2024年01月20日

喜びも悲しみも幾歳月

正月も過ぎ、早2週間は経ってしまった。年末は忙しくてブログも書く暇がなかった。今となっては、昔のことだが、12月を振り返ってみよう。

12月15日、天空の碁会所で今年最後の月例会が行われた。



あいにく私は、仕事で参加することが出来なかった。午後2時頃、参加賞を持って碁会所に着いた。もう皆さん最終局面に差し掛かっていて、正光寺のご住職が、4戦全勝で勝ち上がっていらした。
すると、会長の久保さんが、「貝川さん、皆さん成績が悪いので、代打ちをお願いできませんか。」と言われた。
快諾したが、相手は全勝優勝がかかっている。私は勝敗には関係ないので、気は楽だ。でも勝つわけにはいかない。
ただギャラリーも見ていることだし、わざと負けるわけにはいかない。
適当なところで投了しようと思っていたら、「コウ」が発生し、ご住職の石がみんな死んでしまった。
「アリャー勝てばいけない碁を勝ってしまった。」申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、それでもご住職の優勝だったので、安堵した。
夜は、6時から河浦碁会の忘年会が用意されていた。
丸山さんに牛深まで迎えに来てもらった。
例によって、居酒屋「なべちゃん」に集合した。が、1人来ていない人がいた。崎本さんだ。みんな到着を待っていた。
そこに1本の電話が入る。久保さんが出ると、崎本さんの奥さんからのようだった。
「おじさんが倒れられたので、すぐに帰るように」との事だった。会場はざわついた。
そこに何も知らない本人が現れ、久保さんが事の詳細を伝えた。みんなから追い出されるように帰って行かれた。
後日、その後どうなったか聞いてみた。すると救急車が来た時には、すでに亡くなっていたとの事だった。その後警察とかが来て大変だったそうだ。
さて、場面を「なべちゃん」に戻そう。
ご住職の挨拶の後、乾杯の音頭を溝口さんにとってもらった。
いつもは貸し切りでやっていたけど、平日だったので、他のお客さんも来ておられた。みんな和気藹々で賑わった。






女将さんに、記念写真を撮ってもらった。



そしたら、女将さんもとの事で撮らせてもらった。



ほんとにこの天空の碁会所の仲間はいい人達ばっかりで、私はものすごく気に入っている。
末永く続いてほしいものだと、心から願うばかりだ。
9時前に、かぼちゃの馬車が到着した。私とご住職は帰路についた。
車の中で、「貝川さんは、日本酒を飲まれますか。」と聞かれ、3度の飯より好きですと答えた。
お寺に着いたら、「貝川さん、ちょっと待っとって下さい。」と言って、月桂冠の大吟醸を1本、ビールを1打、米5kg,10kg、各1ヶ、持って来られた。
「ウワー、こんないっぱいもらえませんヨ」と言うと、「よかで飲めなァー」と言ってさっさと部屋の中に入って行かれた。
「アー今日の碁は、わざとでも負けとくべきだった。」と後悔の連続だった。
昨年はお菓子、カステラ、最中、それにジョニーウォーカーのゴールドラベル。そして、今回の大吟醸。本当によくしてもらった年だった。
私が貧乏していることを知っておられるのかな?仏に仕えていらっしゃる人は、やはり凡人とは違い、人間として出来ておられる。風格がそなわり、どこか後光がさしておられる。そんな感じさえうかがえる。
そんな人を碁盤の上で叩きのめすような人間だこの男は。「この罰当たりが、地獄に落ちろ!」と思われたに違いない。

25日のクリスマスに雪が降った。こんな日は温泉でも浸かって、鍋を囲みながら、1杯という甘い考えは夢の又夢、年末の最後の生産に追われている。そしてどうやら注文の数はこなし、29日で仕事は終わった。今年もどうやら無事に乗り越えることが出来た。みんなよく頑張った。
午後2時頃、くつろいでいると、1本の電話が入った。産直隊の副隊長の唐田さんからだった。「貝川さん、知っとらすですか、江口さんが亡くなられたことを」と伝えてこられた。寝耳に水である。
「えーまた何で?」「温泉に行って、浮かんでおられたそうですよ。」「ウワー俺よりだいぶ年下なのに、心筋梗塞だったんだろうか。」
すぐ、ル・モンドの橋本さんに連絡し、隊員にラインを送ってもらった。
彼は独身だったので、情報が入って来ない。翌30日の朝、とれたて市場に行ってた倉田さんから、TELが入る。
「今、とれたて市場にいますけど、ここに江口さんの弟さんがおられます。ちょっとかわります」と言って、弟さんが出られた。
「今の状況はどうなっていますか?」「12月31日が葬式です。」との事。死亡されたのは12月25日だったそうだ。年末だったので、みんな仕事が忙しく、火葬を先に済ませて、有明の弟さんの家で、お骨は安置されているとの事だった。
斎場の場所と電話番号を聞き、さっそく弔電を打った。
31日は配達しないとの事だったので、30日中に届けるように頼んだ。
みんな年末で忙しいので、本渡の斎場までは行けないということで、牛深におられる姉さんに香典は預けることにした。
彼には産直隊の会計と幹事をやってもらっていた。
イベントの時の三角くじの抽選会、忘年会、新年会の手配など、私の片腕として、頑張ってくれた。
とれたて市場でも、土日で10万位売り上げていた。産直隊きっての稼ぎ頭だった。
生前、飲み会の席で、「貝川さん、この産直隊に入れてもらって本当に良かった」と感謝された。
ポン菓子、ガネ揚げ、唐揚げ、黒にんにくなどで大分稼いだだろう。でも死ねば1銭もあの世には持っていけない。残念だっただろう。死ねば負けだ。
ご冥福を祈ろう。
  


Posted by 貝川蒲鉾店  at 23:42Comments(1)