2024年04月18日
永久の別れ
3月30日、久しぶりにとれたて市場に、嫁と次男で店頭販売に行った。
今は昔ほど売れなくなった。
夕方、家に帰ったら、いつもの夕飯より少し豪勢な食卓であった。

「お、今日は何だ、豪勢だネェ。」と言うと、次男が「今日は何の日でしょう。」と言う。
「何の日と言われてもネェ」と思い出せない。
すると嫁が、「今年1年頑張りましょう。」と言って、ノンアルのビールで乾杯をしてきた。

「アッ、そうか、今日は結婚記念日だ。すっかり忘れた。アーすまない。俺としたことが。」と嫁に詫びた。
嫁が「去年は私が忘れていたから、あいこだネェ」と笑った。
すると次男が「親父たちは何がきっかけで結婚することになったんだ。」と聞いてきた。
一瞬、下をうつむき、静かに答えた。「魔が差したんだ。」
4月12日正午前、スマホに着信が入る。長島の兄貴からだった。「ケンスケ、マスミが今亡くなった。詳しくは後で連絡する。」と言って電話を切った。
「しまった。14日にお見舞いに行くつもりでいたのに、もっと早く行くべきだった。残念。」すぐ、親戚中に電話で知らせた。
翌13日、天附の杉本夫妻とお悔みに行った。
お通夜が、午後6時だったので、フェリーの便が無くなるとのことで、朝9時40分のフェリーに乗った。
フェリーから、仏様は、自宅か斎場かどちらに安置されているか聞いたら、自宅との事で、自宅に向かった。
マスミさんは安らかな顔で、眠っておられた。
みんなで両手を合わせ、兄貴にお悔みの言葉を述べた。兄貴から、死亡までの経過を聞いた後、次のフェリーの便の時間まで、昔話や思い出話に花が咲いた。兄貴が、帰る時は「ジャガイモを持って行ってくれ。長島のジャガイモはうまかで。」と言ってくれた。そろそろ時間になったので、みんな車に乗り込み、兄貴をはじめ、家族に見送られ、2,3メートル車が動いたところで、杉本さんの嫁さんが、「ア、ジャガイモをもらってない。バック、バックと言いだされた。」少しバックして、窓から首を出して、「ジャガイモを忘れた。」と言ったら、兄貴も慌てて取りに戻り、長女の息子と二人で、コンテナいっぱいのジャガイモを後ろに積んでくれた。
翌14日、朝、長男家族とフェリー乗り場で待ち合わせ、長男の車で行くことになった。すでに親戚の方々も集まっておられた。9時40分のフェリーにみんな乗船し、長島に向かった。
まご娘のツムギも船旅は初めてで、朝早くから起きて楽しみにしていたようだ。客室にじっとしてないで、外に出たり入ったり一時もじっとしていないで、はしゃぎ廻った。


見かねた長男が、3階の甲板に連れて行き、海を眺めさせた。外は天気晴朗なれど、風強しだった。ツムギもとても機嫌が良かった。


蔵之元に着き、一路平尾の斎場へ向かった。斎場では、上筋家の家族や孫たちが迎えてくれた。
葬式じゃないなら再会を喜び合うのだが、今日は挨拶もそこそこに、席に着いた。
マスミさんの遺影の前で、1人憔悴して座っている兄貴の後ろ姿を見ていると、何て話しかけていいか言葉が見つからなかった。

生前楽しかったことが、走馬灯のようによみがえり、懐かしく思い出されていたに違いない。
式も終わり、出棺の運びとなった。生花を渡され、次々に棺の中に添えていく。最後のお別れだ。生花を入れている兄貴の姿を見ていると、子供たちは皆、東京にいるし、最愛の嫁さんには先立たれ、これから長島で1人暮らしていくのかと思うと、可哀想で涙が出てくる。



ここで親戚の人たちは皆帰られた。我が家族だけは、火葬場まで行き、お骨を拾って帰りますと伝えた。
火葬場は、行人岳の中腹にあった。この火葬場、最近でけたのだろう。きれいに整頓され、ホテルのロビーみたいな感じだった。何も知らないツムギは、広い火葬場の周りを、何べんも走り回っていた。



フェリーの時間が近づいてきたので、みんなに見送られて帰路についた。
ツムギは車に乗せた途端、すぐ眠ってしまった。疲れたんだろう。みんなご苦労さんでした。
マスミさんにはエピソードが2つある。
1つは、新婚旅行に旅立つ朝、瀬崎の港まで、俺のライトバンで送って行った。後ろのドアを開け、荷物を下ろした。下ろし終わった兄貴はライトバンの後ろのドアに手をかけた。自分の少し前にマスミさんが立っていたのだが、当たらないと思っていたんだろう。思い切りドアをおろした。
「ゴォーン」と鈍い音がした。俺は一瞬青ざめた。救急車を呼びまいかもと。兄貴はただ謝るばかりで、マスミさんは涙目になって、怒るに怒れないし、そういえばその後、新婚旅行中はどうなったかは聞いてなかったなァー。いや、あれは痛かっただろう。
2つ目は、優子(長女)が幼稚園児の頃、「お母さん、優子もお兄ちゃんみたいなおチンチンが欲しい。」と言ってマスミさんを困らせた。
マスミさんは、マスミさんで、「ハイハイ、今度デパートに行った時、買ってあげるからネ。」と納得させた。俺は、デパートなんかには売ってありませんよーと思っていたが、NHKのグッツに売ってあった。NHKのディレクターと結婚したのだ。これには俺も参った。大事に使えヨ、優子。
笑いは百薬の長
ある女性が、買い物を終えて、スーパーから出てくると、とても長い葬送の列に出くわした。先頭には、2つの棺、そしてその後には200人の女性だけの列が続いて歩いているのである。あまりにも不思議な光景だったので、女性は自分のと同じ年くらいの喪主とおぼしき女性に尋ねた。
「あの、このような時にぶしつけとは思いますが、いったいどなたの葬列なのでしょうか。」喪主の女性は、ちらりと目線を上げ「一番目の棺は私の夫です。長年飼っていた飼い犬に噛み殺されたのです。」
「まァー、それはなんと不幸な」と女性が驚くと、喪主は、言葉を続けた。「二番目の棺は夫の母親です。彼女は夫を助けようとし、やはり同じ犬に嚙み殺されたのです。」その言葉を聞くと、女性は遠慮がちに言った。「あの、よろしければそのワンちゃんを貸してもらえないでしょうか。」
「そしたら、列の最後にお並びください。」
今は昔ほど売れなくなった。
夕方、家に帰ったら、いつもの夕飯より少し豪勢な食卓であった。

「お、今日は何だ、豪勢だネェ。」と言うと、次男が「今日は何の日でしょう。」と言う。
「何の日と言われてもネェ」と思い出せない。
すると嫁が、「今年1年頑張りましょう。」と言って、ノンアルのビールで乾杯をしてきた。

「アッ、そうか、今日は結婚記念日だ。すっかり忘れた。アーすまない。俺としたことが。」と嫁に詫びた。
嫁が「去年は私が忘れていたから、あいこだネェ」と笑った。
すると次男が「親父たちは何がきっかけで結婚することになったんだ。」と聞いてきた。
一瞬、下をうつむき、静かに答えた。「魔が差したんだ。」
4月12日正午前、スマホに着信が入る。長島の兄貴からだった。「ケンスケ、マスミが今亡くなった。詳しくは後で連絡する。」と言って電話を切った。
「しまった。14日にお見舞いに行くつもりでいたのに、もっと早く行くべきだった。残念。」すぐ、親戚中に電話で知らせた。
翌13日、天附の杉本夫妻とお悔みに行った。
お通夜が、午後6時だったので、フェリーの便が無くなるとのことで、朝9時40分のフェリーに乗った。
フェリーから、仏様は、自宅か斎場かどちらに安置されているか聞いたら、自宅との事で、自宅に向かった。
マスミさんは安らかな顔で、眠っておられた。
みんなで両手を合わせ、兄貴にお悔みの言葉を述べた。兄貴から、死亡までの経過を聞いた後、次のフェリーの便の時間まで、昔話や思い出話に花が咲いた。兄貴が、帰る時は「ジャガイモを持って行ってくれ。長島のジャガイモはうまかで。」と言ってくれた。そろそろ時間になったので、みんな車に乗り込み、兄貴をはじめ、家族に見送られ、2,3メートル車が動いたところで、杉本さんの嫁さんが、「ア、ジャガイモをもらってない。バック、バックと言いだされた。」少しバックして、窓から首を出して、「ジャガイモを忘れた。」と言ったら、兄貴も慌てて取りに戻り、長女の息子と二人で、コンテナいっぱいのジャガイモを後ろに積んでくれた。
翌14日、朝、長男家族とフェリー乗り場で待ち合わせ、長男の車で行くことになった。すでに親戚の方々も集まっておられた。9時40分のフェリーにみんな乗船し、長島に向かった。
まご娘のツムギも船旅は初めてで、朝早くから起きて楽しみにしていたようだ。客室にじっとしてないで、外に出たり入ったり一時もじっとしていないで、はしゃぎ廻った。


見かねた長男が、3階の甲板に連れて行き、海を眺めさせた。外は天気晴朗なれど、風強しだった。ツムギもとても機嫌が良かった。


蔵之元に着き、一路平尾の斎場へ向かった。斎場では、上筋家の家族や孫たちが迎えてくれた。
葬式じゃないなら再会を喜び合うのだが、今日は挨拶もそこそこに、席に着いた。
マスミさんの遺影の前で、1人憔悴して座っている兄貴の後ろ姿を見ていると、何て話しかけていいか言葉が見つからなかった。

生前楽しかったことが、走馬灯のようによみがえり、懐かしく思い出されていたに違いない。
式も終わり、出棺の運びとなった。生花を渡され、次々に棺の中に添えていく。最後のお別れだ。生花を入れている兄貴の姿を見ていると、子供たちは皆、東京にいるし、最愛の嫁さんには先立たれ、これから長島で1人暮らしていくのかと思うと、可哀想で涙が出てくる。



ここで親戚の人たちは皆帰られた。我が家族だけは、火葬場まで行き、お骨を拾って帰りますと伝えた。
火葬場は、行人岳の中腹にあった。この火葬場、最近でけたのだろう。きれいに整頓され、ホテルのロビーみたいな感じだった。何も知らないツムギは、広い火葬場の周りを、何べんも走り回っていた。



フェリーの時間が近づいてきたので、みんなに見送られて帰路についた。
ツムギは車に乗せた途端、すぐ眠ってしまった。疲れたんだろう。みんなご苦労さんでした。
マスミさんにはエピソードが2つある。
1つは、新婚旅行に旅立つ朝、瀬崎の港まで、俺のライトバンで送って行った。後ろのドアを開け、荷物を下ろした。下ろし終わった兄貴はライトバンの後ろのドアに手をかけた。自分の少し前にマスミさんが立っていたのだが、当たらないと思っていたんだろう。思い切りドアをおろした。
「ゴォーン」と鈍い音がした。俺は一瞬青ざめた。救急車を呼びまいかもと。兄貴はただ謝るばかりで、マスミさんは涙目になって、怒るに怒れないし、そういえばその後、新婚旅行中はどうなったかは聞いてなかったなァー。いや、あれは痛かっただろう。
2つ目は、優子(長女)が幼稚園児の頃、「お母さん、優子もお兄ちゃんみたいなおチンチンが欲しい。」と言ってマスミさんを困らせた。
マスミさんは、マスミさんで、「ハイハイ、今度デパートに行った時、買ってあげるからネ。」と納得させた。俺は、デパートなんかには売ってありませんよーと思っていたが、NHKのグッツに売ってあった。NHKのディレクターと結婚したのだ。これには俺も参った。大事に使えヨ、優子。
笑いは百薬の長
ある女性が、買い物を終えて、スーパーから出てくると、とても長い葬送の列に出くわした。先頭には、2つの棺、そしてその後には200人の女性だけの列が続いて歩いているのである。あまりにも不思議な光景だったので、女性は自分のと同じ年くらいの喪主とおぼしき女性に尋ねた。
「あの、このような時にぶしつけとは思いますが、いったいどなたの葬列なのでしょうか。」喪主の女性は、ちらりと目線を上げ「一番目の棺は私の夫です。長年飼っていた飼い犬に噛み殺されたのです。」
「まァー、それはなんと不幸な」と女性が驚くと、喪主は、言葉を続けた。「二番目の棺は夫の母親です。彼女は夫を助けようとし、やはり同じ犬に嚙み殺されたのです。」その言葉を聞くと、女性は遠慮がちに言った。「あの、よろしければそのワンちゃんを貸してもらえないでしょうか。」
「そしたら、列の最後にお並びください。」
Posted by 貝川蒲鉾店
at 22:16
│Comments(0)