2024年08月07日
旧友との再会
いつも小欄を見て下さっているブロガーの皆さん。
酷暑見舞い申し上げます。こう暑くては冒頭に唄う気にもなれない。
もう50年も前になるが、井上陽水の『少年時代』、吉田拓郎の『夏休み』などの歌詞にはさわやかな夏が感じられた。
今の夏はどうだろう。熱中症警戒アラートが発令されて、危険な暑さが毎日続いている。どうかご自愛を。
7月24日は、土用の丑の日だった。今年は鰻が食べられるのだろうか。鰻も高くなったからなァーと一抹の不安がよぎる。
帰宅して見ると、部屋の中に甘辛い香ばしい香りがただよっていた。
これはまさしく蒲焼きの香り。心の中で勝利の舞を踊った。すると鰻が「お上がんなさい。お上がんなさいよ!」と語りかけている声がするようだ。
はやる気持ちを抑えて、まずはサントリープレモルで喉を潤す。

それから一口はゆっくりと頬張る。「うまい!」これこれ、1年待った甲斐があった。
だが、一尾の鰻を3等分して食べるんだ。アッという間に無くなった。そういえば、公志は友達と本渡に行っているから、向うで夕飯は食べてくるかもしれない。そしたら、公志の分を一切れもらえるかもしれない。自分の顔が、ニンマリするのが分かった。すると「ただいまー」とドアを開けて公志が帰って来た。邪な考えは潰えたのだった。
7月26日、河浦の櫻坂碁会所の月例会が開催された。
参加者は11名であった。6月の優勝者は久保五段だった。久しぶりに河浦から優勝者が出たのは、久保会長の面目躍如だ。

7月はこの私が全勝で優勝した。私も久々の優勝だったので、非常に嬉しかった。

鰻の御利益があったかもしれない。
7月31日、熊本の亀井通産(株)の秋冬の展示商談会がグランメッセで行われた。朝五時に出発した。
会場に着いたら、入り口でネームプレートを渡された。
会場の配置図を見ながら。自分たちの場所へ向かった。
天草のコーナーがあった。天草から来ているのはうちだけだった。
公志は車を移動させに駐車場へ行った。一人で立っていたら、横から「貝川社長さんですか」と声をかけられ、振り向くと法被を着た人が近づいて来た。「そうですが?」「私は元天草の肥後リースに勤めていた尾上と申します。」「え、あの髪の毛を七三に分け、黒スーツの尾上さんですか?」「そうです。」ワァー何十年振りですね。私が一番会いたかった人だった。
私は10年前くらいから心臓と脳の手術をして、正月の年賀状を一切出さなくなった。それでも尾上さんからは、毎年年賀状を頂いていた。
とても律儀なひとだ。だから一度会って、釈明をし謝りたいとずっと思っていた。
こんな形で再会できるなんて本当に嬉しかった。尾上さんは、ブログを見て私のことはわかっていらっしゃった公志が記念に写真を撮ってくれた。

昼の弁当はとても豪華だった。ヒライの弁当のようだ。

天草のコーナーは出店者は誰も居なく、お客さんも誰もいない。

昼頃になると、ボチボチ人が寄りだした。

イケダ食品の鬼木さん。イオンの堀さん。亀井通産の人とそのバイヤーさんとかが、続々と来て、商品の説明に追われた。試食を食べさせたら、みんなうまいと言ってくれた。
なんか久しぶりに会う人ばかりで、まるで同窓会みたいだった。やっぱり商談会は、ただ展示するだけじゃなくて、食べさせてしっかり自社商品をアピールしないといけない。少し手応えを感じて帰って来た。
翌8月1日はツムギの3才の誕生日だった。




7月20日にリニューアルオープンした海彩館の大漁食堂アオサへ行くことにした。
午後6時予約だったので、5時半に家を出た。しばらくするとツムギ達も来た。
すぐオレの所に来て、誕生日に買ってもらったんだろう、ミッキーやミニーが描いてあるワンピースを見せに来た。
よっぽど嬉しかったんだろう、嫁と公志にも見せてご満悦だった。
皆で乾杯して食事に入ったのだが、早く食べ終わり、「公志、かくれんぼしよう」とか、「馬になって」とか、公志をお気に入りだ。この頃は「最初はグー、ジャンケンポン」を覚えみたいで、「じゃーじいちゃんとジャンケンしようか」と言って、五百円を出した。わざと負けてやろと思うのだが、最初はグーの後、パーを出してばっかりで、チョキを出していると、ずっと勝つので、最後グーを出して負けてやった。
家に帰るとケーキが用意されていた。ローソクが3本立っていて、1本目のローソクはすぐに消えたが、2本目、3本目は消えなかった。

まだ肺活量が弱いんだろう。無事行事は終わった。
後は、11月の七五三だ。それまで生きていなければいけない。
お国に捧げた体。暑いとかだるいとか、いざという時熱中症とか、コロナにかかったりしたら、天皇陛下に申し訳が立たない。日本男子がこれくらいの暑さに負けてたまるか、アァーそれにしても暑い!
酷暑見舞い申し上げます。こう暑くては冒頭に唄う気にもなれない。
もう50年も前になるが、井上陽水の『少年時代』、吉田拓郎の『夏休み』などの歌詞にはさわやかな夏が感じられた。
今の夏はどうだろう。熱中症警戒アラートが発令されて、危険な暑さが毎日続いている。どうかご自愛を。
7月24日は、土用の丑の日だった。今年は鰻が食べられるのだろうか。鰻も高くなったからなァーと一抹の不安がよぎる。
帰宅して見ると、部屋の中に甘辛い香ばしい香りがただよっていた。
これはまさしく蒲焼きの香り。心の中で勝利の舞を踊った。すると鰻が「お上がんなさい。お上がんなさいよ!」と語りかけている声がするようだ。
はやる気持ちを抑えて、まずはサントリープレモルで喉を潤す。

それから一口はゆっくりと頬張る。「うまい!」これこれ、1年待った甲斐があった。
だが、一尾の鰻を3等分して食べるんだ。アッという間に無くなった。そういえば、公志は友達と本渡に行っているから、向うで夕飯は食べてくるかもしれない。そしたら、公志の分を一切れもらえるかもしれない。自分の顔が、ニンマリするのが分かった。すると「ただいまー」とドアを開けて公志が帰って来た。邪な考えは潰えたのだった。
7月26日、河浦の櫻坂碁会所の月例会が開催された。
参加者は11名であった。6月の優勝者は久保五段だった。久しぶりに河浦から優勝者が出たのは、久保会長の面目躍如だ。

7月はこの私が全勝で優勝した。私も久々の優勝だったので、非常に嬉しかった。

鰻の御利益があったかもしれない。
7月31日、熊本の亀井通産(株)の秋冬の展示商談会がグランメッセで行われた。朝五時に出発した。
会場に着いたら、入り口でネームプレートを渡された。
会場の配置図を見ながら。自分たちの場所へ向かった。
天草のコーナーがあった。天草から来ているのはうちだけだった。
公志は車を移動させに駐車場へ行った。一人で立っていたら、横から「貝川社長さんですか」と声をかけられ、振り向くと法被を着た人が近づいて来た。「そうですが?」「私は元天草の肥後リースに勤めていた尾上と申します。」「え、あの髪の毛を七三に分け、黒スーツの尾上さんですか?」「そうです。」ワァー何十年振りですね。私が一番会いたかった人だった。
私は10年前くらいから心臓と脳の手術をして、正月の年賀状を一切出さなくなった。それでも尾上さんからは、毎年年賀状を頂いていた。
とても律儀なひとだ。だから一度会って、釈明をし謝りたいとずっと思っていた。
こんな形で再会できるなんて本当に嬉しかった。尾上さんは、ブログを見て私のことはわかっていらっしゃった公志が記念に写真を撮ってくれた。

昼の弁当はとても豪華だった。ヒライの弁当のようだ。

天草のコーナーは出店者は誰も居なく、お客さんも誰もいない。

昼頃になると、ボチボチ人が寄りだした。

イケダ食品の鬼木さん。イオンの堀さん。亀井通産の人とそのバイヤーさんとかが、続々と来て、商品の説明に追われた。試食を食べさせたら、みんなうまいと言ってくれた。
なんか久しぶりに会う人ばかりで、まるで同窓会みたいだった。やっぱり商談会は、ただ展示するだけじゃなくて、食べさせてしっかり自社商品をアピールしないといけない。少し手応えを感じて帰って来た。
翌8月1日はツムギの3才の誕生日だった。




7月20日にリニューアルオープンした海彩館の大漁食堂アオサへ行くことにした。
午後6時予約だったので、5時半に家を出た。しばらくするとツムギ達も来た。
すぐオレの所に来て、誕生日に買ってもらったんだろう、ミッキーやミニーが描いてあるワンピースを見せに来た。
よっぽど嬉しかったんだろう、嫁と公志にも見せてご満悦だった。
皆で乾杯して食事に入ったのだが、早く食べ終わり、「公志、かくれんぼしよう」とか、「馬になって」とか、公志をお気に入りだ。この頃は「最初はグー、ジャンケンポン」を覚えみたいで、「じゃーじいちゃんとジャンケンしようか」と言って、五百円を出した。わざと負けてやろと思うのだが、最初はグーの後、パーを出してばっかりで、チョキを出していると、ずっと勝つので、最後グーを出して負けてやった。
家に帰るとケーキが用意されていた。ローソクが3本立っていて、1本目のローソクはすぐに消えたが、2本目、3本目は消えなかった。

まだ肺活量が弱いんだろう。無事行事は終わった。
後は、11月の七五三だ。それまで生きていなければいけない。
お国に捧げた体。暑いとかだるいとか、いざという時熱中症とか、コロナにかかったりしたら、天皇陛下に申し訳が立たない。日本男子がこれくらいの暑さに負けてたまるか、アァーそれにしても暑い!
Posted by 貝川蒲鉾店
at 21:04
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