2022年04月17日

カウボーイ、カナダへ帰る

春眠暁を覚えず、処々啼鳥を聞く、夜来風雨の声、花落ちること知る多少。
この詩のように、春の目覚めは何と心地よいものだろ。いくら寝ても眠い。

4月1日、とうとう冷蔵庫の室外機が壊れ、新しいのに取り替えなければならなくなった。
痛い出費だった。



これだけは、「待った」なしだ。仕事が出来ないからなー
同じ日、孫娘の保育園の入園式があった。



まだ、生後8ヶ月しか経っていないのに、可哀想と思うけど、共働きだから仕方がない。
幸いにも嫁さんが保育士だから、同じ保育園のなので、心配はない。入園式では、さっそく奇声を上げていたそうな。





また、同じ日の午後、あのカウボーイからお別れの挨拶に来ますと、先日メールが届いていた。次男と嫁と三人で待っていたら、夕方の4時ごろ、奥さんと友人と三人で来られた。




自家製のパンをお土産に頂いた。重くて少し硬かった。早く食べてみたいと思いはあったけど、「待て待て、慌てる乞食はもらいが少ない」明日の朝食に期待しよう。
短い間だったけど、お互い職人としての心意気が通じ合ったみたいだ。どうか異国の地で戦渦に巻き込まれないよう、12月には元気な姿で帰って来られることを切望してやまない。

そんな中、ハイヤ祭り前で、仕事も忙しくなった。ツムギの職場訪問があった。ツムギが来ると、仕事場が明るくなる。





ここは寝転ぶところがないので、遊ばれないが、桶に入れたり、箱に入れたりしてやると、結構1人で遊んでくれる。






真剣白刃取りをしたり、一寸法師になったりして、楽しませてくれる。



近頃は、1人でつかまり立ちできるようになったそうな。



歩き出すのも間近だろう。楽しみである。日本は平和でいい。
仕事が終わり、家に帰り、テレビを見ると、ウクライナ情勢ばかりだ。食事中目を覆いたくなるような光景が映し出される。罪もない子供、女性、一般市民、老人に至るまで、大量虐殺。これが人間のやることか。「おのれプーチン。この世に天罰があるならば、あんたに一番に当たってもらいたい。」
そんな中、ウクライナのミサイル2発が、ロシアの黒海艦隊の旗艦である巡洋艦『モスクワ』を撃沈したと、15日の新聞で見た。溜飲が下がった。



まだ、ウクライナも捨てたものではない。ガンバレウクライナ!
近頃、遠い国だったウクライナが近くに感じるのは俺だけだろうか、地球上のあらゆる動物は、集団で戦うことはしない。
ましていわんや霊長類の長においておや。  


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2022年04月05日

ひな祭りと2人の誕生日

♪令和4年は春催い~桜吹けば~情をも舞う~♪

工場のまわりは花々が咲きほこっている。
椿も蘭も咲くスペースがないくらい、いっぱい咲きに咲いた。
俺が毎日水をやるから、お礼に咲いてくれるのだろう。有難い。





3月1日、71歳の誕生日だった。70歳と何にも変わらない。どうせお祝いもないだろうと思っていた。
工場に行くと、二人の息子がいた。すると次男が俺の肩に手をやり、「お父さん、これだけはハッキリ言っておく。」「うん、これは今夜あたり、どこかで一席もうけてくれるのでは。」と少し期待を持った。
「お誕生日おめでとう。」と言って去って行った。
「なんだ、それだけかい。思わせぶりをするな、思わせぶりを。」
夕方、『獺祭』の四合瓶を買って来て、一人寂しく飲んだ。



3月3日は、孫娘のひな祭りだった。初めてのひな祭りだが、コロナ禍で質素にすることにした。神様、仏様に赤飯をお供えして、近所にも配った。
昼はツムギの家に行き、みんなで昼食を食べた。ひな人形が飾ってあったが、このひな人形は『紬(つむぎ)』という名で売られていた。
いっぱい人形の種類は飾ってあったが、「これは紬を買わない訳にはいけないでしょう。」と言って、迷わず買ったそうだ。ツムギも終始ご機嫌だった。







この頃は、椅子に座って食べれるようになった。

3月19日、この日は山の神の誕生日だった。我が家では大事な行事の一つだ。次男に誕生日はどうするか、奏上してもらった。
「海彩館で」との詔がおりた。予約を入れる。ツムギ一家にもPM6時に来るようにTELを入れた。
コロナ禍でテーブルはアクリル板で仕切ってあり、1テーブル3人までとなっていた。
ツムギは専用の椅子を持参し、先に離乳食を食べた。





我々も乾杯して、食べ始めたが、あまり会話はなく、転んだり這いずり回って奇声を上げるツムギの一挙一動を、見てて楽しんだ。
最後にみんなで記念写真を撮った。



この家族は、ツムギを中心に毎日が回っている。幸せと言うことだろう。

3月25日、高齢者講習だった。とうとう来たか赤紙が、70歳になっても気持ちは30代位の気持ちでいたが、このハガキが来たとき、「あーとうとう俺も高齢者になったかァ」と実感せざるをえなかった。
牛深自動車学校で講習を受けた。今度までは、認知症のテストはなかったが、75歳からは受けなくてはならない。
講師曰く「今までの試験で100点満点が二人おられた。」と、この二人に話を聞いたら、二人とも金に関わる仕事をしていたそうだ。
1人は92歳の元行員、1人は84歳の会社の社長、金を数えるのが仕事だったとか。
すると俺が「ハハァーン、俺が物覚えが悪いのは、数える金がないからばいな。」と」言ったら、一同爆笑だった。

3月30日、33回目の結婚記念日だった。このご時世、どこにも行かず、自宅で家族3人で祝うことにした。
テーブルには白ワイン『マドンナ』を1本献上した。



33年かぁー。よくもったもんだ。やぶれ鍋にとじ蓋だろう。
  


Posted by 貝川蒲鉾店  at 16:51Comments(0)