2021年07月25日
57年ぶりのオリンピックマーチ
七月の上旬、「アマビズ」の主催で、「天草直産、夏の天草フェアー」が7月9日、10日、11日の3日間イオン天草店で行われた。
出店業者も15業者位集結した。



初日と2日目は、あいにくの雨で、客入りが悪かった。
3日目は、天候も回復し、客足も多かったようだ。
昨年から、イベントは中止ばっかりだったので、久しぶりの店頭販売に気合いが入った。
チラシも打ってあったので、「アッ、貝川さんが来とらす」、「アッ、貝川さんだ」とか、「チラシを見て来ました」とか、差し入れを持って来ましたとか、沢山の方が、あいさつに来られた。

中には、ブログのご常連の楠浦の板金屋さんまでも来て下さったとのこと。この場を借りて、厚くお礼申し上げます。
秋にも第2弾が計画されているとのこと、お声がかかったら、また出店したいと思っています。その時は、また宜しくお願い致します。
さて、いよいよオリンピックも開幕し、熱戦が繰り広げられている。
私の脳裏には、57年前の東京オリンピックの記憶がよみがえってきた。あれは、1年中で一番雨が降らない季節を選び、統計を取って秋の10月に決定した。秋空の国立競技場にファンファーレが鳴り響き、オリンピックマーチと同時に、各国の入場行進が始まった。
自衛隊と警察の音楽隊が演奏を勤めた。私はアスリートではないので、オリンピックには無縁だが、オリンピックマーチには、私なりのエピソードがある。
東京オリンピックは、私が中学2年の秋にあった。翌中学3年の夏に、熊本の九州学院高校の吹奏楽部が、夏休みの合宿に3日間の予定で、牛深中学の体育館を選んだ。
2日目、夕方の7時から、牛中体育館で、演奏会を開くことになった。
九学には、私の入部した時の部長で、川崎倹という2つ上の先輩がおられた。
演奏が始まった。するとあのオリンピックマーチが演奏されたではないか。感動した!
学生でも演奏ができるなんて思ってもみなかった。やっぱり熊本市内の高校生の演奏は、上手くて垢抜けている。
演奏終了後、先輩を訪ね、演奏を聞いた感想などを述べた。
私も彼の後、部長をやっていたので、ぜひ彼に聞かなければならないことがあった。「スミマセン先輩!そのオリンピックマーチの楽譜を夏休みが終わったら、1週間位貸してもらえないでしょうか」と、「いいよ、先生のOKがでたら送ってやるよ」と二つ返事で承諾してくださった。
当時は、コピー機がなかったので、送ってきた各パートの楽譜をみんなで手書きで写した。
それから来る日も来る日も練習に励んだ。
するといつも練習に顔を出さない顧問の先生が来て、「貝川!この楽譜はどこで手に入れた」と聞くので、今までのいきさつを話した。
酒浸りで、麻雀ばかりしていた男が、それから毎日顔を出すようになった。秋に体育祭を控えていたから。
ファンファーレの楽譜はなかったので、独自で音を拾って何とか形も整った。
体育祭当日、ファンファーレをトランペット2人で演奏した。高音をちょっとミスったので、上手だったとはいえなかった。
先生の指揮棒が振り下ろされ、オリンピックマーチが秋空の牛中のグラウンドに鳴り響いた。
このオリンピックマーチは、古関裕而が作曲したとは、去年まで知らなかった。
この曲の終わりの部分に「君が代」のメロディーが挿入されている。昔の人は、粋なことをやるなぁー。
コロナ禍のオリンピックは、無観客で異例づくめの大会だ。
賽は投げられた。どんなドラマが待っているのか、日本勢の熱戦を期待し、我が家の桟敷席から、マスクなしの応援をするか。
出店業者も15業者位集結した。



初日と2日目は、あいにくの雨で、客入りが悪かった。
3日目は、天候も回復し、客足も多かったようだ。
昨年から、イベントは中止ばっかりだったので、久しぶりの店頭販売に気合いが入った。
チラシも打ってあったので、「アッ、貝川さんが来とらす」、「アッ、貝川さんだ」とか、「チラシを見て来ました」とか、差し入れを持って来ましたとか、沢山の方が、あいさつに来られた。

中には、ブログのご常連の楠浦の板金屋さんまでも来て下さったとのこと。この場を借りて、厚くお礼申し上げます。
秋にも第2弾が計画されているとのこと、お声がかかったら、また出店したいと思っています。その時は、また宜しくお願い致します。
さて、いよいよオリンピックも開幕し、熱戦が繰り広げられている。
私の脳裏には、57年前の東京オリンピックの記憶がよみがえってきた。あれは、1年中で一番雨が降らない季節を選び、統計を取って秋の10月に決定した。秋空の国立競技場にファンファーレが鳴り響き、オリンピックマーチと同時に、各国の入場行進が始まった。
自衛隊と警察の音楽隊が演奏を勤めた。私はアスリートではないので、オリンピックには無縁だが、オリンピックマーチには、私なりのエピソードがある。
東京オリンピックは、私が中学2年の秋にあった。翌中学3年の夏に、熊本の九州学院高校の吹奏楽部が、夏休みの合宿に3日間の予定で、牛深中学の体育館を選んだ。
2日目、夕方の7時から、牛中体育館で、演奏会を開くことになった。
九学には、私の入部した時の部長で、川崎倹という2つ上の先輩がおられた。
演奏が始まった。するとあのオリンピックマーチが演奏されたではないか。感動した!
学生でも演奏ができるなんて思ってもみなかった。やっぱり熊本市内の高校生の演奏は、上手くて垢抜けている。
演奏終了後、先輩を訪ね、演奏を聞いた感想などを述べた。
私も彼の後、部長をやっていたので、ぜひ彼に聞かなければならないことがあった。「スミマセン先輩!そのオリンピックマーチの楽譜を夏休みが終わったら、1週間位貸してもらえないでしょうか」と、「いいよ、先生のOKがでたら送ってやるよ」と二つ返事で承諾してくださった。
当時は、コピー機がなかったので、送ってきた各パートの楽譜をみんなで手書きで写した。
それから来る日も来る日も練習に励んだ。
するといつも練習に顔を出さない顧問の先生が来て、「貝川!この楽譜はどこで手に入れた」と聞くので、今までのいきさつを話した。
酒浸りで、麻雀ばかりしていた男が、それから毎日顔を出すようになった。秋に体育祭を控えていたから。
ファンファーレの楽譜はなかったので、独自で音を拾って何とか形も整った。
体育祭当日、ファンファーレをトランペット2人で演奏した。高音をちょっとミスったので、上手だったとはいえなかった。
先生の指揮棒が振り下ろされ、オリンピックマーチが秋空の牛中のグラウンドに鳴り響いた。
このオリンピックマーチは、古関裕而が作曲したとは、去年まで知らなかった。
この曲の終わりの部分に「君が代」のメロディーが挿入されている。昔の人は、粋なことをやるなぁー。
コロナ禍のオリンピックは、無観客で異例づくめの大会だ。
賽は投げられた。どんなドラマが待っているのか、日本勢の熱戦を期待し、我が家の桟敷席から、マスクなしの応援をするか。
Posted by 貝川蒲鉾店
at 21:39
│Comments(2)
57年前、中2夜中に頭を使って計算してしまいました(笑)おまけに貝川蒲鉾店ののぼり旗見てよだれが…お腹空きました(^_^;)
私は小学校2年生でしたよ!
あなたは、もっと下のはず?
なんかどうでも良いけど(笑)