2021年08月26日

スタンドバイミーパートⅡ(黒島上陸編)

小欄が小学6年生に入る前の春休みの出来事だった。
年長者の隊長が卒業して、大阪に集団就職して故郷を離れた。港まで見送りに行った。
桟橋は大勢の見送りの人であふれていた。
水俣丸のデッキには、学生服を着た男女の就職生が横一列に並んで色とりどりのテープを片手に掴み、最後の別れを惜しんでいた。
桟橋を挟んで、反対側の船のデッキでは、牛中のブラスバンドが陣取り、「軍艦マーチ」とか、「校歌」とかが、演奏されていた。
私も、バンドの一員になりすまして、特等席から見送った。
出航の笛が鳴る。すると、「螢の光」が演奏され、船が静かに動き出す。男子学生は片手でテープを握り、帽を振り、女学生はときおり涙を拭きながら、大きく手を振った。
船の別れというものは何かと情緒があった.

リーダーが居なくなった決死隊は、新リーダーに中学3年の上筋睦雄が着任した。通称「むっちゃ」いわゆるこのブログでおなじみの長島の義兄である。
ある日のこと、同級生の友達から、山のトンビの巣にトンビの卵を取りに行ったことを聞き、「それなら俺たちも」ということで、山は山でも黒島のてっぺんのトンビの卵を取りに行こうと、新リーダーの独断で決定された。
今度は歩いては行けない。伝馬船が必要だ。
幸い、決死隊の仲間に宮前三吉「通称みよっしゃん」の親父さんが、大きな伝馬船を持っておられたので、その舟で行くことになった。
中学生4人、小学生4人の8人で編成された。
伝馬船には、鍋、水、マッチなどが常時収められていた。食べ物は現地調達。後は、小刀(肥後守)を各自携帯。
今回も親には内緒で、出発することになった。

天気は晴れ、風は凪、絶好の冒険日和だ。
宮崎湾から、櫓をこいで出発。当時小学生高学年でも、櫓は漕げたし、中学生でも漕げない人もいた。

スタンドバイミーパートⅡ(黒島上陸編)

写真右上から、左端の黒島まで、約40分くらいで到着する。
潮は大潮、干満の差が激しい時期、満潮で黒島の奥まで満ちていた。ラッキーと思い、みんなすぐ上陸した。

スタンドバイミーパートⅡ(黒島上陸編)

まずは、黒島探検からだ。山に登り、トンビの卵を取りに行く者、海岸線を探索する者と分かれた。
俺は卵には興味がなかったので、海岸でミナとかメノハとか食べられるものを探した。30分くらいしたら、山に行った者たちが戻ってきた。
トンビの巣と思って行ったら、カラスの巣だった。カラスの攻撃に遭い、追われて逃げてきたそうだ。弱い決死隊だった。
潮も引いたので、舟の周りで、みんなでアサリ貝掘り、手の空いた者は、メノハを取りに行ったり、ジャガイモを掘りに行ったりした。
舟から鍋やマッチや水を下ろし、小石で竈を作って火を焚いた。鍋にアサリ貝を入れて炊いた。アサリ貝を取り出し、その出し汁でメノハを炊いた。また、その出し汁でジャガイモを炊いた。
それをみんなで食べた。味は憶えていない。でも少し塩辛かった気がする。
腹を満たすほどではなかったが、その場にある食材を使ってみんなで食べる。これがアウトドアの楽しいところだ。
時は2時を過ぎていた。すると、大変なことに気づいた。
朝着いたときは、黒島の入り江の奥まで潮が満ちていた。だが、今の状況は、潮がずっと引いている。ここまで潮が来るまでに2,3時間かかる。日が暮れてしまう。やっとみんな、今、自分たちが置かれている状況がのみこめた。
みんなで知恵を出し合う。手分けして、舟の下に敷く小さな丸太をみんなで探しに行った。5,6本担いできた。
舟の下に敷いてみんなで押したが、重たい。背丈ぐらいの木の棒を4本探してきて、テコの原理を利用して肩に押し当てて舟の両サイドから押した。そしたら、少しずつ動き始めた。やがて浜辺の中ごろまで舟を運べた頃、塩も満ち始め、やっと舟が浮かぶ状態になった。バンザイ。
みんな乗船し、ホッとした。「さぁーこれで帰れる」と思った。だが、試練はこれからだった。突然須口の方から、西風が吹き始めた。漁師語であなぜの風である。
櫓を漕いでも、漕いでも、向かい風で舟が進まない。櫓漕ぎの達者なのは、リーダーと俺くらいだった。みんな舟板を外して両サイドから舟板で漕げと、リーダーが命令する。長手の瀬戸に流されたら、帰って来れんぞ!(当時は通天橋はなかった)

スタンドバイミーパートⅡ(黒島上陸編)

みんな力を合わせて、宮崎の八幡宮の見えるところまで来ることが出来た。家の人たちも、夕方になっても帰って来ないので、八幡宮のところに集まり、我々の行動を見守っていた。
怪我人も出さず、無事帰還することが出来たが、後で船主の宮前の親父さんにリーダーは呼び出された。
「あがん風の強かときは『生け簀』の栓を抜き、海水を入れると舟は重くなって流されんと。」とアドバイスを受けたが、子供にそんな知恵はない。祐ちゃんの親父さんも、みよっしゃんの親父さんも決して頭ごなしに怒らなかった。むしろ自分たちで行動を起こし、失敗をしながら経験を積み重ね、少年から大人になっていく、我が子の成長を遠くから見守っていて下さってる。そう思った。

次回「龍仙島(片島)漂流記」



Posted by 貝川蒲鉾店  at 20:44 │Comments(1)

この記事へのコメント
すっごい時代の話の様ですね(笑)
私もたいして変わらない年代の筈なのに、スケールが違います!
楽しい少年時代をの思い出、もっとお願いします(^^)
Posted by あひるちゃんあひるちゃん at 2021年08月26日 22:27
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。