2020年07月28日

決戦、肥後本因坊戦

♪命はひとつうー人生は1回、だからコロナにかからないようにネー♪
加川良の教訓Ⅰより。

各地では、またコロナのクラスターが発生しているという報道が毎日のようにテレビで流れている。困ったもんだ!
4月1日に本渡市民センターで、肥後本因坊天草予選があった。その時の私の棋譜が熊日新聞の7/15,7/18,7/20の3日掲載された。



自分の打った碁が新聞に3日も掲載されるということは碁打ち名利につきる。その碁の解説者の締めくくりの総評がまた嬉しかった。
「互いに打ちすぎはあったものの、県内トップで戦える力を十分に示すことになる一局だった。」と。

7/26、延期されていた本因坊戦が、この日熊日新聞本社の2Fで行われた。早朝6時、従軍記者として次男に運転してもらい、決戦場に向かった。
我々が一番早く着いた。9時から検温の後、受付が始まった。





トーナメントの抽選があり、私はBパートで、相手は同じ牛深の野田氏に決まった。




ありゃー熊本まで出てきて牛深同士とはついてない。
私の黒番で始まった。



そこへ益城にいるマブダチが応援に来てくれた。また御船代表として、袋田氏も来ておられた。彼は不戦勝で2回戦からの出番だった。
この二人は私のブログの常連で牛深の吉田亭でいつも打っている仲間だ。
私の黒番3目半勝ちで2回戦に石を進めた。そしたらこの会場に小学生二人と中学生一人が参加していた。みんな高齢者ばっかりの中に、ひときわ目立っていた。2回戦はその小学生との対局だった。初めての経験である。




小学生には負けるわけにはいかない。小学生に負けたら末代までの恥だ。
ところが、ところがである。これが強いのなんの。手も足も出ない。ボコボコにされた。完敗である。
近頃はAIとかが出てきて、今の子供たちはそういうので勉強しているのだろ。将棋の藤井聡太、囲碁の仲邑菫など若手の台頭が目立ってきている。

小学生に聞いてみた。
いつから囲碁は始めたの?     6歳から
どこで習っているの?       囲碁教室で
今、何年生?          6年生
そうか、小さい頃から先生に教わると、砂が水を吸収するようにじゃんじゃん棋力が身につき、上達も早い。
そこにいくと我ら田舎碁打ちは、我流でヘボ碁である。その後小学生は勝ち進み、Bパートで優勝し、8/22の3番勝負を戦うことになった。
現本因坊が勇退されたので、この3番勝負の勝者が新本因坊につくことになる。ガンバレ國松君!

「さー我々は帰るかー」益城のマブダチに声をかけ、正午過ぎていたので、近くで一緒に飯でも食うかと言って外に出た。



食事後、彼は袋田さんの碁を見て帰るといったのでそこで別れた。



帰り際、従軍記者が一言「小学生に負けるなって恥ずかしいよ」と、そうよなー、先般ブログで『勲もなく永へて世にも人にも恥ざらめやは』と書いたばかりだ。「何の手柄も立てず、おめおめと帰ってまいりました。」と皆さんに土下座する以外はないだろ。こうして私の碁の夏の甲子園は終わった。また来年頑張ることにしよう。
「井の中の蛙大海を知らず、されど空の深さを知る」

笑いは百薬の長
第12話
老夫婦がテーブルをはさんでテレビを見ている。すると老夫人が言う
「毎日毎日同じテーブルを前に、同じ場所で、同じ椅子に座り、会話もなく食事をし、同じテレビを見る。私こんな生活もういや!もう耐えられないわ」と怒り出した。しばらくして老夫が言う。
「じゃ、こうしたらどうだ。君の席と僕の席を交替して座ったら。」


  


Posted by 貝川蒲鉾店  at 22:18Comments(0)

2020年07月14日

緊急入院と天変地異

「智恵子は本当の空が見たいと言った」智恵子抄より。
いや、智恵子に限らず全国民の願いだろう。うっとおしい雨が続く。
「いい加減に止んだらどうだ」と怒りたくもなるよ!

7月4日未明、「ドーン」という雷の音で目が覚めた。
稲光の後、「バリバリバリ」と、けたたましい音が鳴り響く。
「さっきの稲妻は神様が私の写真を撮られたに違いない。」と悠長なことを考えていたのだが、携帯に緊急アラームが鳴り響く。避難勧告だ。
外は土砂降り、雷は激しく鳴り渡っている。動かない方が賢明だろ。夜が明けて工場に行ってみる。工場はさほど被害は受けてなかったが、茂串、魚貫、久玉、深海など甚大な被害が出ていた。






くしくも7月4日は50年前の倉岳、龍ヶ岳災害と同じ日だ。
あの時は、百数十名の死者を出した。20歳の時だったと思う。長島の義兄を迎えに松島まで行ったのだが、途中道路は冠水、崖崩れ、停電、電話は不通と大変な目に遭った。記憶がよみがえる。
しかし若かったせいだろうか、不思議と怖いとは思わなかった。
50年に1度の大雨とはよく耳にするようになったが、線状降水帯とはこれから毎年各地に被害をもたらす恐い豪雨の代名詞になることだろう。
今回の豪雨で被災された方々へ、心よりお見舞い申し上げます。

話は変わる。6月の初め頃、夜中に腹が痛かったそうだ。明け方には治まったという。大事をとって2日後、市民病院の外科でMRIを撮ってもらった。
すると本渡の中央病院の婦人科を紹介された。嫁1人で診察に行ったのだが、次回はご主人も連れて来てくださいとのことだった。
説明を聞くと、子宮こぶのようだけど、そうでもない。とにかくここでは手術は出来ないと、熊本市民病院の婦人科を紹介してもらった。一抹の不安が頭をよぎる。
6月8日、熊本市民病院の婦人科の先生がMRI画像を見て、私に悪い病気ですと嫁の居ないところで言った。
画像が良くないので、手術に向けて造影剤を入れてMRIを撮ることになった。その画像を見てまた「ふむー」と考え込む。
「ま、とにかく手術の日はおさえておこう。一刻を争うから。」と言って、手術の日が7月9日に決まった。
6月22日、手術に向けてのCT、MRI、血液検査など行う。翌日、嫁の携帯に、市民病院から電話が入る。
「6月29日、来られたら、消化器外科へ行ってください。」と。
6月29日、消化器外科に入ってみると、初めて病名が分かった。
手術の同意書に、「横行、上行結腸癌」と書いてあった。
手術日も7月6日12時からと決まった。「7月3日から入院してください」と、7月3日入院の朝、神様に手術の無事を祈る。



7月6日、長男と2人で市民病院に向かった。手術は消化器外科が主で行われた。婦人科の先生も立ち会った。時間は4時間くらいで済むという。そしたら、3時間くらいで呼ばれた。長男と2人で手術後の説明を受けた。
小腸から、腫瘍が外に出て拳大に大きくなっていたとのことだった。
翌日長男と、ICUに入った。元気だったのでホッとした。




家族でも今はコロナで10分の面会しかできないことになっている。早々に帰路についた。そして7月15日に退院が決まった。


笑いは百薬の長
第10話
とある銀行に銀行強盗が入った。
強盗「やい金を出せ!」女行員「まずは番号札をお取りください。」

第11話
おい兄弟、どうだ景気は、ババーのフンドシよ!
なんだそりゃー
食い込む一方てことよ!  


Posted by 貝川蒲鉾店  at 23:40Comments(2)