2021年09月16日

スタンドバイミー(完結編)『遠見山、権現山踏破』

あれは、小学6年生で冬休みも終わり、3学期が始まったとある日曜日の事だった。
八幡宮の境内で遊んでいると、リーダーが「昼飯食ってから、遠見山に登ろうかい。」と言った。
午後からの予定もなかったので、参加することにした。
リーダーを含めて、6,7人くらいの編成になったと思う。
天気は晴れ、まだ冬だったので、少し寒かった。
牛小の裏道を通り、水道山(今の日本庭園)に登り、小さな山道をみんなで登って行った。山頂には小一時間位で着いた。山頂にはテレビ塔が立っていた。

スタンドバイミー(完結編)『遠見山、権現山踏破』

リーダーが言った。「この遠見山は昔は、海底だったとぞ。」と、「その証拠に足元を掘ってみろ。貝殻の化石が出るから。」と言ったので、棒で掘ってみた。なるほど、あっちこっちから貝の化石が出てきた。記念にポケットに入れる者もいた。
その頂上から、久玉方角を見ると、そこには権現山というこの遠見山より高い山がそびえたっていた。

スタンドバイミー(完結編)『遠見山、権現山踏破』

時間は2時くらいだったと思う。リーダーが「これより、久玉に下り、そこから権現山を踏破する。」と言い出した。嫌な予感がしたが、みんな逆らえない。
久玉は吉田の変電所近くに下りた。
旧道吉田道から、竜ヶ越に行くカーブの所に変電所はあった。
そこの右側に小さな小道があった。そこから登って行った。知らない道をどんどん登って行った。
山頂についた頃は、日がだいぶ傾いていた。山頂付近はまだ残雪が残っていた。さぁー下山だと下り始めたら、すぐ横に小さな祠があった。
みんなびっくりした。その周りには椿の花が少し咲いていた。辺りは薄暗く、風が吹いてきて、周りの木がザワザワと鳴き始めた。
まずいぞ!昔話に出てくる「山姥」が近くにいるんぢゃないかと思ったら怖くなってきた。
長居は無用。みんな一目散にその場を離れた。帰りは、下り坂だったせいもあるが、みんな速いこと速いこと。俺は殿だったので、何んか後から追いかけて来そうな気がして、生きた心地はしなかった。
久玉の無量寺のところまで来た時、やっとここまで来たかと安堵した。腹も減ってきた。今の牛高の裏の旧道の所に、小さな商店があった。
みんな金を出し合った。15円くらいあったので、「いもアメ」を買った。1円で2ヶ来るので、30ヶをみんなで分けた。うまかった。
時間は6時を回っていた。久玉から宮崎までは2時間弱はかかるだろう。8時頃帰って来た子供を褒める親はいなかったと思う。
でも怪我もしないで、無事帰って来ることが一番の親孝行である。

スタンドバイミーの主人公が、友の訃報に接し、心の中でつぶやく「12歳だったあの時のような友達はそれからできなかった。誰でもそうなのではないだろうか?」という所に、小欄も共感し、この4つの冒険の話を書いてみた。
確かにあの時のような、友達は出来なかった。
隊長であった祐の字は他界したが、長島の義兄、みよっしゃんとオレ、三人だけはまだ固い絆で繋がっていた。
会うたびに冒険の話が出る。
テレビも携帯もない時代に、少年期を過ごされたことを幸せに思う。 





Posted by 貝川蒲鉾店  at 21:52 │Comments(2)

この記事へのコメント
膝も腰も痛くない青い頃の想い出(^-^)
本当に山の中を、まるで猿にでもなったかのようにうっさるいて
今の子供達には考えられない話でしょう(笑)
楽しい少年時代でしたね。私の少女時代はそこまではなかったですが
昔の畦道の風景や、畑にいる母に冷たい水を持って行った記憶が残っています。幼き頃が懐かしいです(*^-^*)
Posted by あひるちゃんあひるちゃん at 2021年09月17日 10:28
あひるちゃんさん
スタンドバイミー4作、コメントありがとうございました。
完結編のコメントに、「山の中をうっさるいて」とありましたが、強烈な河浦弁ですね。一瞬、どういう意味だろうかと、頭の中が、パニックになりました。今は冷静になっています。
あの頃は、みんな、野山を駆け巡り、泥まみれで遊んだ。
還暦を過ぎた今でも、幼少の頃の思い出として、鮮明に記憶に残っていることは、宝です。二度とあの頃には戻れないから、コロナ禍が終息したら、私も野山をうっさるいてみるか!
Posted by 貝川蒲鉾店貝川蒲鉾店 at 2021年09月30日 21:38
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