2021年08月29日

スタンドバイミーパートⅢ(龍仙島漂流記)

小欄の6年生の頃は、まだ週休2日制はなかった。土曜日は半ドン。振替休日は無し。
当時はテレビもなかったし、土曜日の午後から日曜日にかけて、この貴重な休みを何して遊ぼうか、心がウキウキしていた。宿題なんてやってられるか!
遊びは海か山か広場か、この3つに決まってた。
我が決死隊は、春から夏にかけて、海遊びが主だった。朝食を食べ終わると、誰となくリーダーの家に集まる。今日は何して遊ぶか決める。決まったら、来てない仲間に知らせに行く。
その日は、まだ櫓を漕げない者がいるので、宮崎の湾内で練習することになった。初心者にはまだ力配分がわからないので、手にマメができる。そんな時は手に包帯を巻いて漕いだ。練習の甲斐あって、みんな漕げるようになった。
ある日の事、今度は湾を出て、外海で練習しようということになり、須口の一番先の剣崎まで、漕いでいくことになった。
写真中央右端の黒い山が見えている。その先から防波堤が伸びているのが剣崎。当時は瀬で防波堤はなかった。

スタンドバイミーパートⅢ(龍仙島漂流記)

スタンドバイミーパートⅢ(龍仙島漂流記)

そして、写真中央に見える小さな島が、龍仙島だ。
その日は快晴で、凪だった。剣崎に着いた。剣崎を過ぎると、外海になる。そこに赤色の浮き灯台があることをリーダーも俺も知っていた。
「よし、灯台まで行こう」とリーダーが言うと、「よし、行こう」とみんな心がウキウキしていた。広い海原にポツンと1つ赤い浮き灯台が見えた。
みんな灯台を回って帰るだろうと思っていた。するとそこから正面に龍仙島(片島)がくっきりと見えるではないか。
そこでリーダーはあと1時間くらい漕げば、龍仙島に着くんじゃないかと思ったんだろ。「今から龍仙島に向かおうと思うが、みんなはどうだ」と賛否を問うた。行く者2人、反対2人、どっちでもいいが3人で、行くことに決まった。
舟は龍仙等に向けて漕ぐのだが、漕いでも漕いでも近まらない。牛深はだんだん遠くなり、辺りは島影すらなくなった。
船上は沈黙が続き、とうとう中学生の先輩が泣き出した。みんなびっくりした。「兄貴、帰ろうか?」と進言する。
「そうだな!」「よし、作戦は中止、これより帰途に着く。牛深に向けて面舵いっぱぁーい」みんなで、「面舵いっぱーい」「ようそろー」
今も、義兄と会えば、この話が出てくる。ケータイもスマホもない時代、小中学生が、伝馬船で龍仙島まで、漕いでいくということは、とても無謀だった。
たとえ、あのまま漕いで龍仙島に着いたとしても、また今来た距離を漕いで帰ることは、絶対不可能だ!
強い東風が吹いてきて、天草灘の方へ流され、そのまま東シナ海へと流されたらどうなっていただろ。思い出すとゾォッーとする。
あの時彼が泣いてくれたから、現在の自分たちがあると思う。
その後彼は、自然と仲間から離れていった。
我々も決してその時のことは人には言わない。もちろん名前も。
次回「遠見山、権現山踏破」



Posted by 貝川蒲鉾店  at 20:54 │Comments(1)

この記事へのコメント
先輩の一言で命拾いしたんですね!
こんなに沢山の思い出があるなら、みんなが集まると
幾晩でも昔話で盛り上がりそう(^-^)
Posted by あひるちゃんあひるちゃん at 2021年08月31日 09:44
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