うわぁーえらい事になって来たなー」もう4時を回っていた。「牛深へ帰って出直すもねー」と思い、「先生!ここで脳のMRIを撮ってもらえますか?」と言ったらすぐMRI室にTELをくださった。空いていたのですぐ撮ってもらった。

神経科の前の椅子に座って待っていると、「中へ入ってください」と呼ばれ椅子に座った。
パソコンにMRIの頭の画像が出ていた。「貝川さん、真犯人が見つかりました。脳梗塞ではなくてよかったですね。とは言っても、右頭部に白い大きなものが映っていますがこれが何か…」
「脳腫瘍ですか?」
「うむー」と考え込む
「左足に命令を出すところに白いものがあり、圧迫してうまく命令が伝わっていないと思う」と言われた。
「じゃ、脳神経外科を紹介してください」日赤か市民病院…済生会病院はどうでしょう。
「おっそれでいこう。さっきから済生会が出てこないかなーとうずうずしていたんだ本当は。」じゃ紹介状を書きます。
そして済生会病院にすぐTELして担当の先生の予約もとって下さった。7月1日に決まった。
「ここの整形の先生には私から伝えておきます。」と言って紹介状とCDを渡された。
そこへ看護師Sさんが通りがかり、「良かったですね、原因がわかって、お気をつけて帰って下さい」と。
私も「お世話になりました。」と立ち上がり帰ろうとする耳元で「また来てね」とささやく、「来るかぁ!」

帰りの車の中で考え込む。「脳腫瘍かぁー、でも腫瘍にしては白い影が薄かったなぁー」とかすかな望みをつなぐ。
家につき、2,3杯ロックをあおる。気もまぎれたところで、シャワーをあび、下着を着始めたのだが、風呂場前の床に血が一滴落ちている。
「おーい、これは血ではないのか」と声を出すと、息子がすぐ来た。風呂場を開けてみる。腰かけと簀の子に血がついている。バスタオルも見た。バスタオルも血がいっぱいついている。「下血はやばい。これは大変なことになったぞ。」どちらを優先すべきか心配する息子を傍らで天を仰ぐ「嗚呼、68年の生涯だったかー」

・・・・・続後編へ
  


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2019年07月07日

整形外科放浪記(中編)

6月24日(月)この日は河浦の天空の碁会所の月例会になっていた。
入院したらもう碁も打たれないだろと思って出かけた。
1回戦にM氏と当たった。この頃メキメキと腕を上げてきている強敵だ。
99.9%負けていたのだが、なかなか殺してくれない。次の一手で投了しようかなと思っていたら、そっぽを向かれた。「ありゃー?」彼は「トントンの筋」を見逃していた。「ワァー」と悲鳴が上がる。M氏にとっては、鍋もそろそろ煮えてきた。うまい酒もコップに注いだ。肉もたっぷり入っている。さぁー食べようと箸を延ばした瞬間、左足の悪い男にテーブルごとひっくり返されたような心境だろう。この場を借りて深くお詫び申し上げます。
5月、6月と連覇できたのはひとえにM氏のおかげです。





6月25日、機能病院に行く日だ。この日は、長男に運転してもらった。予約なしなので、早めに出かけた。3人で昼食を済ませ、順番を待った。



ここの脊髄の先生は有名で、ほとんど予約で埋まっていた。
まもなくして呼ばれ、中に入った。「さぁ、今日こそ原因がわかるだろ」と椅子に座った。机の上のパソコンには、脊髄のMRIの画像が出ていた。
先生が説明を始められたが、私は耳が少し悪いので、聞き取りづらかった。「先生!私は耳が遠いので、マスクを取って話してもらえないですか?」と言ったら、快く外して説明してくださったのだが、画像を見る限り、それが原因で左足がマヒする要因が見つからないと言って、足がピリピリしないか、痛くはないか、しびれはないか、検診されたが、正常だった。
すると先生が、「いやー私は、2000人ほど手術してきたけれど、このような症状は初めてです。これは難しい」と言われた。
私は喜んでいいのやら、悲しんでいいのやら、一抹の不安にかられた。
「これはひょっとしたら、他の所に原因があるかもしれない」と言われた。
「明後日27日(木)に神経科に良い先生が来られるので、その先生に診てもらったら」と勧められ、紹介状を書いてもらった。
ありゃー、これは面倒なことになってきたなー
予約票ができるまで、ロビーで待った。
すると看護師Sさんが来て、これからの予定の説明をしたのだが、さっき大先生に対して「マスクを外してしゃべってくれ」と言ったのを見ていたせいかどうかはわからないが、緊張していた。
「次の予約は、6月2日にされますか、4日されますか・」と
「アレー?6月2日は過ぎているのじゃないですか?」と切り返す。
「あっ、すみません。7月の間違いでした。」
そして、神経科の予約票を手渡されたのだが、日付を見てみると、「アレッ、これは5/27になっている?」と嫁がつっこむ。
「アッ、すみません、すみません、6/27の間違いです」と目を潤ませて謝る。
「バカヤロー、2発もボケかましやがって。」肩をバシッと叩く。
「俺はなー、今度こそはカタギの病人になろうと思って、腹をくくって来ているんだぞ。それを何だいボケかましやがって、決心が揺らぐじゃないか!」
すっかり病気のことは忘れ、帰路についた。  


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