2021年08月11日

「ウエルカム、ツムギ」

8月上旬、日本の周りに3つの台風が発生した。
2つは、九州には影響はなかったが、9号は九州直撃だった。
8月8日午後8時に九州上陸し、未明には通過していった。8月9日は、小さな怪獣の退院の日だったので、心配していたが、朝から晴れ間も見えた。我々は仕事だったので、長男が1人で迎えに行った。途中嫁さんの実家に寄って来たので、午後1時過ぎに工場に着いた。
8月7日に命名を書いて、赤飯、お神酒を上げた。「月紬(つむぎ)」と命名が決まった。



すると、天の声が聞こえて来た。「あのなぁー、お前さん神様に奉納するときは、もう少し字は上手く書けよ。筆と墨汁を買うのをケチって、マジックで書くな!」とお叱りを受けた。「スミマセン、今、コロナで困窮していますので、2人目の時は必ず筆で書きますから。」とお詫びを申し上げた。
「さぁー初対面だ!」「オヤジ、抱けば」と長男が言ったが、作業着のままだったので、ばい菌がついたらいけないと思い、嫁に抱かせた。



実家でもだったけど、工場に着いてからでも、ずっと眠っていると。まぁ、起こすのも可哀想だから、写真だけ撮って早々に帰した。
8月10日天草市牛深支所で、出生届を出し、無事貝川家の一員として仲間入りを果たした。
長男の家では嫁さんが保育士とあって、歓迎のお飾りがしてあった。「ウエルカム、ツムギ」親子3人で幸せそうである。



自分より大きな哺乳瓶を抱えて飲む姿は、将来はきっと大物になる予感さえただよう。







ジャンヌダルクか、もしくはうわばみか
何がともあれ最高!
  


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2021年08月03日

(ニュース速報)小さな怪獣現る。

8月1日早朝、1本のTELが入る。長男からだ。
リトルモンスターが接近中だから、今現場に向かっているとの一報が入る。我々は仕事だったので、工場で待機した。
すると8時過ぎ、TELが入る。オギャーオギャーという鳴き声とともに、小さな怪獣が現れたと現場の写真と動画が送られてきた。



しばらく見入った。
泣いたり、笑ったり、すましたり、いくら見ても飽きない。
この小さな怪獣は、コロナ禍の中で、家族、親族も誰も会うことが出来ない未確認物体だ。ただ母子ともに健康だとのこと。それ以上に勝るものはない。
現場からの中継が入っています。この小さな怪獣は女の子ですが、凶暴です。生まれながらにして、その小さな手でご祝儀をふんだくっていくという荒業を持っています。
すでに数件の被害が報告されています。これからさらに被害件数が増していくことが、懸念されます。
通りすがりの人にも聞いてみましょう。
「お名前は何とおっしゃいますか?」「加藤清正です」
「加藤さんは、この小さな怪獣をどう思われますか?」「7月まではブログの主役をつとめていましたが、この小さな怪獣が現れ主役の座を下ろされるのではないかと、不安で不安で戦々恐々としています。特にワクチン接種でヘタを打ったからなぁー」「自業自得ですね」
各報道局の申し合わせにより、名前はまだ公表しないとのことです。以上現場からでした。  


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2021年07月31日

ウナギと四万十の戦い

7/28、うだる暑さの中、2回目の新型コロナのワクチン接種が市民病院で行われた。
着いたら、受付は始まっていた。「24番の方ー」と呼ばれ、受付に行くと、「名前と生年月日を言ってください」とこの前と同じように聞くので、「加藤清正です」とまた言ってしまった。



すると、「そのような人の名前は載ってませんが、カイガワケンスケという名の人は載ってますよ」と「じゃ、今日はその名前でお願いします」「では、もう一度生年月日を言ってください」とニコニコして言われた。
ユーモアを解してくだされば、こちらも面目躍如ってことだ。
気を良くして、接種場所の椅子に座った。「名前と生年月日を言ってください」と聞かれたので、もう一度「加藤清正です」と言ったら、「そんな名前の人はありません。帰って下さい」と言われたので、「何、帰れってか?それを言っちゃおしまいよ!俺も好き好んで、注射うちに来てるんじゃねえだよ。お国の偉い人が、どうか皆さん接種に来て下さいと言うから、来てやってんじゃないか。それを何だ、帰れとは」するともう一人の看護師が、「まぁーまぁー」と言いながら、「もう一度お名前と生年月日をよかですか」と言って、その場は収まったが、「俺も大人げなかったか!」と心で反省した。
接種が終わって立ち上がって、帰り際に、言わんでもいいことをおべんちゃらのつもりで、「先生、3回目の接種は、今度はいつになりますか?」と聞いたら、「3回目も、4回目もありません!」と一渇され、かえって火に油を注いだ形になり、ひんしゅくを買った。
馬鹿だネーこの男、ワクチンは数打てばいいってもんじゃねえーんだよ。

この日はくしくも「土用の丑の日」病院では嫌なことがあったが、今夜あたり、ウナギが食べられるじゃないかと、淡い期待が脳裏をかすめた。
案の定、若嫁からTELが入る。「今、いわしやの前に居ます。ウナギを焼いていますけれど、要られますか?」と嫁にかかってきた。
「何、いわしやがウナギを売ってるってか」下手なへ理屈はどうでもいい。嫁の電話の横で「小さのでいいよ」と声かける。
すると、「大と中しかないんだって」、俺は養子だからネー、とても大を食べたいとは言えないし、「財布と相談して、買えば」と言い、「次男に沢山食べさせてくれ!俺は、ほんのちょっとでいいから」「公志は、一昨年ウナギの骨をのどに詰まらせたからあまりウナギは食べないって!」あぁーそれは残念だ。ま、夕食を楽しみに待つか!
でも1つ気になることがある。最近リバウンドで、体重が増え始めている。ここいらで食い止めないと、大変なことになる。今、食事制限をしている中、こんな食事をしていいのか。



年に1度のウナギの日だ。明日からまた制限したらいい。
「ドジョウも鍋の中に入ってから、考えるっていうから、とにかく食べて、明日からの四万十の戦いに備えよう」と勝手に自分の都合の良い方に解釈してしまう相変わらず意志の弱い男であった。

事情通の話
「明日から、四万十の戦いに備えようとあるが、そんな戦いあったかなァー?」
あっ、ごめん、それは肥満との戦いだ!
  


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2021年07月25日

57年ぶりのオリンピックマーチ

七月の上旬、「アマビズ」の主催で、「天草直産、夏の天草フェアー」が7月9日、10日、11日の3日間イオン天草店で行われた。
出店業者も15業者位集結した。





初日と2日目は、あいにくの雨で、客入りが悪かった。
3日目は、天候も回復し、客足も多かったようだ。
昨年から、イベントは中止ばっかりだったので、久しぶりの店頭販売に気合いが入った。
チラシも打ってあったので、「アッ、貝川さんが来とらす」、「アッ、貝川さんだ」とか、「チラシを見て来ました」とか、差し入れを持って来ましたとか、沢山の方が、あいさつに来られた。



中には、ブログのご常連の楠浦の板金屋さんまでも来て下さったとのこと。この場を借りて、厚くお礼申し上げます。
秋にも第2弾が計画されているとのこと、お声がかかったら、また出店したいと思っています。その時は、また宜しくお願い致します。

さて、いよいよオリンピックも開幕し、熱戦が繰り広げられている。
私の脳裏には、57年前の東京オリンピックの記憶がよみがえってきた。あれは、1年中で一番雨が降らない季節を選び、統計を取って秋の10月に決定した。秋空の国立競技場にファンファーレが鳴り響き、オリンピックマーチと同時に、各国の入場行進が始まった。
自衛隊と警察の音楽隊が演奏を勤めた。私はアスリートではないので、オリンピックには無縁だが、オリンピックマーチには、私なりのエピソードがある。
東京オリンピックは、私が中学2年の秋にあった。翌中学3年の夏に、熊本の九州学院高校の吹奏楽部が、夏休みの合宿に3日間の予定で、牛深中学の体育館を選んだ。
2日目、夕方の7時から、牛中体育館で、演奏会を開くことになった。
九学には、私の入部した時の部長で、川崎倹という2つ上の先輩がおられた。
演奏が始まった。するとあのオリンピックマーチが演奏されたではないか。感動した!
学生でも演奏ができるなんて思ってもみなかった。やっぱり熊本市内の高校生の演奏は、上手くて垢抜けている。
演奏終了後、先輩を訪ね、演奏を聞いた感想などを述べた。
私も彼の後、部長をやっていたので、ぜひ彼に聞かなければならないことがあった。「スミマセン先輩!そのオリンピックマーチの楽譜を夏休みが終わったら、1週間位貸してもらえないでしょうか」と、「いいよ、先生のOKがでたら送ってやるよ」と二つ返事で承諾してくださった。
当時は、コピー機がなかったので、送ってきた各パートの楽譜をみんなで手書きで写した。
それから来る日も来る日も練習に励んだ。
するといつも練習に顔を出さない顧問の先生が来て、「貝川!この楽譜はどこで手に入れた」と聞くので、今までのいきさつを話した。
酒浸りで、麻雀ばかりしていた男が、それから毎日顔を出すようになった。秋に体育祭を控えていたから。
ファンファーレの楽譜はなかったので、独自で音を拾って何とか形も整った。
体育祭当日、ファンファーレをトランペット2人で演奏した。高音をちょっとミスったので、上手だったとはいえなかった。
先生の指揮棒が振り下ろされ、オリンピックマーチが秋空の牛中のグラウンドに鳴り響いた。
このオリンピックマーチは、古関裕而が作曲したとは、去年まで知らなかった。
この曲の終わりの部分に「君が代」のメロディーが挿入されている。昔の人は、粋なことをやるなぁー。
コロナ禍のオリンピックは、無観客で異例づくめの大会だ。
賽は投げられた。どんなドラマが待っているのか、日本勢の熱戦を期待し、我が家の桟敷席から、マスクなしの応援をするか。  


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2021年07月09日

不謹慎極まり無い男

♪笹の葉サラ、サラ、軒端に揺れる。お星様キラ、キラー金銀砂子ー♪
7月7日は七夕だ。この日は、第1回目のコロナワクチンの予防接種の日だった。
牛深市民病院で、午後1時30分が予約の時間だった。15分前から受付が始まった。
名前と生年月日を言って下さい。はい、次へ行ってください。
次は医師が座っていて、今日の体調などを聞いた。はい次へ行ってください。
次は年配の女性看護師が座っていて、「はい、名前と生年月日を言ってください」と同じことばかり言わされるので、「名前は加藤清正、仕事はトラ退治。」と言ってやった。
すると、生年月日はと聞かれ、続いて血液サラサラの薬は飲んでいませんかと聞かれた。俺の渾身のギャグは軽く受け流された。流石年輩看護師、恐るべき。
「19番の方」と番号を呼ばれた。注射を打ちやすいように、半袖を着て行ったんだけど、袖が小さく上まで捲れなかったので、「ボタンを外し、左肩が出るくらい緩くしてください。」と言われた。「オウ、この遠山桜、散らせるものなら、散らせてみやがれー!」言わんでいいものをまた言ってしまった。
「ハイ、ハイ、力を抜いて下さい」とアルコールで肩を拭き始めた。「チョット、チョット待ってくれ。痛くないようにお祈りをするから」と言って、指で十文字を切った。「あんたクリスチャン?」「いいえ、仏教徒です」としゃべっている間に注射は終わっていた。この男、病院内でも笑いを取ろうとする、不謹慎極まりない男であった。


先月、6月の初め、日本棋院天草支部の前期月例会で、惨敗したことをブログで書いた。6月20日、後期月例会に小川抜刀斎殿と2人でリベンジに出かけた。



全勝はいなかったが、4勝1敗が2人、私と堀田さんで、牛深勢が上位を占めた。
結果は準優勝だったが、抜刀斎殿は、今回も振るわなかった。


そんな中、熊本県も蔓延防止策が解除され、河浦の天空の碁会所もやっと、打てるようになった。
6月28日、解除後初めての月例会が天空の碁会所で行われた。



今回は小川抜刀斎殿は用事で来れなかったので、吉田八宝斎殿と二人で月例会に臨んだ。
一回戦、二回戦と勝ち進んだ、「オッ、今日は調子がいいなァー。この調子だと、全勝するかもしれんなァ」と内心、ニタッとした。
ところが三回戦の久保さんに、私のミスで負けてしまった。それから、丸山さん、溝口さんにもボロ負けしてしまった。
八宝斎殿はと振り返ってみれば、1勝4敗、俺より悪い。
皆さん強くなられた。私はもう一度山にこもり、修行して出直さなければなるまい。くやしかァー。
先般日本棋院天草支部の準優勝の副賞に1枚500円の日専連の金券が2枚入ってた。



それを持って酒屋へ行き、高知の酒「土佐鶴」を1本買って来て、1人祝杯を挙げることにした。
刺身は、鯛かカンパチの刺身が定番だったが、コロナのご時世で、コノシロの刺身とトウモロコシの輪切りで、質素を常としている。



今年は、大分の義妹からと、菊池の友人からトウモロコシが沢山送られてきた。



今年のトウモロコシはとても甘くうまかった。この場を借りて、厚くお礼申し上げます。

「何!トウモロコシの唄を知っているかって?」「知らない、そんな唄あるの?」
「えー?島倉千代子が唄ってるてか?ほうーじゃ唄ってみろヨ」
「モロコシ、モロコシ、モロコーシの花~♪」あのねぇーそれを唄うならネー「からたち、からたち」だろう。がっかりさせるなヨー。
「何!お詫びにゴーヤの唄を唄うから、機嫌を直してくれってか」それほど言うのなら、聞いてやるが、今度こそ大丈夫だろうなァー。がっかりさせるなよなー。
♪ゴーヤ、良い子だ寝んねしなー、今も昔変わりなく~♪
あァーあー、こっちが眠くなってきたヨ。  


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2021年06月25日

「お父さん、オレの奨学金を使い込んでくれてありがとう」

6月の上旬、1本のTELがかかってきた。高校の時の恩師からだった。
「謙ちゃん、俺もとうとう文明人の仲間入りしたヨ」と、続けて、「実はガラケイからスマホに変えたんだヨ」と、えっあれ!死ぬまでガラケイでいいと言ってた人が、とうとうケツ割ったか!
そういえば、オレの携帯も液晶画面がくすんで見えずらく、写真も満タンで、どうしようもなった。ガラケイで行くかスマホに変えるか迷っていた。
そして6/18、ついに小欄もスマホに変えてしまった。
人類にとっては小さな一歩だが、小欄にとっては大きな一歩だった。
昨日スマホに変えたことを報告した。「今日は試運転にかけてみた。あんたには負けられんからなァ」と言って二人で大笑いした。
『マイマガジン』というコーナーがある。そのコーナーに、父の日を前に奨学金を使い込んだ亡き父へ「お父さん、オレの奨学金を使い込んでくれてありがとう」という見出しを見つけた。
父の日の20日に合わせ、いわて銀河鉄道の盛岡と二戸駅の構内にインパクトの強いポスターが張り出され、話題を呼んでいる。
2年前に亡くなった父親への思いが込められている。33歳の息子はその奨学金を父親は何に使っただろ、ギャンブルはしないし、不思議に思っていた。するとパソコンを買ったり、高額な農機具を買ったらしい。奨学金も今は完済し、息子も本心から親父を憎んではいないようだ。文面からうかがえる。
それよりも、今まで育ててくれた今は亡き父親への感謝の気持ちが伝わってくる。
ところがである。ここにも、もう1人息子の奨学金を使い込んだ父親がいる。
この息子は「使い込んで有難う」なんては絶対に言わない。
「使い込んでタダで済むと思うなよ!」と言わんばかりに取り立てが厳しい。後9年は払い続けなければならない。きびしーい!
私も2年前に死んでおけばよかった。そんな父親でも長男夫婦が「父の日」にとシャツをプレゼントしてくれた。
嫁と次男は居酒屋「ハート」で一席設けてくれた。



もうすぐ生まれてくる子供の名前で話は盛り上がった。帰りは7時半ごろだったが、外はまだ明るかった。



酒場放浪記なら、まだ明るいので、もう二、三軒パトロールして帰りましょうかというところだが、こういうご時世だからそうもいかない。
今年も無事、父の日を迎えることが出来たが、来年もと言うと
「明年、この会誰か健なるを、いずくんぞ知らんや」  


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2021年06月09日

アマビズとるろうに謙ちゃんの道場破り

正岡子規に”6月をきれいな風の吹くことよ”という句がある。
梅雨の中休みだろうか、その句のようにさわやかな天気が2日続いている。

6月4日、天草信用金庫の人の紹介でアマビズのセンター長、小田さんが来店された。天信からも2人来られた。



前センター長の内山さんが、副センター長の頃、このブログを勧められた。ちょうど次男も大学を卒業して家業についた頃だった。
もう10年近くになるだろ。しかも現在進行形である。
私が文を書き、次男がパソコンで編集してくれる。彼がいないと、このブログは出来ない。ファンもいて下さり、記事に対してのコメントが載っている時はとてもうれしい。これからもよろしくお願い致します。

さて、本題に戻って、当店の問題は5,6,7月と蒲鉾が売れないということを天信さんに相談したら、「6月4日にアマビズのセンター長の小田さんが牛深に来られるから相談されたらどうですか」と言ってくださった。
小田さんとは、まだ面識がなかったので、ちょうどよかった。
販路拡大、新商品の開発、他店とのコラボなどで話は盛り上がった。これからどうなるか、乞うご期待!

毎月第一日曜日は、日本棋院天草支部の月例会になっている。3月までは第一土曜日が月例会になっていた。そしたら理事会で、第一日曜日にしたら、床屋さんも休みだからどうだろうという意見が出て決まったらしい。いつもの行きつけの床屋さんに報告したら、じゃ行かんばいかんなぁーとの事で、5月から参加するようになった。
6月6日日曜日当日、朝、小川抜刀斎殿と二人で行くつもりだったのだが、8時過ぎ、吉田亭の吉田八宝斎殿からTELが有り、「俺も乗せていってくれんとやぁー」と。前日までは行かんと言っておられたのだったが、寂しかったんだろう。
「八時四十分には出るから、8時半までには来るように!」と言った。
小川抜刀斎殿、吉田八宝斎殿、それにるろうに謙ちゃんの3人で道場破りに行くことになった。

着いてみると、天草支部の猛者が待ち構えていた。牛深からも堀田さん、野田さんの2名も来ておられた。牛深勢はみんな六段である。
会費は弁当付きの1500円。牛深同士はあたらないよう、くじ引きで最初に牛深勢がくじを引いた。対局前に世話役の松岡さんが「この会館の碁会で参加者が20名を超えたのは、10年振りです。」との挨拶があり、大変喜ばれていた。
私の初戦の相手は、天草名人も何期かタイトルをもっておられた横山さんだ。



「ありゃー、初っ端から強敵とあたった。」と思った。
激戦の末、私の白番10目半勝ち。2回戦も中押し勝ち、「オッ今日は調子がいいぞ」
3回戦はちょっと待てだったので昼食の弁当を食べた。
これがいけなかった。腹がいっぱいになり、気が緩み、勝っている碁を負けてしまった。
小川抜刀斎殿もしかり、惨敗である。



吉田八宝斎殿は、1勝4敗、先月は全敗と来るたびに袋叩きにあっている。
名前を、冷え田八宝斎殿に改めなければなるまい。



初めて打つ人も多く、勝っても負けても楽しいのが囲碁である。
我々ももう1度腕を磨きなおし、リベンジに来月も参加しようと心に誓う梅雨の夕暮れだった。  


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2021年05月28日

仲間(老人編)

舟木一夫に「君たちがいて僕がいた」という唄がある。
♪心の悩みを、うちあけ合って……君達がいて、僕がいたァー♪
この写真は、8年前の写真だろうか、(手前の黒シャツは)まだ祐の字が写っている。




テーブルの上には、ジョニー黒が置いてある。祐の字らしいや。
この人は、無類の酒好きで、特に日本酒とウイスキーをこよなく愛した。
酒のうんちくを語らせたら、牛深では右に出る者はいない。
だが、焼酎だけは、一滴も飲まなかった。
西の関、香露、越の寒梅、男山など、全国の美味い酒を飲ませてくれた。
うまい酒を飲んでしまって無くなると、台所の料理酒を引っ張り出して飲んでいたから、こだわっている割には節操がなかったみたい。
昔、まだ祐の字の親父さんが生きておられたころのエピソードが残っている。
長島の義兄が海上自衛隊に居た頃、正月休暇で帰ってきたときのこと。大晦日の晩、二人で飲んだらしい。
酒が切れて下の台所に酒があったので、二升飲んだ。
元旦の朝、親父さんが楽しみにしていたお屠蘇用の酒が無くなっていた。「ハハァーン、あいどんは、飲(や)ったばいなァー」
おふくろさんが慌てて、近所の酒屋さんを正月早々たたき起こして酒を買ってきたという。
親父さんは、怒るどころか、そんな二人を頼もしく思っていたようだ。





写真、奥から、嫁さんに逃げられた人、碁を打っている二人は、嫁さんに先立たれた人、手前二人は独身。この頃から祐の字は肝臓ガンを患っていたのだろう。平気で飲んでいたから、そんなことは全然気付かなかった。
還暦を過ぎたいい老人が、仲間の家に集まり酒を飲み、好きな碁を打ち、人生を謳歌している。
去年の10月に7回忌が終わったが、近頃毎晩夢に出てくる。
相変わらず、酒を飲んで語気も荒かった。まだ安らかに眠って無いらしい。
墓参りに来いということだろうか。
  


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2021年05月20日

夢は夜ひらく

♪赤く咲くのはケシの花ー、白く咲くのは百合の花ー、どう咲きやいいのさこの私ー、夢は夜ひらくー♪

先般、母の日の前々日、行きつけの床屋さんからサツキの鉢植えをもらった。この人はサツキが趣味で名人の域に達しておられる。
そうとう投資しておられるらしい。
「俺は、あんまり赤は好かん。よかればもろてくれ。」と言って、手間ひまかけて育てられたサツキを一鉢下さった。



「立派なサツキじゃないかーありがたい。」と言って頂いたのだが、母の日を2日後に控えていたので、プレゼントを何にするか考えていたが、「そうだ、これをプレゼントにしよう」と、邪悪な考えが脳裏をかすめた。
「母の日のプレゼントにこれやるよ。店で買ったら三万はくだらない代物だぞー。」と言ったが、「ツツジはよかァ!いらん!」と一蹴された。
騙されなかった。「フン、ツツジとサツキの区別がつかない者にはやらん。」嫁も年を取ると、騙されにくくなった。
若嫁からは、小さな白いバラの鉢植えが届いた。



近頃のニュースで、コロナワクチン接種で余ったワクチンを町長や、その関係者が捨てるのも勿体ないので、打ったということが明るみに出た。当然世間から批判が出た。
その報道の中で、私の心の中で、何十年も死語になっていた『狡い(こすい)』と言う言葉を見つけた。国語辞典で引いてみる。①ずるがしこい。ずるい。②人をごまかして利益を得るような性質。とある。彼らにはぴったりの言葉だ。「何!あんたも同じ」だと、私の場合は1ランク下の『セコイ』ぐらいじゃないかなァー。ま、ご愛敬ということでお許し願いたい。

5/9母の日、前日何か食べたいものはあるかと嫁に尋ねたら、エビフライが食べたいとのことで、海彩館に行くことになった。




刺し身も半分、エビフライも一尾しか食べない。元気がないので、どうかしたのかと聞いてみる。「4時頃、小腹が空いたので、餅を食べた。」と、「なんで夕方まで我慢できないのか」と少し腹が立った。
すると帰り際、今度は足がツルと言って顔しかめる。長男が見かねて、「どらっ」と言って足を持ち上げ、ふくらはぎをマッサージしてくれた。



まったく、ここ一番と言うところで白ける女だぜ!まったくだぜ。

♪50~60~70と~私の人生暗かったー。過去はどんなに暗くとも~夢は夜ひらくー♪  


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2021年05月06日

斬新なトイレ

連休の3,4,5日まで店頭販売だった。6日は県庁販売だった。
その間小欄は、工場でお留守番。
3日の月曜だけ、床屋さんから囲碁のお誘いがあり、午後から出掛けていった。
すると4時ごろ、ドッドッドッドッドッと、地響きする音がして、店の前で止まった。
小川さんが「ア、弟が来た。」と言って外に出て行かれた。
私も出てみると、バイクの王様『ハーレーダビッドソン』が止まっていた。



スゲー間近で見るのは久しぶりだ。
私も自動二輪の免許は持っているので、若い頃はバイクにも乗っていた。だが、ハーレーだけは乗ったことがない。憧れのバイクだった。
だが、今は50ccのバイクでも恐ろしくて乗ろうとは思わない。


店内で碁を打っている時は、店のトイレを使用させてもらうのだが、いつも流すとき、10数年前の県庁のトイレを思い出す。



昔から、「馬上」「枕上(寝床)」とともに「厠上(トイレ)」が、文章を練るのに最適な場所とされてきたのも、人を冷静な心持ちにさせる空間だからだろう。
ところが最近は冷静になれない空間に出くわすことが少なくない。
衛生陶器メーカのTOTOが募集した「トイレ川柳」入選作に同憂の友を見つけた。
「斬新で流すところがわからない」。県庁のトイレの中で、スイッチを片っ端から押しても水が流れない。
観賞に堪えるものではないから、外で待つ次の人を呼び入れて聞くわけにもいかず、困った覚えがある。
親切、便利を極めて、不親切、不便に至る。一事が万事、機械音痴には生きにくいご時世である。
かつての「サラリーマン川柳」を思い出す。「このオレにあたたかいのは便座だけ」
最後の砦も今や危うし。  


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2021年05月04日

道の駅「みずなし本陣」の商談会

♪瓦ーの波と雲も波、・・・・・・高ーく泳ぐは鯉のぼりー♪
薫風が吹くさわやかな季節である。
4月上旬、先般、肥後本因坊天草予選で小欄で一緒に大会に出られた、木村一平元町議と今度は島原へ行くことになった。
木村さんの紹介で普賢岳の麓にある道の駅「みずなし本陣深江」に当店の蒲鉾を置かせてもらう為の商談だった。
当日は晴天に恵まれ、次男にも同行してもらった。
鬼池からフェリーに乗った。久々の船旅である。
口之津に着いたら、港が新しくなっていた。
みずなし本陣の会長は、木村さんの親戚になるそうで、小浜に会社はあるとの事で、道は逆だが、まずは会長に挨拶に行った。
立派な会社だった。



この会長は、長崎商工会の会長もしておられるとの事だった。
挨拶を終え、山越えして、深江に向かった。
みずなし本陣では、支配人と副支配人が、首を長くして待っておられた。





商談はスムーズにいった。10数年前にも置かせてもらっていたし、支配人もうちの商品を覚えていて下さっていた。
5月2日に、この道の駅で軽トラ市があるが出店しないかと、お誘いがあり、出店予定でいたが、コロナがまた全国で感染が広がり始めたので、中止になった。
昼過ぎていたので、ここで昼食を取っていくことになった。
私と息子は、そうめんのチャンポン、木村さんは昼はいつも食べないとの事で、そうめんのかけめんだけを注文した。せっかくだからと言って普賢岳をバックに記念写真。



商談を無事に終え、帰路につくことになったが、船の上では行きも帰りも木村さんの武勇伝に華がさいた。
彼は若い頃は、外国航路の船長をしていたそうで、韓国人、フィリピン人など外国人も使っていたらしい。
飛行機の機長とか、船長にはピストルの使用が認められていたそうだ。フィリピン人はおとなしかったが、韓国人は言う事をあまり聞かなかったとの事だった。
奥さんがそのまま船長をしていてくれれば良かったのにと今でも言うと。給料が良かったのでしょう。

コロナ禍の中、イベントは次々と中止になり、現金収入もない。いよいよ生活困窮におちいっていくことは、目に見えている。
その中で今年に入って5件の取引先が現れ、そのうちの4件はすでに取引が始まっている。
これからは原点に帰り、新規店舗の開拓に力を入れていきたい。
「アレッ、落ちも何もない文章になったが、どうかしたのってか?」
古希になったせいか、僕謙虚になったみたい。  


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2021年04月11日

肥後本因坊天草予選惜敗

♪夏も近づく八十八夜ー、野にも山にも若葉が茂るー。♪
コロナ禍で春を満喫することなく夏になってしまった。
そんな中、熊日新聞社から、第68期肥後本因坊天草予選の案内のハガキが来た。
私にとっては夏の甲子園だ。
いつもは本渡の市民センターであっていたのが、今年は上天草市、松島総合センターアロマでの開催となっていた。なので、参加者も少なかった。
前々日、天草町の元町議員の木村一平さんから、「当日会場まで乗せていってくれんかなー」とTELがあり、「じゃ、本渡のとれたて市場まで来てください」と言って、そこで待ち合わせすることになった。かかしの里ととれたて市場に納品があったので、私の次男に運転を頼んだ。

少し早めについたが、将棋の方は12,3人と参加者が多かった。




私の相手が決まった。有明の人で初めて見る顔である。



すると木村さんが、横から小さな声で「貝川さん、この人は八段格で天草ではトップクラス。強か人やんで」と余計なことを教えてくれた。
対局前に知らなければ、のびのびと打てたものを余計なプレッシャーをかけやがって。

握って私の先番で対局が始まった。



序盤はまぁまぁの立ち上がりだったが、中盤から力を出してこられた。強いと本当に思ったが、私も敵の猛攻をかわし、あちらこちらでしのいで見せた。
盤面私が3目残っていたが、先番だったので、6目半のこみを出さなければならない。私の3目半負けである。
木村さんはシードだったので、私たちの勝者と戦わなければならなかった。

コロナ禍で横での観戦はひかえて下さいとのことだったので、部屋から出た。
時々対局を見に行ったが、序盤で大石がやられていたので勝敗は見えていた。
終わるのを待って、帰路についた。こうして私の囲碁甲子園は終わった。また来年頑張るとしよう。


その日の夕方は、長男の嫁さんの誕生日だった。数日前から「母家」を予約していた。
久々の母家だった。私は肉料理よりも魚の方が好きだ。ここの串差しのフライは美味しい。



心の中で1人残念会をしていた。あの時こう打っておけばよかった。こう守っておけばよかったとか反省しきりだった。
審判員の今村さんに、去年小学生に負けたので、今年はリベンジに来ました。と試合前にそう話したが、初戦敗退でリベンジどころか代表さえなれなかった。
私って弱いのネー。
”弱い男も来ていいのヨ”  


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2021年03月26日

「おい、相変わらずバカか」

♪僕らはきっと待ってる 君とまた会える日々を さくら並木の道の上で 手を振り叫ぶよ♪
春爛漫、四季の中で、この春が一番好きだ。
今「世界蘭展」が開催されている。我が家の蘭も満開である。古希に華を添えてくれてるようだ。





でもせっかく咲いた蘭をトイレの蓋の上に置くなんて馬鹿じゃないのーとお叱りを受けるかもしれないが、なんせ場所がないもので、お許し願いたい。

向田邦子さんは、生前語ったという。「『バカ』が放送禁止用語になったらテレビドラマをやめます」と、柴又の昔なじみに「おい、相変わらずバカか」と呼びかける寅さんの名人芸は別として、確かに日常会話でよく使われる言葉である。

小欄もなるべく「バカ」は用いまいと思えども、先般ニュースで東京医科歯科大学の不正入試の裁判が報じられた。
不合格になった息子も証人として呼ばれた。インタビューで「そんなにしなくても合格する自信は十分あったのに、今は汚名を着て生きなければならない」と。賄賂で合格を買い与えた親は結局のところ子供の人生を狂わせ辱めただけである。
「親ばか」も度を越せば、親の一字を消さねばなるまい。
国語辞典で「ばか」を引く。
「ばか」=愚かなこと、また、その人。
「ばか、ばか」=女性が相手を甘えた態度で非難していう言葉。
言いたくもない「バカ」はつい口をついて出るわ、聞いてもいい「ばか、ばか」は聞いたこともないわ、ままならない言葉である。
  


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2021年03月03日

「人生七十古来稀なり」

♪春は名のみーぞ、風の寒さよー♪
三寒四温、春はすぐそこまで来ている。





今日は桃の節句。女の子の居る家庭では、密に気をつけながら、それぞれお祝いがあっている事だろう。
ひな祭りの唄は、皆さんご存じだと思うが、歌詞の中に、♪お内裏様と、お雛様、二人並んですまし顔♪とあるが、お内裏様とは、天皇皇后の姿になぞらえた一対の雛人形のことを言う。
作者は、男性の方を、お内裏様、女性の方をお雛様と勘違いして作詞していたのである。
子供の頃から歌って来た文部省唱歌だ。だからと言ってケチをつけようという気持ちは毛頭ない。これからも愛唱していこうと思っている。

3月1日は70回目の誕生日だった。俗に言う古希である。この日は朝から慌ただしかった。前日に頼んでいた紅白のモチと山菜おこわが8時過ぎに届いた。



9時には家族全員が集まり、神様仏様に紅白モチとおこわ、お神酒をお供えし、元気で古希を迎えられた事をご報告し、お礼を述べた。



そこへ前々日ボイラーが故障していたので、「部品が届いたので、今から修理に行きます」と天草システムからTELが入った。




その間、家族は手分けして、ご近所、親戚、友人等に紅白モチと山菜おこわを配った。
また、もち屋さんからはお祝いにと、こっぱもちとぼた餅を頂いた。有難うございます。この場を借りてお礼申し上げます。
午後からは、河浦の天空の碁会所に行った。久しぶりの碁会でM氏、S氏を指導したが、K氏には指導された。
夜は海彩館で家族が一席設けてくれた。刺身は鯛の生造りと奮発してくれた。



菅総理の長男から74,000円の接待を受けた山田真貴子、内閣広報官の料理とは雲泥の差があるが、いくら食べたって辞職、減給、訓告の心配をしないで食べれるのが平民はいいネー。
また国会で74,000円の料理はどのような料理だったかと質問する野党も野党。さもしいネー。
まずは生ビールで乾杯。




コロナ禍で店は貸し切りだった。お色直しに日本酒を飲んでみたい気分になった。酒を注文したが、松竹梅しかないとのことで、冷酒を頼んだら、「れいざん」が2本あるとのことだった。次男と2人で飲んだらすぐになくなった。係の人に酒屋さんから取り寄せてもらった。幸せな一日であった。
杜甫に、「人生七十古来稀なり」という句があるが、現在日本では100歳以上の老人は10万人くらいいるんじゃないかな。
杜甫が今生きてたらどんな詩が出来るのやら、草場のかげで、「とほほ」と嘆いているかもしれない  


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2021年02月07日

口は災いの元

嫁が友達から事あるごとに花屋の植木鉢をもらってくる。咲いている花が散ってしまったら、あとはほったらかしだった。
蘭は高価なものだろう。蘭があまりにも可哀想だったので、昨年から肥料をやるようにした。どうせ花は咲かないだろうと思っていたら、花の芽が出てきているではないか。




大事に育てたお礼に芽を出してくれたんだろう。うれしかー。
早く咲かないかなー毎日が楽しみである。
「何!蘭の歌を知っているか?」て、そんな歌あるの?いあやな予感がするが、まぁ歌ってみろよ。
♪ピッチピッチ、チャプチャプ、蘭、蘭、蘭♪あァーやっぱし

暦の上では立春を過ぎた。
♪春よこい、早く来い、歩き始めた菅政権♪だったが、ここにきて側近の不祥事が相次ぐ。
国民には緊急事態宣言を出し、不要不急は控えろと言っておきながら、自分たちは遅くまで飲み歩くとは言語道断。
まずは政治家が襟を正すべきだろう。
もう1人は、オリンピック大会組織委員の森会長の「女性蔑視発言」だ。ことわざに「吐いた唾は吞めぬ」とある。一度口から出た言葉は取り消すことが出来ないという例えである。
森会長は反響の大きさに発言を撤回すると述べたが、すでに世界に飛び散っている。呑んでなきことにするのは困難だろう。
すぐに謝罪の記者会見を開いたものの、前述の発言は誤解や思ってもいないことを口にしたのではなく、自分自身の考えから出たものだということを印象付けて終わったが、記者会見では、不満もあらわに逆切れする場面もあった。
記者会見の前日、辞職するつもりでいたところ周りから説得され、記者会見の場では辞職しないと明言した。
森会長が総理の頃のエピソードを1つ。
総理になって初めての日米首脳会談に米国に渡った。
当時のアメリカ大統領はクリントン大統領だった。
出迎えるクリントンに森さんが握手をしながら、「How are you」と言ったつもりが、クリントンには「Who are you」と聞こえたのだろう。「私はヒラリーの夫だが」と言う返事が返ってきたという。
これほど口の中のものをうまく使えない人を知らない。
記者会見の場に戻るが、本人に跳ね返るという意のことわざがもう一つ「天に唾す」もある。
小欄は辞職に一票を投じる。  


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2021年01月29日

平常通り以上に営業中

今月の中半、1本の電話が入る。宮地岳の蓑田林業からだった。
「貝川さん、松木はいられませんか?」と「いるいる。今松木を探しているところなんですよ。」と言うと、「取りに来られたら、タダでよかですヨ」と言ってくれた。
「場所は?」
「高浜です」
「高浜かぁ、遠いねー」「まさか、白浜の防風林の松林じゃないでしょうね?」
「そうです」
「ワァー欲しかばって遠かなぁー」「じゃどうでしょう、蓑田さんの4t車で積んできてもらえないでしょうか、油代と日当は出しますから」と言うと、
「了解しました。」と言う事で、話はついた。

1月18日、3回に分けて積んできてもらったが、その量を見て、「ワァー軽トラだと7,8回じゃきかなかったろー。良かった、本職に頼んで」と心から安堵した。




これで今年1年は大丈夫だ。それにしても立派な松だ。




この近年こうした松を手に入れたことはなかった。松食い虫さん有難う。
この松を見た前の子供が、「お母さん、蒲鉾のおじちゃんも松木で家を建てるの?」と尋ねたと言うことを私に話してくれた。
流石、子供の発想とは素晴らしい。着眼点が面白い。
「ログハウスでも作るかァー」と言って、2人で大笑いした。

今月の上旬、雪が降った。前の子供達がさっそく雪ダルマ作ってた。



この年齢になると、寒いのは苦手だが、子供達は手袋もせずに小さな手を真っ赤にしながら雪で遊んでいた。
そんな中、全国では新型コロナウイルスが猛威を振るっている。
とうとう牛深でも感染者が出た。県も独自で緊急事態宣言を出した。
いつも楽しみにしていた天空の碁会所も宣言が解除されるまでは休みになった。
行き場を失った小欄だったが、例により、行きつけの床屋さんのご厚意により、店の休みの時は、案内が有り、楽しく過ごさせてもらっている。




しかし、このコロナウイルスとは厄介な伝染病が出てきたものだ。「怖がれ、震えあがれ」と言わんばっかりに、罪もない人々の命を奪っていくまるでテロリストだ。
コロナ禍の中、時間短縮や休業を余儀なくされる店も多かろう。そんな中、当店は昨年10月~12月の売上は、1昨年よりも伸びていた。
理不尽なコロナに負けるわけにはいかない。
コロナの見えるところに看板を掲げた。
「当店は平常通り以上に営業中」と。  


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2021年01月09日

「こいつは春から縁起がええわい!」

遅くばせながら新年明けましてお目出とうございます。
今年も拙い小欄とお付き合い願えれば光栄です。

昨年10月から、ドクターストップがかかり、酒、ビール、焼酎を一切飲まなかった。
12月14日の受診でやっと数値が平常値近くまで下がり、安堵している。その間、ブログを書く気力もなく、生きる屍同様であった。
♪希望という名のあなたをたずねて~♪岸洋子の「希望」をご存じの方は多かろう。どこかの政党の話ではなく、今の時代にしっくりくる替え歌を一つ。
♪脂肪という名のあなたを減らしに遠い町へとまた医者に行く♪
作者は肥満か、それが引き寄せる病気で、医者にかかる人に違いない。
11月14日の世界糖尿病デーは各地で啓発活動が行われた。「全国1000万人以上」脳梗塞や失明にもつながる怖い病気だが、適切な食事や軽い運動で防げるいうから、日頃の心掛けが大切であるらしい。
先の替え歌はこう続く。
♪あなたは昔の私の思い出ー。大食いの夢ー、初めてのLー。けれど、私がスリムになった日に、黙ってどこかに立ち去ったあなたー。いつかあなたにまた会うまでは、私の腹は段差のない腹♪
フルコーラスを記した。腹をさすりつつ生活改善を誓った。

さて現実に戻ろう。
正月は長男夫婦も来て、みんなで正月料理を食べた。お屠蘇に新潟の八海山と、宮城の浦霞を傍らに添えた。




みんなお屠蘇を一杯ずつ飲み終え、飲み会になった。
まずは年末にお歳暮でもらった数の子から頂いた。八海山を合わせる。
久々の酒だ。干ばつで枯れかかっていた木が、3か月ぶりの雨が降って生き返ったようだ。体のすみずみまでしみわたる。やはり酒はうまい!
二杯、三杯目になると、悪魔がささやく。「ケンスケ、なぜこんなにうまい酒をやめようとするんだ」と、それに答えるもう一人のケンスケがいる。
「おさらばや、もう、しらふの人生とはおさらばや」相変わらず意志の弱い男であった。

1月3日、家族で初詣に行くのが恒例になっている。



次男と工場に行き、初荷があったので、それを出してから、神社に向かったのだが、肝心な嫁を乗せてくるのを忘れた。
神社近くになって、嫁からTELが入る。「しまったー嫁を乗せるのを忘れた。」神社だけに後の祭りであった。
神社の中ですごい剣幕でまくし立てられた。
次男も私も慣れているが、神主さんは、目が点になっておられた。
お祓いが済み、みんなでおみくじを引いた。




嫁の後で引こうと思っていたので、先に引かせた。嫁は小吉、俺は大吉だった。
いくら腹が立っても、神前では控えないとこういうところに差が出てくる。
それに朗報が入る。長男が「今年じいちゃんになるヨ」と教えてくれた。歌舞伎役者じゃないが、大見えを張ってみるかー。
「あっ、こいつは、春から、えんぎがええわい!」
  


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2020年11月14日

鬼滅の刃

今年もカラスミの季節がやってきた。
カラスミを取った残りのボラらが工場に運ばれてきた。当店秋の風物詩である。



毎年、このボラが来る頃から、仕事が忙しくなる。
年末に向けての臨戦態勢に入る。




暦の上では、立冬に入った。物悲しい晩秋の風景は好きである。また、秋は芸術の秋でもある。
今年はコロナ禍の中、秋を観賞する間もなかった。
新聞の広告の欄に、「鴨井玲展」が久留米市美術館で、12月まで展示会が開かれているのを見つけた。
見に行きたいのは山々だが、コロナ禍でそうもいかない。幸い久留米に材料屋があるので、そこに頼んで本を買って来てもらった。





人物画が主だが、その描かれている人物の表情を見ていると、作者の内側を投影しているかのようにも見える。彼は、実際自殺未遂を繰り返している。最後は本当に自殺した。
鴨井の絵を見て、私ももう一度筆を握る。いや握らなければと奮い立たせる起爆剤になればと思ったんだけど、そうなるまではもう少し時間がかかりそうだ。でも素晴らしい画家だ。出会えてよかった。

そんな中、巷で今話題になっているアニメがある。鬼滅の刃だ。



漫画もアニメもまだ見ていないが、興行収入が200億円を突破したというからすごいよ。また、竈門炭治郎の着物の色が良い。緑と黒の市松模様のマスク売ってないかなぁー。大正ロマンにも惹かれる。

先月市の集団検診があった。貝川家はみんな検診を受けた。その結果、みんな生活習慣病に引っかかってしまった。
私は、酒は駄目。食事も炭水化物は少なくし、体重を減らすように、散歩とか運動をするようにと、厳しいお沙汰が下った。
日頃の不摂生がたたったのだろう。おかげで今は74kgあった体重が、67kgまで減った。体は軽くなり、体調も良い。
酒を奏で肴をつまびく、優雅な生活にはもう戻れないだろうなー。哀れだー。

事情通の話
あんたの場合は鬼滅の刃と言うより、自滅の刃の方が、似合っている。

笑いは百薬の長 第15話
死刑囚が死刑執行の日、看守に連れられて、刑場まで歩いていく。その途中で囚人がゴホンゴホンと咳をした。
すると看守が言った。「君は妙な咳をするようだが、体にはくれぐれも注意するんだよ。」  


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2020年10月03日

刑事コロンダ

♪秋の夕日に照る山もーみーじ♪
やっとさわやかな秋になった。昼間は暑いが、サラッとした風が心地よい。
9月の上旬、秋を知らせる味覚、栗が我が家に届いた。




高校の時の恩師、野田先生が毎年送って下さっている。
今年で最後かもしれないと、三年前から言っておられたが、今年もまた送って下さった。有難いことだ。
老境に入り、栗の木の管理が出来なくなったとのことだった。
量があまりにも多かったので、従業員さんや、ご近所にもおすそ分けしてやった。

話は前後するが、8月末、長島の義兄の母親の17回忌法要を宮崎のお寺さんでした。



身内は私の家族だけだった。
「謙介、母親の13回忌の法事をするから、お参りしてくれんとやー」と義兄からTELがあった。「アレ、17回忌だと思うけどな」と私もあまり自信がなかったので、おつとめが終わった後、義兄に聞かせたら、「いや、17回忌ですよ」と言われ、驚いていた。
本人は13回忌、13回忌と思っていたらしい。俺が「良かったね。法事の引き出物に13回忌と書いてなくて。」と言って、みんな大笑いだった。






9月中旬、天草でもコロナが出たという報道が流れた。
河浦の天空の碁会所も閉鎖になった。
行き場を失ったが、行きつけの床屋さんのお誘いで連日遊ばせてもらった。




9月20日朝、長男が朝食を済ませカレンダーを見て、「アッ、今日は動物愛護習慣になっている」と言ったので、「だからお前たちもお母さんは大事にしないとね」と言ったら、頭をバシッと叩かれた。
「前足で叩くな!」と言うと、さらにもう一撃。
とても病人とは思えぬ凶暴さを持っている母親であった。

9月23日、天空の碁会所もコロナから開放され、オープンした。
9月28日、河浦碁会の月例会があった。




T氏に敗れたものの、4勝1敗で優勝することが出来た。この頃M氏が仕事が忙しいのか、碁に元気がない。強くなる1歩前なのだろー。


この頃はまっているテレビがある。「刑事コロンボ」だ。



45年位前、放送されたものだが、毎週水曜日、BSで9時から放送されている。
ポンコツ車に乗り、ヨレヨレのコートを着て、葉巻を口にくわえ、いろいろの事件を解決していく。
「うちのカミさんがね」が決まり文句である。
とぼけた顔してアリバイや、証拠集めに駆けずり回る姿は、好感が持てる。
最後に犯人を追い詰め、犯行の手口を解いていく場面になると、今までとぼけていた顔が、ホンマものの刑事の顔になっていくところがまた良い。
犯行を認めた犯人にも同情とか労りの言葉をかけてやるところが、人情味があって内容の素晴らしさがいつまでも余韻に残る。
なんせ、この映画の一番いいところは、医者も看護師も刑事も犯人も通行人もみんなマスクをつけていない所が安心して見れる。
そのピーターフォークも晩年は、パーキンソン病にかかり、享年83歳で人生をとじている。
カミさんに頭の上がらぬ男は、コロンボだけに限るまい。洋の東西を問わず、いづこも同じ秋の夕暮れ。

笑いは百薬の長
第14話
とある刑務所での話。
昼休み時間。2人の囚人が、壁にもたれ足をのばして日向ぼっこしている。
1人の囚人が言う。「シェークスピアは死ぬ前『喜劇は終わった。幕を引け』ゲーテは、『もっと光を』と言って最後の言葉を残している。それに比べ俺の嫁は平凡だったなぁー」
「嫁さんはなんて言って死んでいったんだ?」
「あなた、殺さないでー」だもんなぁー

  


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2020年09月06日

仲間(青春編)

昭和は輝いていた。



この写真は写真家の土門拳の写真だが、これを一目見た時、「ワァオーこれぞプロの写真」と衝撃を受けた。
生き生きとした子供たちの顔、当時の服装、そして下駄とかつっかけを履いている。運動靴を履いている子は少なかった。
みんな貧乏だったが、みんな楽しそうに遊んでいる。子供のころを思い出してとても懐かしかった。
ある日、ひょんなところから学生時代の写真が出てきた。
ブラスバンド部の部長をやっていたころの写真だ。



中学1年生の時、初めて一緒のクラスクラスになった親友のT君が右に写っている。彼との付き合いは50年は越えている。中学生の頃は体は小柄で背丈も俺の肩ぐらいまでしかなかった。お互い週末になると、泊まったり、泊まりに行ったりする仲だった。
もう1枚の写真は、天草音楽祭の時、本渡南小学校のグランドの片隅で撮った写真だろ。



この中に写っている人の中でもう亡くなっている人が2人ほどいる。
さて青春編にいってみるか。



高校三年の頃の写真と思う。夏休みの宮崎の防波堤の所から撮っているのだろ。後ろに旧牛高の体育館が見える。
左に写っているのがポン友のH君、右がT君。この二人が居たから学生生活はとても楽しかった。
この頃は宮崎の堤防から須口までの遠泳をやっていた。往復で誰が一番で来るかを争っていた。
大概俺が一番で帰ってきていた。でも一番になったからって賞品が出るわけでもないし、もし足などが痙攣して溺れたりしたら、誰も助けに来てはくれん。今思うとぞっとする。
高校2年の頃、久玉の東天紅の御主人(1級上)と一級下の山崎君と、俺と、T君と空手同好会を作っていた。




宮崎の八幡宮の中で、稽古をしていた。俺とT君は卒業と同時にやめたが、社会人になってから山崎君は初段、東天紅の御主人は師範まで登りつめた。宮崎八幡宮の下は、我々の絶好の遊び場でもあった。ま、私の庭みたいなものだった。





魚を釣ったり、泳いでタコとか、ミナ、ガマ、サザエ、トンピ、赤目など、夕ご飯のおかずには事欠かなかった。
今はどうだろう。埋め立ててしまって、魚も貝も海藻も取れない。よせては返す磯辺がないと魚も寄ってこない。その結果が今の牛深の姿だろう。なーんも捕れん!
その後、私とT君は牛深に残り、私は家業を、彼は農協に籍を置いた。まず1人しかいないけど購買主任と言ってたなー。それからAコープの店長、参事、とうとうJAあまくさの組合長まで登りつめた。すごい、すごすぎる。同級生の鑑である。
私も負けずと家業の傍ら、向学心に燃え、絵を描いたり、小学生に絵を教えたり、バンドを組んだりして人生を楽しんでいたんだが、いつの頃から酒と女に溺れてしまい、倒産寸前までいった。(アリとキリギリスより)
彼が参事の時、農協が工場を担保に2000万融資してくれた。助かった。今はその借金も完済している。
今でも「わい」「おい」の仲である。
  


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