2021年08月22日

スタンド・バイ・ミー(そばにいて)パートⅠ(下須島一周編)

この曲大好き ♪ダァーリン、ダァーリン、スタンド、バイ、ミー、オープリーズ、スタンド、バイ、ミー♪
ひと夏の子供たちの冒険を描く米映画『スタンドバイミー(1986)』が5月末、地上波で放送された。また見てしまった。
大人になった主人公が、冒険の旅で心を開いて打ち解け合った友の訃報に接し、思い出と共に悼む場面が有名だ。
心の中でつぶやく「12歳だったあの時のような友達は、それからできなかった。誰でもそうなのではないだろうか?」
この問いは何も「12歳」という年齢に狭くかかるものではあるまい。少年期には大なり小なり、人生に影響する友達との出会いが「誰でも」あるということだろう。

今日は小欄の少年期(小学5年)について語ってみたいと思う。

ある日、リーダーの祐の字(当時中学2年生)から召集がかかる。
祐の字の家の二階に集まると「次の日曜日に下須島一周することを決めた」と言って計画を話し始めた。当時は下須島にはまだ橋はかかってなかったので、天附丸という渡し舟が瀬崎から通っていた。用意するものは、船賃往復10円、小刀(肥後守)、ゴム銃(二股のパチンコ)、水、食料は現地調達とのことだったが、ゴム銃のことを質問したら、「鳥を見つけたら、これで撃ち落とし、それをみんなで焼いて食べる。」その当時鶏肉なんて食べたことがなかったので、みんな疑う余地もなくゴム銃を持参した。
この時祐の字は、年長者だったので、一二さんとか祐ちゃんとかなかなか呼びにくかったので、「隊長」と呼び名が付いた。
隊長以下6名の決死隊が編成された。

日曜日の朝八時、みんな親には行き先を告げず、瀬崎に集合。天附丸に乗船、いよいよ未知の世界へ出発である。
二度と生きて帰れないとは知らずに。オイオイ、縁起でもない!

天附に上陸。一路右回路で砂月を目指す。
黒田からはるはえまでは、道じゃなく海岸を歩いた覚えがある。
はるはえの所で海岸はストップして海になっていた。
それから山道はなく、みんなでケモノ道を探して進んだ。
牛深炭鉱の所にでて、海が見えてきた。砂月に着いたのは正午過ぎだった。
計画ではここで鳥を撃って焼いて食べる予定だったが、鳥一匹もいない。今思うと、鳥が何羽いようが、ゴム銃で当たるわけがない。なぜか妙にそこの所だけ記憶に残っている。砂月から元下須までは1本道だったから、歩くだけだった。途中イワシ納屋とかがあって、道端に干してあるセイロのイワシを失敬して飢えをしのいだ。天附に着いたのは午後4時ごろだったと思う。親もいなく、引率の先生もいなく、自分たちだけで成し遂げた達成感は、その後の人生に大きな力を得ることになる。これで自信をつけた決死隊は、さらなる冒険に旅立つことになる。
次回「黒島上陸編」をお楽しみに!


8月15日「月紬」に会いに行く。今日は目を開けていた。
初めて抱っこして見た。軽い!「じいちゃんは月紬に会うため70年待っていたんだぞ」と言ったとたん「ブゥー」とオナラをした。

スタンド・バイ・ミー(そばにいて)パートⅠ(下須島一周編)

「こいつ俺を屁とも思ってないな!」

スタンド・バイ・ミー(そばにいて)パートⅠ(下須島一周編)
スタンド・バイ・ミー(そばにいて)パートⅠ(下須島一周編)
スタンド・バイ・ミー(そばにいて)パートⅠ(下須島一周編)
スタンド・バイ・ミー(そばにいて)パートⅠ(下須島一周編)

「アッ、身も出てる」と長男。

スタンド・バイ・ミー(そばにいて)パートⅠ(下須島一周編)
スタンド・バイ・ミー(そばにいて)パートⅠ(下須島一周編)


「それなら早く変えてやらじゃ」と、感動のご対面と思っていたが、全く締まりのない話になってしまった。先が思いやられる。



Posted by 貝川蒲鉾店  at 22:52 │Comments(1)

この記事へのコメント
まだオムツも変えやすいですね。
そのうちジッとしてなくて大変ですよ(^-^)
貝川さんのデレッとしたお顔が目に浮かびます(笑) 我が家も同じなので・・
Posted by あひるちゃんあひるちゃん at 2021年08月23日 10:47
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