2019年11月24日

あの男が帰ってきた。(済生会脳神経外科編)

11月15日、無事退院してまいりました。
天皇陛下や国民の皆様には、何のご奉公もできず、おめおめと帰ってまいりました。又、友人知人親戚の方々など多くの人にお見舞いに来ていただき、大変恐縮くしています。
「こんな男でも皆さん心配してくださっているんだなー」と、改めて感謝しています。有難うございました。

さて、2週間の闘病生活に少しふれておきましょう。
手術は10月24日、AM8:30から始まり、当初は6時間くらいと告げられていましたが、8時間かかった。起こされ、目が覚めた。



家族の面会が許されたが、言葉は出ず、目でうなずくだけだった。
ICUに一晩いたが、地獄だった。



痛み止めを打ってもらったら、幻覚が現れ、虫とか爬虫類が巨大化して迫ってくる。文字が壁で動き出す。人々が次々現れ、大口開けて笑ったり、怖い形相で襲い掛かろうとしたりする。しばらくして「ハハァー、これは現実ではないな。薬物中毒の患者が見る幻覚とはこういうものかもしれない」と納得した。
汗はかくわ、喉は渇くわ、寝れないわで、本当に貴重な体験をした。
手術後3日目に点滴も外され、自由の身になった。食事も普通の食事が出るようになった。




5日目、介護士付きの入浴(シャワー)も許され、頭も洗ってもらった。すっきりした。
4日目からリハビリの予定だったが、まだ歩けそうになかったので、入浴後、車いすでリハビリ室に行った。




小柄で30代前半くらうぃだろうか、気さくなリハビリの女先生だった。
すぐ意気投合し、熱心に指導してくれた。翌日から午後のリハビリも始まった。午後の先生は40代くらいの体格のいい女先生だった。
この人ともすぐ意気投合し、手取り足取りして体をほぐし、いろいろアドバイスを受けながら、歩行訓練にいそしんだ。
リハビリ3日目には、杖をついて院内の廊下を歩けるようになった。「こうなればこっちのものだ。」希望の光が見えてきた。

朝昼晩と規則正しい食事、減塩、適度なリハビリ、血圧も100前後で素晴らしい。この病院食も悪くない。





暇な時は、詰碁の勉強とこちらの方も修行は怠らない。



入院10日目、毎朝3階病棟のサポートの先生が回ってくる。「貝川さん、血圧も体温も食事も完食で、血液検査も良く、100点満点です。」と言って、太鼓判を押して行かれた。
夕方担当医が回って来られた。「転院日が決まりました。11月7日です。」牛深市民病院が受け入れを承諾したようだ。
「先生、左足が少しむくんでいるようですが」と先生に見せると、「そうだね、念のためエコーで見てみよう」と言われ、翌朝エコーの担当の技師が来た。
次の朝、エコー検査の結果、左足に血栓が詰まっていることが判明。「今日から、血液サラサラの薬を飲んでください」との事だ。
肺や脳や心臓じゃなくて良かった。

別れの朝、朝食を済ませて、部屋にいると、リハビリの30代の先生が来て、「貝川さん頑張ってね。宇城彩館には明後日蒲鉾買いに行くから」
ありがとうと手を差し伸べると、固く握り返してくれた。
入れ替わりに、今度は40代の先生が訪ねてこられた。
「貝川さん頑張れたですね。向こうに行ってもあまり無理はしないでね」今度は彼女の方から手を差し伸べてきてくれた。この数日で我々には友情という絆が生まれていたのかもしれない。
やがて嫁と息子が迎えに来た。玄関まで車いすで行った。



3階の脳神経外科病棟の皆さん、大変お世話になりました。

次回、牛深市民病院編へ続く

  


Posted by 貝川蒲鉾店  at 22:14Comments(1)