2020年05月05日
5月5日の花会
「屋根より低いこいのぼーり、大きな真鯉はお母あーさん」
5月5日今日は端午の節句。全国的に子供の日であるが、今年はどこにも連れて行ってもらえない。

籠城生活もやがて1ヵ月。コロナに包囲されて、その内軍資金も兵糧も尽き果ててしまうだろう。早く10万円が出てほしいものだ。
先々日デジカメを見ていたら、次男が中学生の時描いた絵が県立美術館に展示された時の写真が出てきた。そこには親友の祐の字が写っていた。
二人のツーショットはほとんどない。




先日祐ちゃんの夢を見た。スーツ姿になぜか青いののこを着ていた。
祐ちゃんは、白飯を山盛りにして、口にほうばっていた。
俺も白飯を食べたが全然味がしない。その横におふくろさんが白い服を着て立っていた。この人と子供の日には特別な思いがある。
20年前に遡るが、親友の祐ちゃんから、案内が来る。「今日1時から俺ん家の二階で花会をやるから来ないか」と子供2人に伝えると行く行くと大いに喜んだ。長男が小学5,6年のころだったと思う。二階に上がってみると、祐の字と、一麻さん親子が待っていた。
中央に白い座布団が1枚、その上に真っ新の花札が1ヶ置いてあった。
まずは千円出して碁石10ヶをもらう。それから親決めである。「オイどんはインチキせんでない」と言いながら始まる。
さーこの遊びはオイチョカブと言って、テレビがなかったころの遊びで、主に漁師やヤクザ、それに不良仲間の間での賭け事として流行った遊びで、一般社会の人たちは、それをする人を白い目で見ていた。フーテンの寅にも出てくる寅の口上がそれである。「サーサーはったはった。はって悪いはオヤジの頭、はらなきゃ食えないチョチン屋」「参参六方引け目無し」「ハッピクルクル車屋のカブ」「ニーサンヨッテらっしゃい女郎屋のカブ」といった具合にとても語呂合わせがうまくできている。
次男に幼稚園の頃、エピソードがある。ある日幼稚園に迎えに行くと、園長先生が私の所へきて「公ちゃんのお父さんにお願いがあるんですけど」なんでしょう?「公ちゃんに花札は幼稚園には持ってこないように言ってもらえませんか」雨の日は外で遊ばれないので、教室の中でゲームとかトランプとかして遊ぶのですが……花札を園内でされるとちょっとですねー
ははーん、あいつのやりそうな事だ。
次男は幼稚園に入る頃は、トランプ、花札、将棋、囲碁など、勝負事は皆一通りは覚えていた。だから幼稚園ではそんな遊びを知っている者はいないので、あいつの独壇場だったのだろ。
鉄火場も夕方まで熱気をおびていた。5時過ぎに下の方から「もうそろそろやめて下りてこんかー」とおふくろさんの声がかかる。
下りていくとテーブルを3つ並べた上には刺身、寿司、オードブルと子供用にジュースが用意されていた。
「うわーごちそうがいっぱい」親も子供たちも楽しい一日だった。それから2,3年は続いた。
今思うと子供に賭け事を教える親なんてなんと非常識な親とお叱りを受けて当たり前だが、20年も経った今でも5月5日なると、この事が思い起こされる。2人の子供もそうだ
4年前に祐の字、そして今年4月、一麻さんが他界された。小学生だった子供たちを1人の大人として接しくれたお二人に、心より感謝申し上げるとともに、ご冥福をお祈りいたします。
この前のブログのアメリカンジョークが難しいとお叱りを受けましたがお詫びとして、第3話を追加します。
おじいちゃんが病院に入院しているので孫がお見舞いに行った。おじいちゃんは酸素吸入器を鼻にあてていた。
「おじいちゃんお見舞いに来たよ。大丈夫?」とベッドの横に立って話しかけた。
「お!有難う、よく来てくれた。元気だよ」
としばらくするとおじいちゃんが苦しみだした。
孫がびっくりして「おじいちゃん大丈夫、僕、おじいちゃん大好きだから、何でも言うこと聞くから何でも言ってごらん」
「そうか、それでは1つだけ頼みたいことがあるんだが」「何でも聞くからいってごらん」
「じゃ、すまんが酸素吸入器のホースをのぼっているお前のその足をどけてくれんか」
5月5日今日は端午の節句。全国的に子供の日であるが、今年はどこにも連れて行ってもらえない。

籠城生活もやがて1ヵ月。コロナに包囲されて、その内軍資金も兵糧も尽き果ててしまうだろう。早く10万円が出てほしいものだ。
先々日デジカメを見ていたら、次男が中学生の時描いた絵が県立美術館に展示された時の写真が出てきた。そこには親友の祐の字が写っていた。
二人のツーショットはほとんどない。
先日祐ちゃんの夢を見た。スーツ姿になぜか青いののこを着ていた。
祐ちゃんは、白飯を山盛りにして、口にほうばっていた。
俺も白飯を食べたが全然味がしない。その横におふくろさんが白い服を着て立っていた。この人と子供の日には特別な思いがある。
20年前に遡るが、親友の祐ちゃんから、案内が来る。「今日1時から俺ん家の二階で花会をやるから来ないか」と子供2人に伝えると行く行くと大いに喜んだ。長男が小学5,6年のころだったと思う。二階に上がってみると、祐の字と、一麻さん親子が待っていた。
中央に白い座布団が1枚、その上に真っ新の花札が1ヶ置いてあった。
まずは千円出して碁石10ヶをもらう。それから親決めである。「オイどんはインチキせんでない」と言いながら始まる。
さーこの遊びはオイチョカブと言って、テレビがなかったころの遊びで、主に漁師やヤクザ、それに不良仲間の間での賭け事として流行った遊びで、一般社会の人たちは、それをする人を白い目で見ていた。フーテンの寅にも出てくる寅の口上がそれである。「サーサーはったはった。はって悪いはオヤジの頭、はらなきゃ食えないチョチン屋」「参参六方引け目無し」「ハッピクルクル車屋のカブ」「ニーサンヨッテらっしゃい女郎屋のカブ」といった具合にとても語呂合わせがうまくできている。
次男に幼稚園の頃、エピソードがある。ある日幼稚園に迎えに行くと、園長先生が私の所へきて「公ちゃんのお父さんにお願いがあるんですけど」なんでしょう?「公ちゃんに花札は幼稚園には持ってこないように言ってもらえませんか」雨の日は外で遊ばれないので、教室の中でゲームとかトランプとかして遊ぶのですが……花札を園内でされるとちょっとですねー
ははーん、あいつのやりそうな事だ。
次男は幼稚園に入る頃は、トランプ、花札、将棋、囲碁など、勝負事は皆一通りは覚えていた。だから幼稚園ではそんな遊びを知っている者はいないので、あいつの独壇場だったのだろ。
鉄火場も夕方まで熱気をおびていた。5時過ぎに下の方から「もうそろそろやめて下りてこんかー」とおふくろさんの声がかかる。
下りていくとテーブルを3つ並べた上には刺身、寿司、オードブルと子供用にジュースが用意されていた。
「うわーごちそうがいっぱい」親も子供たちも楽しい一日だった。それから2,3年は続いた。
今思うと子供に賭け事を教える親なんてなんと非常識な親とお叱りを受けて当たり前だが、20年も経った今でも5月5日なると、この事が思い起こされる。2人の子供もそうだ
4年前に祐の字、そして今年4月、一麻さんが他界された。小学生だった子供たちを1人の大人として接しくれたお二人に、心より感謝申し上げるとともに、ご冥福をお祈りいたします。
この前のブログのアメリカンジョークが難しいとお叱りを受けましたがお詫びとして、第3話を追加します。
おじいちゃんが病院に入院しているので孫がお見舞いに行った。おじいちゃんは酸素吸入器を鼻にあてていた。
「おじいちゃんお見舞いに来たよ。大丈夫?」とベッドの横に立って話しかけた。
「お!有難う、よく来てくれた。元気だよ」
としばらくするとおじいちゃんが苦しみだした。
孫がびっくりして「おじいちゃん大丈夫、僕、おじいちゃん大好きだから、何でも言うこと聞くから何でも言ってごらん」
「そうか、それでは1つだけ頼みたいことがあるんだが」「何でも聞くからいってごらん」
「じゃ、すまんが酸素吸入器のホースをのぼっているお前のその足をどけてくれんか」
Posted by 貝川蒲鉾店
at 21:56
│Comments(1)
面白いです♬
今時の父親は花札は教えないと思いますよ。
私は何度やっても、夫に負けてばかりです-_-b