2024年02月12日
謹賀新年
♪お酒はぬるめの燗がいい~肴はあぶったイカでいい~女は無口の方がいい~灯はぼんやりともりゃいい~♪
八代亜紀さんの訃報がテレビで知らされた。彼女は唄もうまかったが、絵もうまかった。二科展によく出展していて、石坂浩二と共に入選していた。
同じ年の人達が芸能界でも1人減り、2人減りと、櫛の歯が折れるように亡くなっていく。明日は我が身か?そんな歳になって来た。
正月、元日、我が家に長男家族が来て、正月を祝った。
お屠蘇は例によって『久保田』を用意した。
みんなで「おめでとうございます。」と挨拶の後、飲み始めたのだが、みんなの視線は「ツムギ」に集中する。お年玉をやっても料理を見てもあまり感動がない。まだ2才児だからしょうがないか。その代わり、「スマホ」には興味があるらしく、一生懸命いじっていた。




昼からは嫁さんの実家に行くと言って、昼になったら帰った。
正月だけは、朝から酒が飲めるので、正月様様だ。しかし、昼間から飲む酒はきけるネー、年末の疲れが残っているのだろう。コタツに横たわっていた。
目が覚めたら、テレビで正月番組はどこもなく、「津波が来ます、逃げてください」と地震速報が流れていた。「マジか?この正月に」いわゆる能登半島地震である。一瞬で酔いが覚めてしまった。
夕食の時間になったが、石川県の人たちのことを考えると、とても酒を飲む気になれなかった。こんな正月は初めてであった。
1月3日は牛深八幡宮に恒例の初詣に行くことになっていた。
ツムギは本殿の裏に登ったり、魚のおみくじを買ってもらったりとご満悦だった。



11時半、神殿に入って、お祓いを受けた。神事が終わって、お神酒がふるまわれた。みんな1人ずつ飲んでいるから、ツムギも自分も飲めると思って並んでいた。自分の番だと思って盃に手を伸ばしたが、母親から「こらこら、ダメダメ」と言って止められた。

1月4日、おなじみの床屋さんから、今日まで休みだから出て来ないかと、碁のお誘いがあった。今年初打ちである。
小川さんは私が2,3段の頃は、雲の上の人で、絶対に勝てなかった人だ。今はお互い六段で打っているが、この頃は私が、3連勝、4連勝と勝率が良い。昨日も4連敗されたので、今日はTELはないだろと思っていたら、「仕事は終わったとや、暇なら一局教えてもらえないでしょうか。」「ワァー今日はかかって来ないと思っていたら、来たか!元来負けず嫌いだからなぁ」それに答えてのこのこ出て行くオレもオレだ。

この前、天空の碁会所の帰りの車の中で、「今日の成績はどがんやったと?」と聞かれ「丸山さんに負けました。」と言ったら、「えっ、丸山さんに」とさらに「俺ばっかりいじめているから負くいとさなー」と「そんな、いじめるなんて人聞きが悪い。指導ですよ、指導」と言って、大笑いになった。
1月5日、正月もあっという間に終わり、仕事始めの日だった。「近いうちに松木を持って来ます」と蓑田林業から電話が入った。
じゃということで、今残っている松木を片付け、いつでも置けるようスペースを空けた。


数日後、松木が来た。これで今年1年分は大丈夫だ。

1月11日、小欄でおなじみの「うみそら」のカウボーイこと伊藤さんが、蒲鉾を買いに来られた。髪の毛を短く切って、サッパリしておられた。
話の中で、今度店で、フラメンコギターの演奏会をやるとの事だった。3年前やるつもりだったのが、コロナで中止になり、申し訳ないと思っていた。再び依頼したら、OKをもらえて、嬉しかったそうだ。
お土産も頂き、記念写真も撮らせてもらった。



人の縁というものは、不思議なものである。神奈川生まれの人が、天草の何の接点もない人間と友達になるんだからなぁー、縁は大事にしないと。
笑いは百薬の長
男子禁制の修道院で規則を破った修道女4人が、院長に呼ばれた。
1番目の修道女に聞いた。「あなたは、その部分をどうやって触ったのですか」と「はい、指で触りました」院長は眉をしかめ「じゃその指を聖水で洗いなさい」
「じゃ2番目のあなたは」「ハイ、私は指で握りました」
院長は心臓が止まるくらいびっくりして、「じゃその手首を聖水で洗いなさい」
次の3番目に聞こうとしたとき、4番目の修道女が、「3番目の人が尻を洗った聖水で口をすすぐことは私にはできません。」
八代亜紀さんの訃報がテレビで知らされた。彼女は唄もうまかったが、絵もうまかった。二科展によく出展していて、石坂浩二と共に入選していた。
同じ年の人達が芸能界でも1人減り、2人減りと、櫛の歯が折れるように亡くなっていく。明日は我が身か?そんな歳になって来た。
正月、元日、我が家に長男家族が来て、正月を祝った。
お屠蘇は例によって『久保田』を用意した。
みんなで「おめでとうございます。」と挨拶の後、飲み始めたのだが、みんなの視線は「ツムギ」に集中する。お年玉をやっても料理を見てもあまり感動がない。まだ2才児だからしょうがないか。その代わり、「スマホ」には興味があるらしく、一生懸命いじっていた。




昼からは嫁さんの実家に行くと言って、昼になったら帰った。
正月だけは、朝から酒が飲めるので、正月様様だ。しかし、昼間から飲む酒はきけるネー、年末の疲れが残っているのだろう。コタツに横たわっていた。
目が覚めたら、テレビで正月番組はどこもなく、「津波が来ます、逃げてください」と地震速報が流れていた。「マジか?この正月に」いわゆる能登半島地震である。一瞬で酔いが覚めてしまった。
夕食の時間になったが、石川県の人たちのことを考えると、とても酒を飲む気になれなかった。こんな正月は初めてであった。
1月3日は牛深八幡宮に恒例の初詣に行くことになっていた。
ツムギは本殿の裏に登ったり、魚のおみくじを買ってもらったりとご満悦だった。



11時半、神殿に入って、お祓いを受けた。神事が終わって、お神酒がふるまわれた。みんな1人ずつ飲んでいるから、ツムギも自分も飲めると思って並んでいた。自分の番だと思って盃に手を伸ばしたが、母親から「こらこら、ダメダメ」と言って止められた。

1月4日、おなじみの床屋さんから、今日まで休みだから出て来ないかと、碁のお誘いがあった。今年初打ちである。
小川さんは私が2,3段の頃は、雲の上の人で、絶対に勝てなかった人だ。今はお互い六段で打っているが、この頃は私が、3連勝、4連勝と勝率が良い。昨日も4連敗されたので、今日はTELはないだろと思っていたら、「仕事は終わったとや、暇なら一局教えてもらえないでしょうか。」「ワァー今日はかかって来ないと思っていたら、来たか!元来負けず嫌いだからなぁ」それに答えてのこのこ出て行くオレもオレだ。

この前、天空の碁会所の帰りの車の中で、「今日の成績はどがんやったと?」と聞かれ「丸山さんに負けました。」と言ったら、「えっ、丸山さんに」とさらに「俺ばっかりいじめているから負くいとさなー」と「そんな、いじめるなんて人聞きが悪い。指導ですよ、指導」と言って、大笑いになった。
1月5日、正月もあっという間に終わり、仕事始めの日だった。「近いうちに松木を持って来ます」と蓑田林業から電話が入った。
じゃということで、今残っている松木を片付け、いつでも置けるようスペースを空けた。


数日後、松木が来た。これで今年1年分は大丈夫だ。

1月11日、小欄でおなじみの「うみそら」のカウボーイこと伊藤さんが、蒲鉾を買いに来られた。髪の毛を短く切って、サッパリしておられた。
話の中で、今度店で、フラメンコギターの演奏会をやるとの事だった。3年前やるつもりだったのが、コロナで中止になり、申し訳ないと思っていた。再び依頼したら、OKをもらえて、嬉しかったそうだ。
お土産も頂き、記念写真も撮らせてもらった。



人の縁というものは、不思議なものである。神奈川生まれの人が、天草の何の接点もない人間と友達になるんだからなぁー、縁は大事にしないと。
笑いは百薬の長
男子禁制の修道院で規則を破った修道女4人が、院長に呼ばれた。
1番目の修道女に聞いた。「あなたは、その部分をどうやって触ったのですか」と「はい、指で触りました」院長は眉をしかめ「じゃその指を聖水で洗いなさい」
「じゃ2番目のあなたは」「ハイ、私は指で握りました」
院長は心臓が止まるくらいびっくりして、「じゃその手首を聖水で洗いなさい」
次の3番目に聞こうとしたとき、4番目の修道女が、「3番目の人が尻を洗った聖水で口をすすぐことは私にはできません。」
Posted by 貝川蒲鉾店
at 21:28
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