2024年12月31日

年末かく戦えり(前編)

♪好きよ~あなた~今でも~今でも、暦は~もう少しで今年もー終わりですネェ~♪
吉幾三の『雪国』だが、年末にはピッタリの唄だね。

11月5日、私は不覚にもコロナにかかってしまった。
ただの風邪だろうと思っていたが、「貝川さん、コロナです。そのまま車の中で待機してください。」と言って薬を取りに行った。先生から電話があり、薬代が18,000円しますと告げられた。「え、そんなに」「飲む飲まないはあなた次第です」と、「くそ、足元を見やがって、飲むヨ、飲めばいいんでしょう。その代わり、金はある時払いの催促なしだヨ。」「いいですよ」
散々文句は言ったけど、熱も出ず、2,3日で治った。
高い薬だけの事はあった。その2,3日後、嫁と長男にうつった。次男は1度かかったことがあるので陰性であった。その後家族の視線が鋭く、針のムシロであった。

11月18日、仕事を始めたら、魚肉採取機のベルトが切れた。切れるはずのないベルトがどうしてと思っていたら、2,3日前に、町工場の鉄工所で孔明管ナイフを研いでもらっていた。包丁の刃みたいに研いであり、「ワァーこんなに研がなくてもいいのになァー」とその時一抹の不安を覚えた。案の定、機会を廻した途端、ベルトが切れた。一瞬頭の中が真っ白になった。…が、すぐ最善策を考え、手を打たなければと我に返った。
メーカーに電話を入れ、今からローラーを持って来てくれないかと頼んだ。すると、「行くことはできますが、ローラーと部品と人件費で40万近くかかりますが、いいですか?」「金は何とかするから直ぐ発ってくれ!」「わかりました。今からすぐ出ます。」とすぐ対応してくれた。
福岡からだから、4時間半くらいで着くだろうと思って、みんなに4時まで自宅待機してもらった。
昔、ローラー交換を見ていて時間がかかることは知っていた。1時半ごろ到着された。すぐ機械の解体に入った。

年末かく戦えり(前編)
年末かく戦えり(前編)
年末かく戦えり(前編)

流石本職だ。手際が良い。2時間はかからなかった。そこに町工場の人が来て、ナイフの研ぎ方が逆との指摘を受けた。
4時にみんなに召集をかけ、仕事を始めた。
魚肉を取った後、機械を洗っていたら、3cmくらいの部品が落ちていた。公志が来て、「これが落ちてた」と見せた。「あ、これは歯車を留めるピンじゃないか。ハハーン、留め忘れたなァ」と思い、すぐTELを入れた。「今どこら辺ですか」「ここは河浦って書いてあります。」「実は3cmくらいのスッピが落ちていますが、歯車を留めるピンじゃないですか。」と言うと、「アッそうです。すぐ引き返します。」と言って、帰って来た。
辺りは薄暗くなっていた。

年末かく戦えり(前編)

また1から分解して歯車にはめ込んだ。帰る時は、7時を過ぎていた。
「ま、ローラーもすり減っていたのでそろそろ替え時かなー」と思っていたので、良かったかもしれない。でもこの金のない時、これは痛かった。

11月30日、牛深では『あかね市』、人吉では相良村温泉センターのイベントがあった。二手に分かれ、人吉には長男1人で行った。金曜日の早朝、芝生広場を通ったら、我が家のテントだけが、昨夜の風でつぶれていた。「アリャ、何でうちのテントだけ!嫌な予感、みんな貝川蒲鉾店は来年を待たずもう潰れている。」と思ったに違いない。
あかね市会場では、嫁と次男が頑張ってくれた。幸い天候にも恵まれ、お客さんも多かった。「テレビ見ました」「テレビ出とらしたですね」と言うお客さんが来て、次々に買って行って下さった。有難い事だ。途中、会場の様子を見に行ったら、鯛釣り会場の上を天草中のトンビが集まって来ているみたいで、ヒッチコック「鳥」を思わせる光景だった。

年末かく戦えり(前編)

12時過ぎ人吉から電話が入る。「ほぼ完売で、1人勝ち」との朗報が…「良かった。行った甲斐があった。」
2日目はツムギ達も応援に来てくれた。
白バイにも乗ってご満悦だった。

年末かく戦えり(前編)

真珠湾攻撃じゃないが、この2日間で久々の大戦果を挙げた。人吉が売れたのが嬉しい誤算だった。
テレビの影響もあったのだろう。英太郎有難う。次回後編へ



Posted by 貝川蒲鉾店  at 20:36 │Comments(1)

この記事へのコメント
バリ売れで、良かったです^_^
Posted by やっぱり太陽 at 2025年01月04日 07:29
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