2024年04月18日

永久の別れ

3月30日、久しぶりにとれたて市場に、嫁と次男で店頭販売に行った。
今は昔ほど売れなくなった。
夕方、家に帰ったら、いつもの夕飯より少し豪勢な食卓であった。



「お、今日は何だ、豪勢だネェ。」と言うと、次男が「今日は何の日でしょう。」と言う。
「何の日と言われてもネェ」と思い出せない。
すると嫁が、「今年1年頑張りましょう。」と言って、ノンアルのビールで乾杯をしてきた。



「アッ、そうか、今日は結婚記念日だ。すっかり忘れた。アーすまない。俺としたことが。」と嫁に詫びた。
嫁が「去年は私が忘れていたから、あいこだネェ」と笑った。
すると次男が「親父たちは何がきっかけで結婚することになったんだ。」と聞いてきた。
一瞬、下をうつむき、静かに答えた。「魔が差したんだ。」

4月12日正午前、スマホに着信が入る。長島の兄貴からだった。「ケンスケ、マスミが今亡くなった。詳しくは後で連絡する。」と言って電話を切った。
「しまった。14日にお見舞いに行くつもりでいたのに、もっと早く行くべきだった。残念。」すぐ、親戚中に電話で知らせた。
翌13日、天附の杉本夫妻とお悔みに行った。
お通夜が、午後6時だったので、フェリーの便が無くなるとのことで、朝9時40分のフェリーに乗った。
フェリーから、仏様は、自宅か斎場かどちらに安置されているか聞いたら、自宅との事で、自宅に向かった。
マスミさんは安らかな顔で、眠っておられた。
みんなで両手を合わせ、兄貴にお悔みの言葉を述べた。兄貴から、死亡までの経過を聞いた後、次のフェリーの便の時間まで、昔話や思い出話に花が咲いた。兄貴が、帰る時は「ジャガイモを持って行ってくれ。長島のジャガイモはうまかで。」と言ってくれた。そろそろ時間になったので、みんな車に乗り込み、兄貴をはじめ、家族に見送られ、2,3メートル車が動いたところで、杉本さんの嫁さんが、「ア、ジャガイモをもらってない。バック、バックと言いだされた。」少しバックして、窓から首を出して、「ジャガイモを忘れた。」と言ったら、兄貴も慌てて取りに戻り、長女の息子と二人で、コンテナいっぱいのジャガイモを後ろに積んでくれた。

翌14日、朝、長男家族とフェリー乗り場で待ち合わせ、長男の車で行くことになった。すでに親戚の方々も集まっておられた。9時40分のフェリーにみんな乗船し、長島に向かった。
まご娘のツムギも船旅は初めてで、朝早くから起きて楽しみにしていたようだ。客室にじっとしてないで、外に出たり入ったり一時もじっとしていないで、はしゃぎ廻った。





見かねた長男が、3階の甲板に連れて行き、海を眺めさせた。外は天気晴朗なれど、風強しだった。ツムギもとても機嫌が良かった。




蔵之元に着き、一路平尾の斎場へ向かった。斎場では、上筋家の家族や孫たちが迎えてくれた。
葬式じゃないなら再会を喜び合うのだが、今日は挨拶もそこそこに、席に着いた。
マスミさんの遺影の前で、1人憔悴して座っている兄貴の後ろ姿を見ていると、何て話しかけていいか言葉が見つからなかった。



生前楽しかったことが、走馬灯のようによみがえり、懐かしく思い出されていたに違いない。
式も終わり、出棺の運びとなった。生花を渡され、次々に棺の中に添えていく。最後のお別れだ。生花を入れている兄貴の姿を見ていると、子供たちは皆、東京にいるし、最愛の嫁さんには先立たれ、これから長島で1人暮らしていくのかと思うと、可哀想で涙が出てくる。





ここで親戚の人たちは皆帰られた。我が家族だけは、火葬場まで行き、お骨を拾って帰りますと伝えた。
火葬場は、行人岳の中腹にあった。この火葬場、最近でけたのだろう。きれいに整頓され、ホテルのロビーみたいな感じだった。何も知らないツムギは、広い火葬場の周りを、何べんも走り回っていた。





フェリーの時間が近づいてきたので、みんなに見送られて帰路についた。
ツムギは車に乗せた途端、すぐ眠ってしまった。疲れたんだろう。みんなご苦労さんでした。

マスミさんにはエピソードが2つある。
1つは、新婚旅行に旅立つ朝、瀬崎の港まで、俺のライトバンで送って行った。後ろのドアを開け、荷物を下ろした。下ろし終わった兄貴はライトバンの後ろのドアに手をかけた。自分の少し前にマスミさんが立っていたのだが、当たらないと思っていたんだろう。思い切りドアをおろした。
「ゴォーン」と鈍い音がした。俺は一瞬青ざめた。救急車を呼びまいかもと。兄貴はただ謝るばかりで、マスミさんは涙目になって、怒るに怒れないし、そういえばその後、新婚旅行中はどうなったかは聞いてなかったなァー。いや、あれは痛かっただろう。
2つ目は、優子(長女)が幼稚園児の頃、「お母さん、優子もお兄ちゃんみたいなおチンチンが欲しい。」と言ってマスミさんを困らせた。
マスミさんは、マスミさんで、「ハイハイ、今度デパートに行った時、買ってあげるからネ。」と納得させた。俺は、デパートなんかには売ってありませんよーと思っていたが、NHKのグッツに売ってあった。NHKのディレクターと結婚したのだ。これには俺も参った。大事に使えヨ、優子。

笑いは百薬の長
ある女性が、買い物を終えて、スーパーから出てくると、とても長い葬送の列に出くわした。先頭には、2つの棺、そしてその後には200人の女性だけの列が続いて歩いているのである。あまりにも不思議な光景だったので、女性は自分のと同じ年くらいの喪主とおぼしき女性に尋ねた。
「あの、このような時にぶしつけとは思いますが、いったいどなたの葬列なのでしょうか。」喪主の女性は、ちらりと目線を上げ「一番目の棺は私の夫です。長年飼っていた飼い犬に噛み殺されたのです。」
「まァー、それはなんと不幸な」と女性が驚くと、喪主は、言葉を続けた。「二番目の棺は夫の母親です。彼女は夫を助けようとし、やはり同じ犬に嚙み殺されたのです。」その言葉を聞くと、女性は遠慮がちに言った。「あの、よろしければそのワンちゃんを貸してもらえないでしょうか。」
「そしたら、列の最後にお並びください。」
  


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2024年04月01日

さらば天空の碁会所

♪昭和余年は春も宵~桜吹雪けば情も舞う~♪
あがた森魚の赤色エレジーの一節である。若い頃は好んで唄っていた。
春の陽気に誘われて、山々の草花も色めきだって来た今日この頃である。

3月29日、天空の碁会所で月例会があった。
天草市の方針で、社会福祉協議会河浦支所内にある老人福祉センターは、令和6年3月をもって廃止になることが決定した。
ということで、これが最後の月例会になった。最後と言う事で、ゲストとして牛深から元教育長の野田四郎さんも参加され、総勢10名で試合が始まった。私の1回戦の相手は、強敵丸山三段だった。相手にとって不足無し、序盤は黒優勢で進んだが、中盤、黒2目を捨てるか助けるか、悩ましい場面になった。
丸山さんは、助ける方を選んだ。すると中央の黒7目がゲタで取られてしまった。丸山さんの悲鳴が上がった。
後は丸山さんのボヤキを聞きながら押し切ってしまった。局後の検討で、嶋津六段から「2目を捨てらしたら黒優勢だったでしょう。」と指摘されて本人も納得されたようだった。
丸山さんも久保さんの代わりに碁会の進行もし、対局相手の組み合わせもしで、碁に集中ができなかったのでしょう。悔いの残る一局だったに違いない。




私はその後、野田六段を破り、嶋津六段には負け、小川六段に勝ち、3勝1敗で臨んだ最終局は溝口二段だった。「あらーいやな相手だなァー」と思った。この頃負け越しているし、自身も持たれてる相手だ。
序盤、中盤、打ち進んだところで、目算して見ると、15目くらいは良いと楽観したのが悪かった。1ヶ所傷があったのを見つけられた。抵抗するすべがなく、あれよあれよと言う間に、白地が黒地になってしまった。終盤にこういうミスをやってしまうようでは勝つわけがない。結果、私の1目負けである。とんだ伏兵がいたものだ。優勝は島津六段、私は3位で有終の美をかざることが出来なかった。時間も午後5時になったので、みんなで社会福祉協議会河浦支所の皆さんに、「永い間お世話になりました。有難うございました。」と挨拶して、碁会所を出た。
♪戦いすんで日が暮れて~♪
すると桜が六分咲きで夕日に照らされていた。「そうだみんなで記念写真を撮ろう。」と言って、帰るのを待ってもらった。ちょうど居合わせた職員の方が、「私が撮りましょうか」と言って私のスマホを受け取られた。



帰りは丸山さんが、「4月から新しく始まる『コミュニケーションセンター』の場所を教えますので、私の車の後をついて来て下さい。」と言って見に行った。駐車場も広く、桜の木もいっぱい並んでいて静かで環境も良い。
4月からまた楽しみが増える。

笑いは百薬の長
ローマ教皇がイーストコートの観光を終え、リムジンに乗って空港に向かった。
リムジンを一度も運転したことのない教皇は運転手に「一度でいいからしばらく運転を代わってもらえないか」と頼んだ。
教皇の命令には背けない運転手は、教皇と代わり、後部座席に座った。
教皇は高速道路に出た。この車がどれくらいのスピードが出るか試してみたかった。しかし150㎞/hくらい出たところで後ろからパトカーが追いかけて来た。
教皇は路肩に車を止めた。警官は運手席を覗いてみた。
運転手の正体を見た警官は慌てた様子で、「ちょっと待っててください」と言って、無線で署長に連絡した。
「重要な人物を止めてしまいました。どうしたらいいでしょう」
署長「また市長か?」「いいえ、もっと重要な人物です。」
「じゃ、知事か」「いいえもっともっと重要な人物です。」
「じゃ大統領か」「いいえさらに重要な人物です。」
「いったい誰なんだ」「神様だと思います。」
「神様?馬鹿も休み休み言え。」「だって教皇様を運転手にしているんですよ。」
  


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2024年03月16日

悲惨な誕生日と木山初市

♪君が去ったホームに残り、落ちてはとける雪を見ていた~今春が来て、君はきれいになった。去年よりずっときれいになった~♪
先週東京では、雪が降った。そのニュースを見て、ふとイルカの『なごり雪』を思い出した。

3月1日は私の誕生日だったが、前日の29日、仕事中ストーブの前で椅子に座り、居眠りこいでいて急に起こされ、ビックリして立ち上がろうとして、椅子につまずき、後ろにコケてしまった。
何もつかむものが無かったので、後ろの風呂場の段差で右わき腹を思いきり打った。長男が慌てて抱え上げてくれた。
一時の間、痛くもあったが息をつくのもきつかった。2日から益城町の木山初市だが、「しまったぁーやってしまったかなぁー」と一抹の不安が頭をよぎった。
その日は大事をとって、息子たちに仕事を任せた。翌1日、朝6時から仕事をしたが、まだ痛みはあったものの、午前中仕事をすることが出来た。
夜、1人寂しく「八海山の大吟醸」を手酌で湯吞に注ぐ




「あぁー73年間生きて来て、誰も祝ってくれるものはなく、このまま孤独死してしまうのではないか」と考え込む。そこに「親父、何歳になったと?」と言って、息子がコップを持ってきた。親子3人のささやかな誕生日であった。




翌3月2日、朝4時起床、軽のライトバンで益城に向かう予定だったが、前日の痛みも残っていたので、急遽長男の普通ワゴン車で行くことにした。
出発は少し遅れたが、次男が1人で運手することになった。
昨年は益城町総合体育館の駐車場であったが、今年は昔ながらの本町通りであった。熊本地震後、区画整理で整えられていた。
道幅も大分広くなっていた。イベント会場もいつもの所だった。
私たちはいつも道路端で売っていたが、イベント会場で売るのは初めてであった。今回はテント、イス、机は主催者側が全部準備してくれたのが良かった。
ステージも10時から始まり、歌や踊りで賑わった。




テレビ局もRKKとKABが来ていた。ステージの司会は松村なおアナが担当していた。
昼前、近くにトイレがなく、仕方がないので、木山座まで行くことにした。木山座の所は、市だごを買う人で行列ができていた。
すると富澤さんが、RKKのインタビューを受けていた。





この富澤さんは、益城町商工会の婦人部の部長で、私たちが、この木山初市に出るきっかけを作ってくれた人だ。
18年前、熊本空港のイベントで一緒になり、「今度3月に木山初市があるけど、売りに来んね。場所は私たちが市だごを売っている隣でよかけん。」と言って、商工会も通さず、本当にその横で売らせてくれた。益城町では、この人に逆らうものは男でも女でも誰もいない。市だごが完売したら、俺たちのテントに来て、道行く人を次から次に声をかけ「だれだれちゃん、カマボコを買って行かんね。あんたも、あんたも」と言って、瞬く間に1、2万売れた。今年も帰り際に5,6人連れてこられ、みんなセットを買って下さった。6年前にご主人をガンで亡くされ、今は7人の孫がいるそうだ。
テントに戻ると、次々にご常連が買いに来てくださった。
このくんせい蒲鉾が大好きと言って、年に1度の木山初市を楽しみにしている人。ほうれん草や芋や高菜やミカンなどなどの差し入れで、テントの中がいっぱいになった。
3月3日、二日目が始まった。この日は、西村町長や知事選に立候補された木村さんが私のテントの所に挨拶に来られた。
木村さんに、「月に1度は県庁に売りに行っています。」と言ったら、「知っています」と答えられた。気を良くした俺は、くんせいセットに新商品の「合格天」を2ヶ入れた。「ぜひ当選されるように」と言って持たせた。恐縮されたが、固い握手をしてステージの方へ行かれた。
それから、餅投げならぬ豆投げが始まった。




ステージからと我々の店の前で投げられた。嫁と息子とでいっぱい拾ってきた。そしたら店に珍客が来た。兜をかぶり、鎧をまとった犬だった。しかも刀も背負っている。名前も「亜月」と言うそうだ。世の中にはユニークな人なり、犬なりいるもんだ。





3時過ぎたころ、トイレを借りに木山座まで行った。が鍵がかかって入れなかった。仕方がないので、商工会まで歩いた。
100メートルの登り坂が「ウワーもつかなぁ」と思いながら、必死で歩いた。ちょうど息子も商工会の上の駐車場に車を止めていて、荷物を運んでいた。無事用をたし、今来た道を帰ったのだが、帰りは下り坂、楽勝と思って歩いたのが間違いだった。つまづいてコケてしまった。とっさに両手をついてかばったのだが、1回転して道端に倒れた。すると運よく後ろから息子が来ていたので、慌てて起こしてくれた。
忠臣蔵の松の廊下みたいに「貝川殿、殿中でござる」「止めて下さるな公志殿、せめてもう一太刀」と馬鹿を言っている場合ではない。痛いやら恥ずかしいやらで、泣きたかったが、我慢した。
翌、月曜日、市民病院の整形にかかった。レントゲンの結果、右わき腹の肋骨が1本折れていた。ひざは擦り傷、右手首は捻挫で、全治1ヵ月の診断が下された。右わき腹の骨が折れているところは、紫色に変色していた。散々な誕生日だった。今年は先が思いやられる。

笑いは百薬の長
ロバートは仕事を終え、いつもの町はずれの道に差し掛かった時、橋から身投げしようとする1人の美人女性を見つけた。ロバートはすぐ車を止め、身投げしようとする美人女性に、「早まっちゃダメだ、神様からせっかくもらった命じゃないか。」と言って、必死に説得した。
「お願い止めないで、このまま死なせて」とは言ったが、ロバートの必死の説得により美人の女性もだんだん冷静になった。
「いったい何があったか知らないが、君は若いしそんなにきれいだから、いくらでもやり直せる。あのーそうだなぁ、おれなんかどうだ、なぁ」
「あなたと?本当に私なんかで良いの」と言って、彼女はロバートの顔をしみじみ見つめた。
そして命の恩人の首に手を回し熱いキスをした。とろけるようなキスだった。
「それにしてもなぜ身投げしようとしたんだ。」
「両親がね、絶対に女の恰好なんてするなって言うの。」
  


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2024年02月17日

対岸の火事

♪もうすぐ春ですネェーちょいと出かけませんかァー♪
2月4日は立春だった。暦の上では春。




先日、春一番が吹いた。春一番は冬の間、眠っていた草木に「オーイみんな、春だぞー目を覚ませー」という天からの声らしい。
そして、春二番で、「じゃそろそろ芽を出そうか」と起き上がる。春三番で、一斉に開花する。その後、春四番で、花は散ってしまい、春五番で実がなるそうだ。
草花は自分が咲く時期を忘れず、何万年も前から繰り返されている。それに比べ、このオレは「大器晩成」と言われながら、何の勲もなくこのまま朽ち果ててしまうのだろうか。

2月2日、朝7時過ぎ火災警報が5回鳴った。「アッ近火災だ」と思った。
すると防災無線で「久玉町、明石の建物火災」と放送された。その日は、仕事は休みだったが、工場に行く用事があったので、警察の前を通って対岸を見たら、白い煙が立ち込めていた。「ワァー相当燃えているなァ!」と思いながら工場へ行った。





午後1時頃、河浦の天空の碁会所に行こうと道に出たら、まだ煙がこちらに向かって流れてきている。「ワァーまだ消えていないのか、発生から5,6時間は経っているのに。」と思いながら、河浦へ向かった。
後で、聞いた話だが、この火災はテレビのニュースで全国放送されたらしい。大阪の同級生からも、牛深にいる妹さんの所へ「貝川の工場じゃないのか」と心配して、TELがかかって来たそうな。「ありがとヨ一直君」
翌2月3日は、牛深市内で建物火災があった。ここはイベントで一緒になるテキ屋さんの所だったので、あまり詳しくは書かない。
皆さんくれぐれも火の元には十分気をつけて、火事を出さないよう注意して下さい。

さて、今度は酒の話になるが、年末から1月にかけて、各方面からお酒を頂き、大変恐縮しています。
正月に飲む「久保田」は別として、ほとんど酒は買わない。専ら、芋焼酎「島美人」が定番である。
そんな中、正光寺のご住職から月桂冠の大吟醸、北海道の友人から「三千本桜」、嫁の実家の義弟から、金粉入りの純米酒、長島の義兄から広島の酒「賀茂鶴」の大吟醸と純米酒が送られて来た。














刺身がある時だけ日本酒を飲むように心がけている。「何!毎日あるじゃないかってか?」「それはネ、オレは、嫁に毎日は贅沢だから仕事をした時だけで良いよと言っているんだが、今日は安いブロックがあった。今日は半額になっていたと言って買って来るんだ。これでもか、これでもかと言って、オレを太らせ、最後にはオレを喰うつもりでいるらしい。」
でも困ったこともある。美味い酒をもらって飲むのは良いが、口が肥えてしまって、普通の酒が飲めなくなってしまう。
みなさん、私にお土産とか、プレゼントされるときは、何も悩まなくていいですよ。酒の1本あればいい。

笑いは百薬長
天国の門の前に3人の男が立っていた。聖ペテロが尋ねる。
天国は広いから、あなた達に車をプレゼントしたいと思うが、私の質問に答えて下さい。「あなたは生前結婚してから浮気をしたことがありますか?」すると1番目の男が「10回くらいしました」「そうですか、それじゃ、フォートの中古車をプレゼントします。」
「2番目のあなたは?」「私は1回だけしました」「じゃ、あなたにはメルセデスベンツをプレゼントします。」
「3番目のあなたは?」「私は1度も浮気はしたことがありません」「オーそれは素晴らしい。あなたにはランボルギーニのカムタックをプレゼントします。」
数日後、3番目の男が天国の街中を走っている時、キックボードをこいでいる女性を目にした。車を止めてよく見てみると、自分の妻だった。

  


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2024年02月12日

謹賀新年

♪お酒はぬるめの燗がいい~肴はあぶったイカでいい~女は無口の方がいい~灯はぼんやりともりゃいい~♪
八代亜紀さんの訃報がテレビで知らされた。彼女は唄もうまかったが、絵もうまかった。二科展によく出展していて、石坂浩二と共に入選していた。
同じ年の人達が芸能界でも1人減り、2人減りと、櫛の歯が折れるように亡くなっていく。明日は我が身か?そんな歳になって来た。

正月、元日、我が家に長男家族が来て、正月を祝った。
お屠蘇は例によって『久保田』を用意した。
みんなで「おめでとうございます。」と挨拶の後、飲み始めたのだが、みんなの視線は「ツムギ」に集中する。お年玉をやっても料理を見てもあまり感動がない。まだ2才児だからしょうがないか。その代わり、「スマホ」には興味があるらしく、一生懸命いじっていた。






昼からは嫁さんの実家に行くと言って、昼になったら帰った。
正月だけは、朝から酒が飲めるので、正月様様だ。しかし、昼間から飲む酒はきけるネー、年末の疲れが残っているのだろう。コタツに横たわっていた。
目が覚めたら、テレビで正月番組はどこもなく、「津波が来ます、逃げてください」と地震速報が流れていた。「マジか?この正月に」いわゆる能登半島地震である。一瞬で酔いが覚めてしまった。
夕食の時間になったが、石川県の人たちのことを考えると、とても酒を飲む気になれなかった。こんな正月は初めてであった。

1月3日は牛深八幡宮に恒例の初詣に行くことになっていた。
ツムギは本殿の裏に登ったり、魚のおみくじを買ってもらったりとご満悦だった。






11時半、神殿に入って、お祓いを受けた。神事が終わって、お神酒がふるまわれた。みんな1人ずつ飲んでいるから、ツムギも自分も飲めると思って並んでいた。自分の番だと思って盃に手を伸ばしたが、母親から「こらこら、ダメダメ」と言って止められた。



1月4日、おなじみの床屋さんから、今日まで休みだから出て来ないかと、碁のお誘いがあった。今年初打ちである。
小川さんは私が2,3段の頃は、雲の上の人で、絶対に勝てなかった人だ。今はお互い六段で打っているが、この頃は私が、3連勝、4連勝と勝率が良い。昨日も4連敗されたので、今日はTELはないだろと思っていたら、「仕事は終わったとや、暇なら一局教えてもらえないでしょうか。」「ワァー今日はかかって来ないと思っていたら、来たか!元来負けず嫌いだからなぁ」それに答えてのこのこ出て行くオレもオレだ。



この前、天空の碁会所の帰りの車の中で、「今日の成績はどがんやったと?」と聞かれ「丸山さんに負けました。」と言ったら、「えっ、丸山さんに」とさらに「俺ばっかりいじめているから負くいとさなー」と「そんな、いじめるなんて人聞きが悪い。指導ですよ、指導」と言って、大笑いになった。

1月5日、正月もあっという間に終わり、仕事始めの日だった。「近いうちに松木を持って来ます」と蓑田林業から電話が入った。
じゃということで、今残っている松木を片付け、いつでも置けるようスペースを空けた。




数日後、松木が来た。これで今年1年分は大丈夫だ。




1月11日、小欄でおなじみの「うみそら」のカウボーイこと伊藤さんが、蒲鉾を買いに来られた。髪の毛を短く切って、サッパリしておられた。
話の中で、今度店で、フラメンコギターの演奏会をやるとの事だった。3年前やるつもりだったのが、コロナで中止になり、申し訳ないと思っていた。再び依頼したら、OKをもらえて、嬉しかったそうだ。
お土産も頂き、記念写真も撮らせてもらった。





人の縁というものは、不思議なものである。神奈川生まれの人が、天草の何の接点もない人間と友達になるんだからなぁー、縁は大事にしないと。

笑いは百薬の長
男子禁制の修道院で規則を破った修道女4人が、院長に呼ばれた。
1番目の修道女に聞いた。「あなたは、その部分をどうやって触ったのですか」と「はい、指で触りました」院長は眉をしかめ「じゃその指を聖水で洗いなさい」
「じゃ2番目のあなたは」「ハイ、私は指で握りました」
院長は心臓が止まるくらいびっくりして、「じゃその手首を聖水で洗いなさい」
次の3番目に聞こうとしたとき、4番目の修道女が、「3番目の人が尻を洗った聖水で口をすすぐことは私にはできません。」  


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2024年01月20日

喜びも悲しみも幾歳月

正月も過ぎ、早2週間は経ってしまった。年末は忙しくてブログも書く暇がなかった。今となっては、昔のことだが、12月を振り返ってみよう。

12月15日、天空の碁会所で今年最後の月例会が行われた。



あいにく私は、仕事で参加することが出来なかった。午後2時頃、参加賞を持って碁会所に着いた。もう皆さん最終局面に差し掛かっていて、正光寺のご住職が、4戦全勝で勝ち上がっていらした。
すると、会長の久保さんが、「貝川さん、皆さん成績が悪いので、代打ちをお願いできませんか。」と言われた。
快諾したが、相手は全勝優勝がかかっている。私は勝敗には関係ないので、気は楽だ。でも勝つわけにはいかない。
ただギャラリーも見ていることだし、わざと負けるわけにはいかない。
適当なところで投了しようと思っていたら、「コウ」が発生し、ご住職の石がみんな死んでしまった。
「アリャー勝てばいけない碁を勝ってしまった。」申し訳ない気持ちでいっぱいだったが、それでもご住職の優勝だったので、安堵した。
夜は、6時から河浦碁会の忘年会が用意されていた。
丸山さんに牛深まで迎えに来てもらった。
例によって、居酒屋「なべちゃん」に集合した。が、1人来ていない人がいた。崎本さんだ。みんな到着を待っていた。
そこに1本の電話が入る。久保さんが出ると、崎本さんの奥さんからのようだった。
「おじさんが倒れられたので、すぐに帰るように」との事だった。会場はざわついた。
そこに何も知らない本人が現れ、久保さんが事の詳細を伝えた。みんなから追い出されるように帰って行かれた。
後日、その後どうなったか聞いてみた。すると救急車が来た時には、すでに亡くなっていたとの事だった。その後警察とかが来て大変だったそうだ。
さて、場面を「なべちゃん」に戻そう。
ご住職の挨拶の後、乾杯の音頭を溝口さんにとってもらった。
いつもは貸し切りでやっていたけど、平日だったので、他のお客さんも来ておられた。みんな和気藹々で賑わった。






女将さんに、記念写真を撮ってもらった。



そしたら、女将さんもとの事で撮らせてもらった。



ほんとにこの天空の碁会所の仲間はいい人達ばっかりで、私はものすごく気に入っている。
末永く続いてほしいものだと、心から願うばかりだ。
9時前に、かぼちゃの馬車が到着した。私とご住職は帰路についた。
車の中で、「貝川さんは、日本酒を飲まれますか。」と聞かれ、3度の飯より好きですと答えた。
お寺に着いたら、「貝川さん、ちょっと待っとって下さい。」と言って、月桂冠の大吟醸を1本、ビールを1打、米5kg,10kg、各1ヶ、持って来られた。
「ウワー、こんないっぱいもらえませんヨ」と言うと、「よかで飲めなァー」と言ってさっさと部屋の中に入って行かれた。
「アー今日の碁は、わざとでも負けとくべきだった。」と後悔の連続だった。
昨年はお菓子、カステラ、最中、それにジョニーウォーカーのゴールドラベル。そして、今回の大吟醸。本当によくしてもらった年だった。
私が貧乏していることを知っておられるのかな?仏に仕えていらっしゃる人は、やはり凡人とは違い、人間として出来ておられる。風格がそなわり、どこか後光がさしておられる。そんな感じさえうかがえる。
そんな人を碁盤の上で叩きのめすような人間だこの男は。「この罰当たりが、地獄に落ちろ!」と思われたに違いない。

25日のクリスマスに雪が降った。こんな日は温泉でも浸かって、鍋を囲みながら、1杯という甘い考えは夢の又夢、年末の最後の生産に追われている。そしてどうやら注文の数はこなし、29日で仕事は終わった。今年もどうやら無事に乗り越えることが出来た。みんなよく頑張った。
午後2時頃、くつろいでいると、1本の電話が入った。産直隊の副隊長の唐田さんからだった。「貝川さん、知っとらすですか、江口さんが亡くなられたことを」と伝えてこられた。寝耳に水である。
「えーまた何で?」「温泉に行って、浮かんでおられたそうですよ。」「ウワー俺よりだいぶ年下なのに、心筋梗塞だったんだろうか。」
すぐ、ル・モンドの橋本さんに連絡し、隊員にラインを送ってもらった。
彼は独身だったので、情報が入って来ない。翌30日の朝、とれたて市場に行ってた倉田さんから、TELが入る。
「今、とれたて市場にいますけど、ここに江口さんの弟さんがおられます。ちょっとかわります」と言って、弟さんが出られた。
「今の状況はどうなっていますか?」「12月31日が葬式です。」との事。死亡されたのは12月25日だったそうだ。年末だったので、みんな仕事が忙しく、火葬を先に済ませて、有明の弟さんの家で、お骨は安置されているとの事だった。
斎場の場所と電話番号を聞き、さっそく弔電を打った。
31日は配達しないとの事だったので、30日中に届けるように頼んだ。
みんな年末で忙しいので、本渡の斎場までは行けないということで、牛深におられる姉さんに香典は預けることにした。
彼には産直隊の会計と幹事をやってもらっていた。
イベントの時の三角くじの抽選会、忘年会、新年会の手配など、私の片腕として、頑張ってくれた。
とれたて市場でも、土日で10万位売り上げていた。産直隊きっての稼ぎ頭だった。
生前、飲み会の席で、「貝川さん、この産直隊に入れてもらって本当に良かった」と感謝された。
ポン菓子、ガネ揚げ、唐揚げ、黒にんにくなどで大分稼いだだろう。でも死ねば1銭もあの世には持っていけない。残念だっただろう。死ねば負けだ。
ご冥福を祈ろう。
  


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2023年12月11日

年末ジャンボ宝くじ

♪もういーくつ寝るとーお正ー月ー、お正月には酒飲んでー、スロット回して遊びましょう~♪早~く来い来いお正月♪

事情通の話
「オイオイ、おっさん、、まだクリスマスも来てないのに少し気が早いんじゃないかい。」

先日、早朝、駐車場に歩いていた。ふと空を見ると雲の形がキングギドラが火をはいているような光景に出くわした。
 


ロシア、北朝鮮、ハマスなど、人間の悪行に対する天の怒りにも見える。

9月の十五夜は「中秋の名月」として、有名である。各地でも十五夜にちなんで、古くから伝統行事があるらしい。わたしはどちらかと言うと、10月の満月の方が綺麗だと思う。特に工場の前から見る月は、格別に綺麗だ。





いにしえの先人達が、月の魅力にとりつかれ、和歌や短歌を歌った句が多く残っているのも頷ける。
名月は中秋の満月を楽しむのも良い。十五夜以降も月には異名があり、十七夜「立待月」遅くなる月の出を立って待ちわびるからだという。
かつて江戸には「十七屋」という有名な飛脚屋があった。
名は、「たちまち着き」の宣伝に掛けた駄洒落らしい。
川柳に、「十七屋、立横に寝る、人ばかり」西へ、東へ荷を運ぶ飛脚は走り終えると疲れて、雑魚寝でもしていたのだろ。
ちなみに、十八夜は座って待つ「居待月」、十九夜は寝て待つ「寝待月」で、待ち時間が長くなる。
翌日の朝、いつものように駐車場に向かっていると、東の空には朝日が、西の空には、月がまだ残っていた。




蕪村の句に、「菜の花や月は東に日は西に」を思い出した。真逆であった。10月末の事だった。
先月中頃、奈良の友人から柿が送られて来た。





毎年送られてくる。有難い事だ。家の友情の柿の木というと、今年はなりはしたが、みんな落ちてしまって、1個も口にすることが出来なかった。今年は、裏年だったのだろう、来年には期待しよう。

12月2,3日はあかね市だった。2日間共に、天候に恵まれ、売上も上々だった。



ツムギも応援に来てくれた。スーパーボールすくいをさせたら、それがさまになっていて、とても2才の子供とは思えないほどだった。





お金のことを俗に「おあし」という。江戸の昔、逃げる「おあし」の韋駄天ぶりを、庶民が身にしみて感じだのは、これからの年の瀬にかけてだろう。
代金を後から支払う、掛売、掛買が普通だった当時の事、決済の期限となる歳末は、金策に追われる季節でもあった。
「大晦日首でも取ってくる気なり」と取り立てる側が、勇み立てば、相手は相手で、「大晦日首で良ければやる気なり」と、徹底抗戦も辞さない剛の者がいたらしい。大晦日に抽選会が催される「年末ジャンボ宝くじ」の売り出しは始まったのかな?まだかな?毎年売り出しが始まったら、売り場の前に長蛇の列ができるニュースを目にする。
「金が敵の世の中」である。夢という決まり文句で語られる街角の風物詩に、一抹の哀感をおぼえる。
宝くじには、「はずれる喜び」もあるという。運を金銭で浪費せず、また一年、家族が息災で暮らせると。心の出来た人に深く感じ入る。
逃げ足だけではなく、一生に一度くらい、懐に飛び込む韋駄天に挨拶するのも悪くないとは思いつつ・・・・・・・・売り場へ行ってみるかァー。  


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2023年11月07日

ダンシングオールナイトと魚貫崎の花嫁

♪甘い時 はずむ心 一夜のきらめきに 揺れる キャンドルがうるむ 瞳の中で 無邪気に 踊ってみせる♪
この曲は、もんたよしのりのダンシングオールナイトの一節である。
先日、もんたよしのりの訃報が報道された。残念だ。この曲を聞くと、青春時代を思い出す。昭和57年頃の曲だと思う。
当時、博多の友達の所へ、よう遊びに行っていた。スーパーやパチンコ店や有線放送で毎日のように流れていた。
スナックのフロアでジルバなんか踊ったものである。
そんなもんたでも、娘がいたそうだ。とあるテレビ番組インタビューの中で、司会者が「もし娘さんが、彼氏を連れてこられたら何と言いますか?」との質問に、「シバク!」と即答したのが、面白かった。もんたらしい。我が家にもまご娘がいるので、少しうなずけた。
どうか天国で安らかに眠らず、じゃんじゃん唄って爆発してくれー。

10月22日、天附の親戚の家から、50年忌の法事の案内を受けた。長島の義兄と二人で行った。
ここのご夫婦は一昨年、金婚式を迎えられたそうだ。コロナ禍で何もしなかったとの事だった。
このご夫婦の結婚の時は、オレが活躍をした。当時オレは20才、当時車の免許と車を持っている者は少なく、結納の時、魚貫崎まで3回くらい通った。今みたいに道は舗装されてなく、雨が降るとぬかるみができ、坂道を上るのに一苦労した。
結婚式の当日、まだ通天橋は出来てなかったので、天附に行くのに、舟で渡っていた。
当日は魚貫崎から船で花嫁さんは行くことになっていたのだが、あいにくの悪天候で、舟は大いに揺れた。それに舟の船頭さんが、新米の船頭さんだったらしい。見かねて新郎の兄さんが変わって天附まで、操船してこられたようだ。おかげで新婦さんは、船酔いして大変だったらしい。
それから15年後、このご夫婦に仲人になってもらい、私たちは結婚することになった。

話を50年忌の方へ戻そう。法要が終わり、住職が退室された。テーブルには所狭しとご馳走が並べられた。コロナ禍の後、こんなにご馳走が並んでいるのを見たのは久しぶりだ。



日頃、豆腐と納豆しか食べていない小生としては、盆と正月がいっぺんに来たみたいだった。
食事中話題を尺八の事に振ってみた。するとニコニコしながら奥から尺八を持ってこられた。
最初は座って吹かれたのだが、嫁さんから「せっかくなら立って吹かじゃ、立たんば良か音色は出んぞ」と言われ、



「ならば」と立って吹かれたのだが、その音色の良い事が、初めて聞いた。いやここまで吹かれるとは思っていなかった。




良い趣味をもっておられる。50年忌のいい供養になった。

10月下旬、当店の秋の風物詩『ボラ』が運ばれて来た。





軽トラ3台分。このボラが来ると、年末に向けての臨戦態勢に入る。この後も3台分あると電話が入ったが、冷凍庫の中に入りきれないので断った。もったいなかったが仕方ない。
このブログも久しぶりだが、今、ユーチューブと2ちゃんねるの馴れ初め話にハマって、暇があれば見ている。だから新聞もテレビも見なくなった。
昨年まで、ガラケーで良いと思っていたが、馬鹿だった。スマホって本当に便利なものですね。


笑いは百薬の長
結婚して60年する夫婦がいた。二人の間には秘密はありませんでした。たった一つの事を除いては。
妻はクローゼットの上に靴箱を置き、この箱の中身だけは絶対見ないでと約束させました。
ところが妻が病気に倒れ、医者から回復の見込みがないと告げられました。
夫は身の回り品と一緒に、靴箱も妻の所へ持っていきました。妻も中身のことを話す時が来たと思いました。
箱を開けてみると、手編みの2つの人形と9万5000ドルの札束が入っていました。私たちが結婚した時、祖母に言われました。「もし私が夫に腹を立てたときは、言い返さずに人形を編んで入れなさい」と、それを聞いた夫は心を揺さぶられました。手編みの人形は2つ箱にある。それはつまり、今まで妻は、2度だけ腹を立て、60年の間私に尽くしてくれたのだ。幸せな気持ちで満たされた夫はさらに問いかけた。
人形のことはわかったが、この札束はどこから来たのだ。
「あァーそれはネ、人形を売って稼いだお金よ。」
  


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2023年08月26日

ジョニーウォーカーゴールドラベル

♪姉~さん先生もういない~きれいな先生~もういない~それーでも待ってる~夏休み~♪
この曲は吉田拓郎の『夏休み』という歌だけど、この曲の歌碑が鹿児島市立谷山小に建てられたことをニュースで知った。
吉田拓郎は、鹿児島県伊佐市の出身でその後、谷山小に入学、2年生まで通った。
『夏休み』は谷山の自然や夏休みの思い出を歌い、歌詞にある『姉さん先生』は拓郎の担任だった女性教師がモデルとされている。
8月11日、ファンや同校の卒業生らが、歌碑を囲んで『夏休み』を歌った。私もこの歌は好きである。
小学生時代を思い出させてくれる。今でも口ずさむ。
♪スイカを食べてーた~夏休み~、水まきしたっけー夏休みーひまわり~夕立ーち~セミの声~♪

今年もまた北海道からメロンが届いた。



毎年有難い事である。数年前亡くなった、友人の娘さんが、律儀に送って下さっている。
大変美味しかった。この場を借りて、厚く御礼申し上げます。
8月10日から、海彩館でランタン祭りが行われていた。ツムギ達も親子で行ったようだ。




「赤いランタン波間にゆれて、くうにゃん可愛いや支那の夜」と来たもんだ。
ツムギも2才になったら、オセオセして来た。サングラスをかけると、フィンガーファイブそっくりだ。




7月の末、囲碁仲間の正光寺のご住職から、スコッチウイスキーをもらった。「あんたはウイスキーは飲めるなー」と聞かれたので、「嫌いじゃないです」と答えると、「じゃ、これをもらってくれ」と言って、手さげに入ったウイスキーを渡された。
見てみると、ジョニーウォーカーのゴールドだ。
「ウワーこんな高級なウイスキーをもったいない。もらっていいんですかァ」と言ったら、ニコニコしながら、「私は若い頃、イギリスにホームステイで1週間位暮らしたことがあるんですヨ」と教えて下さった。
ジョニーウォーカーと言うと赤ラベル、黒ラベルは一般に酒屋で手に入るが、ブルーラベル、グリーンラベルなどは、そうお目にかかるものではない。その上のゴールドラベルは存在すら知らなかった。
ジョニーウォーカーはイギリス王室の御用達の酒らしい。この高級ウイスキーをいつ飲むか、思案に暮れた。
すると次男の誕生日が、23日だったので、誕生日に飲むことに決めた。
外には行かず、親子3人で祝うことにした。
まずはビールで乾杯をし、角氷を用意した。ビールが終わると主賓のロックグラスに注いでやる。俺は自分で手酌で注ぐ、もう一度乾杯。





爽やかな香りとまろやかなのどごしがスーッと入ってくる。「うまい!」とお互い顔を見合わせる。至福のひとときが訪れた。ウイスキーがこんなにうまいとは思わなかった。ご住職有難うございました。
願わくば、年内にも1本位来そうな感じがしてなりません。毎日仏間で手を合わせています。
次男も良い誕生日の思い出が出来たと思う。  


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2023年08月09日

我家のちびまる子、2才になる

♪絵日記つけてた~夏休み~、花火を買ってた~夏休み~、指折り待ってた~夏休み~♪

7月28日、天空の碁会所の月例会が行われた。



私の3連覇がかかっていた。クジで前回と同じ崎本五段と当たった。
崎本さんは先月のリベンジに燃えていた。「ありゃ、いやな人と当たったなァー。」と思った。
案の定負けてしまった。崎本さんは、鬼の首を取ったように大喜びされた。
そこに少し遅れてこられた嶋津ご住職が、あれよあれよという間に5戦全勝された。
今回は河浦勢が優勝かと思っていたが、伏兵がいた。それにしても、丸山さんが元気がない。
本来ならば、優勝戦線には勝ち上がってくる力は十分あるのだが、結果を出せないでいる。
蝶々も飛ぶ前はサナギの時期がある。今、丸山さんはサナギの時期なのだろう。早く羽根が生え、飛び立つ時を期待しよう。

7月30日、土用の丑の日。うなぎの日だ。
この日は父の日にウナギを出されていたので、期待していなかった。が、心の隅にかすかな期待が残っていた。
夕方、玄関を開けると、香ばしい香りが漂っていた。「オッこれはまさしく山鹿流の陣太鼓」事情通の話。オイオイ忠臣蔵じゃないんだぞ!
心の中で、「バンザーイ」と叫んだ。



次男とうまいうまいと言いながら、食べたが、四万十(肥満)の戦いが脳裏をよぎった。

8月1日はまご娘、ツムギの満2才の誕生日だった。
7月末まで、咳が止まらず、保育園も休んでいた。だから、誕生日も家族でするように言った。
31日にツムギが元気になったと長男が言ったので、「じゃ、海彩館でも行くかァ」と予約を入れた。
1ヶ月ぶりに会うツムギは元気だった。
挨拶がわりにハイタッチをして、「ジィジィ」「バァーバ」と片言でしゃべれるようになっていた。
おりこうさんハンバーグをツムギに注文し、大人は刺身を注文し、生ビールが来たので、みんなで誕生日おめでとうと言って乾杯した。
食べる時も、遊びながら食べて、一時もじっとしていない。





早めに食べ終えて、かくれんぼータイムだ。いつの間にか、ツムギの姿が消えていた。「ウン、どこに行ったのかなァー。」とキョロキョロして見渡したが、いない。すると俺の真後ろに居たのだろう。「バァー」と横から出て来た。「ウワァ」とびっくりして見せたら、「ニコニコして、してやったり」と満足そうな顔をして喜んでいた。



次は次男とかくれんぼーだ。




アニメのちびまる子みたいで、とてもかわいかった。



家に帰ってから、アンパンマンのバースデーケーキに、ローソクを2本灯し、家族でお祝いをした。とにかく病気をせず健やかに育って欲しいものだ。






【笑いは百薬の長】
警察に止められる。
警察「あなたここは60kmですよ、80kmは出ていますねー。」
夫「いいえ60kmしかだしていません。」
妻「あなたずいぶん出ていたワァー」夫「ジロッ」と妻をにらむ。
警察「テールランプもきれていますネ」妻「これは3週間前からつきません。」
警察「あなたはシートベルトはしていませんね」夫「警察官が来られたので、今シートベルトを外しました。」
妻「いつもシートベルトはしていないじゃない」夫「お前は黙っとけっ!」
警察「ご主人はいつもこんなんですか?」
妻「いいえ、酒を飲んだ時だけですヨ。」

  


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2023年07月30日

コロナ接種と3地区親善大会

♪麦わら帽子はもう消えた~田んぼのカエルは~もう消えた~それでも待ってる夏休み~♪

7月6日、6回目のコロナワクチン接種に行った。
受け付けに行くと、「名前と生年月日をお願いします。」と言われたので、石川五右衛門と名乗った。
「アレッ違う人ですかね?」と看護師が言う。
「もう一度お願いします。」とニコッとして言ったので、今度は真面目に答えた。次に行って下さい。
次に行くと、「おくすり手帳を見せて下さい。」と言うので、見せた。血圧の薬を飲んでいたので、見せたのだが、血液サラサラの薬も飲んでいますねと言って問診票に書き始めた。「オイ、ちょっと待ってくれ、どこに血液サラサラの薬があるんだ。」とチョットムカッと来たので、食って掛かった。
「アッすみません。間違っていました。」と慌てて赤のボールペンで二重線を引いた。
「この野郎、詳しいようであまり詳しくないなー。」と思って次に行った。
次は医師が今日の体調を聞きに回って来た。
「今日の体調はどうですか、具合は悪くありませんか?」と聞くので、「体調は良いですけど、懐具合がちょっとですね…」と言うと、看護師が、「それは誰でもですよ。」と言う。先生が言う。
「それをこじらすと、なかなか治らんですもんなァー。」と大笑いだった。
接種の順番が来た。名前を言って下さい。
石川五右衛門と言ってしまった。「ハイハイよかで左肩をシャツから出して。」荒っぽく脱がせようとするので、「エークソ、1人で脱げるわい。」と脱いで、「サー殺せ」と啖呵を切った。「サー殺せですかァ」と、みんな苦笑した。
みんな粛々と接種を待っているのに、俺の所だけ毎回毎回騒がしく、ひんしゅくをかっているのではないかと、今はただ、反省の日々を送っている。

7月9日、第71回3地区親善大会が開催された。
今回は、30年振りに、囲碁の部で大会に出てくれないかと案内があった。みんな高齢で人数が集まらないと言うので、参加することにした。
この3地区大会は、元々囲碁だけの大会だった。
阿久根、長島、牛深を1年ごとに持ち回りしていた。そこにスポーツもかててくれと言うことで、今に至っている。
試合は、10人ずつの団体戦で、勝った人が多い方が勝ち。






今年は阿久根が優勝で、牛深、長島の順になった。
30年振りに出たが、その頃から来ている人も3,4人いた。懐かしかった。
囲碁人口は減っている。みな高齢者になって、底辺が育たない。
なんとかしなければと思うのだが、まだ現役で仕事をしているので、碁どころではない。今日この頃である。
  


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2023年06月29日

新入部員と追悼碁会

空はどんよりとし、蒸し暑い日々が続いている。
まるで梅雨みたいな天気だ。事情通の話(オイ、オイ、オッサン、ボケをかますな!)
6/18は全国的に『父の日』だった。父の日は、母の日に比べ弱い。誰一人として「今日は父の日だから一席設けようか」とか、「お父さんプレゼントは何が良い」とかというお声もかからない。今日は何の日かすら忘れている。
この前、仕事中にギックリ腰をし、二、三日仕事が出来なかったし。暇があれば碁会所に行ったりして留守番にもならない。
この役立たずがァーとみんな思っているに違いない。「わびしかァー」
夜、家に帰ってみると、お膳の上に刺身のパックとウナギが三切れ用意してあった。



少しにんまりとして、「ワァーうなぎかー今日は豪勢やなー」と言うと、「今日は父の日だから特別にあんただけ。7月に土用の丑の日が来るけど、それを前倒しであんたにやったけん。7月は無し!」
「ワァー厳しいお言葉、刺さりますなぁーグサグサと。」悲しかぁー。

6月26日は、河浦の天空の碁会所の月例会があった。



9名だったけど1人欠席で8名で開催されることになった。
私の初戦の相手は、崎本五段。開始50手目過ぎたころに、私の大石が死んでしまった。楽碁の時は、ここで投了するのだが、大会なので、もう少し打ってみようと思った。そして死んだ石の近辺で打ったのだが、その石も1眼しかなく部分的には死んでしまった。
ただ、最初取られていた石との攻め合いになった。結果私の一手勝ちで、逆に相手の石が、みんな死んでしまった。
崎本さんは今夜は眠れないでしょう。その後、嶋津六段に半目負けはしたが、後は勝ち上がり、4勝1敗で先月に続き2連覇できた。
丸山さんと久保さんに当たらなかったのが、勝因だったかもしれない。
この日はこれで終わりではなかった。
久保会長のきも入りで、今回河浦囲碁部会に新入部員が2人入られた。2人の歓迎会と昨年6月に亡くなられた吉田一久六段の一周忌を兼ねて、居酒屋『なべちゃん』で飲み会が用意されていた。
PM6:00集合、みんな時間通りに集まり、久保会長の挨拶の後、嶋津さんが乾杯の音頭を取られた。
その日あった碁を思い出し、ああしとけば、こうしとけばと、反省を兼ねた碁の内容を酒の肴に話が盛り上がった。






ここで新入部員の2人を紹介したい。吉田四段と出永二段です。



河浦は、役所上がりの人が多く、酒も強い。私ども下戸はとても太刀打ちできない。私が低段の頃は事あるごとに飲み屋に呼び出され、「貝川!ビールばっかり飲んどったちゃ碁は強くならん。焼酎ば飲め!焼酎ば飲みきいごとなって、初めて碁は強くないとぞ。」とか言われて、毎日が午前様だった。でも嫌いではなかった。おかげで、碁よりも酒の方が位が上った。
牛深最後の酒豪の碁打ち、吉田さんが昨年亡くなられた。寂しくなった。でもこの河浦碁会に入って、このような飲み会が出来ることは、とても嬉しく思う。楽しかし、皆さん牛深の連中よりものすごく紳士的である。これからも幾久しくお付き合いしたいものだ。
時間も9時を回ったところで、かぼちゃの馬車が迎えに来たので、田口四段に締めをお願いした。一本締めでみんな起立して手を前に出したが、なかなか話が終わらない。痺れをきらし、とにかく一本締めしようと言って、みんなで「せーの、ポン」と打った。めでたしめでたしだった。

後一ヶ月でツムギが2歳になる。母の日以来会っていない。片言で、パパ、ママもしゃべれるらしい。風船の色も赤、青とかもしゃべれるようだ。
友達とも遊ぶようになったみたいだ。







工場に慰問に来てくれればいいものを…
  


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2023年06月14日

世界三大悪妻

♪別れた人を 想えば悲し 呼んでみたとて 遠い空 雨に打たれて 泣いている 花が私の 恋かしら♪
『雨に咲く花』の一節である。
50年の前の流行歌で、井上ひろしが唄っている。
我家の猫の額ほどの植木鉢には紫陽花が咲いている。これほど雨に咲く花が似合う花もないだろう。





色もいろいろあるが、私は青の紫陽花が好きだ。ちなみに紫陽花の花言葉は『浮気』らしい。少しうなずける。

先月の第2日曜日は母の日だった。久しぶりに家族で海彩館に食事に行った。嫁の古希のお祝いも兼ねてだった。
母の日の主役は嫁だったのだが、もう1人のスーパー主役がいた。ツムギだ。
普通は嫁に1年間の労をねぎらい感謝するのが母の日だが、この日はツムギの独壇場だった。










よい子のハンバーグを1人前頼み。どういう食べ方をするのだろうと思って見ていると、フォークでつついたり、箸を取り替えたりして食べるのだが、なかなか自分の口まではもっていけない。
たまりかねて、親が箸で口に入れてやる。一時もじっとしていない。途中で食べるのは止め、その辺を歩き回り、隣のお客さんの所へ行き「バァー」と声をかけるし、メニューを両手に1枚ずつ持ち、それで踊ったりして、みんなを楽しませてくれた。おかげで家族写真を撮るのも忘れて、ツムギの写真と動画ばかりだった。
久しぶりに会う孫娘の一挙一動が可愛くて、可愛くて、とても楽しい1日だった。
やがて父の日が来るが、どうせツムギにおいしい所はみんな持っていかれるのだろう。

せっかくの母の日に、この話題はひんしゅくを買うと思って書かなかったが、「世界三大悪妻」と呼ばれる女性たちがいる。
ソクラテス、モーツァルト、トルストイの妻ということになる。
もう20年も前のニュースだが、モーツァルトの妻、コンスタンツェに2つに引き裂かれた楽譜がロンドンの大英図書館で170年振りに再会を果たし、一つの楽譜に戻ったという。楽譜にはモーツァルト17歳の作品である、弦楽四重奏のメヌエットなどが書き記されている。
夫の没後、楽譜の断片を収集することが流行し、妻は2つに裂くことで、売り出す遺品の価値を高めようとしたらしい。
また作家の故半藤一利さんは、ソクラテスの妻に同情を寄せている。「彫刻職人の夫が商売をそっちのけにして街で哲学を談じ、一文の稼ぎもない日々が続けば、ヒステリーを起こしたってこれは当然である」と。
コンスタンツェの場合も、子供と残された借金を抱えて貧困に苦しんだと伝えられ、楽譜切断が悪妻を裏付けるものかは分からない。
ともあれ、夫の遺品を切り裂いて後味が良いはずもなく、地上のニュースに今はどこか天の高みでホッとしている事だろう。

人類の至宝のような天才作曲家にして「夫婦仲」という楽譜づくりは手を焼く。いわんや凡才においてをや
  


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2023年04月23日

益城町復興初市(木山初市)と熊本空港事件

今年もまた、蘭が咲いてくれた。



皆さんが、口々に「どうやったらこんなに咲くんですか?」と尋ねる。
「ただ毎日、水をやるだけですよ。」と、もう少し手入れをしてやればいいんだけど、鉢も根が張りすぎて、割れている。花が終わったら、大きい鉢に植えなおさないと、とは思っている。

先月の11日、12日の2日間、益城町の『益城復興初市』(木山初市)が4年振りに行われた。



ここに呼ばれるようになってから、かれこれ17,8年にはなるだろう。きっかけは熊本空港のイベントだった。
お茶の富澤、丸健水産、貝川蒲鉾店の3業者が出店した。
私は、出店申し込みの案内が来た時、天草空港だとばかり思って申し込んだが、よく読んでみると、熊本空港だった。
「あじゃー、天草から出てのイベントには、出たことがないのにー。」仕方がない。行くしかないかと決断した。
当日、外は雪がちらついていたが、ロビー内は、半袖でいいくらい暖かかった。
販売を始めたら、お茶屋さんが、温かいお茶を持って来てくれた。丸健さんも挨拶に来られ、イベントのノウハウを教えてくれた。
3業者和気あいあいで販売した。
午後前、RKKから出店風景を撮りに来た。昼のニュースで流すそうだ。
そこに売店の支配人が来て、ウチの蒲鉾を手に取り、「私はこういう蒲鉾を探していた。良かったら事務所に来てください。」と言って連れて行かれた。
そこで、空港に置かせてもらう事が決まり、ラッキーだった。
一日目が無事終わった。七時過ぎていた。帰る準備をして外に車を取りにいった。外は寒くて寒くて心臓がバクバクして来た。
すると、脈がバラバラに打ち出した。「あっいかん、不整脈だ。」とその場に座り込んだ。そこにイベントの責任者が来て、「貝川さん大丈夫ですか?」と、「この近くに病院は有りませんか?」と聞いたら、無いということで、「じゃ、救急車を呼びましょうか。」と言って、呼んでくれた。
しばらくし、サイレンの音が近づいて来た。
イベント業者に「後はお願いします。」と言って、嫁と救急車に乗った。車内では受け入れてくれる病院に救急隊員がTELしていたが、どこも断られた。
最後は日赤にTELしてOKが出た。
車内は暖房はなく、「血圧192」「脈拍数いくら」と絶えず点呼している。運転は乱暴で、赤信号も無視していく。
やがて日赤に着く。「もう救急車なんて、二度と乗らない」と思った。
迎えてくれたのは女医だった。心電室に連れて行かれ、心電図をとった。他の救急患者も多かったので、俺はほったらかされていた。やっと女医から呼ばれた。「あなたはこの病気を知っていますか?」と、「発作性心房細動でしょう。」と、「そうです。」「この病気は24時間内に自然に治まりますから、心配いりません。」と言って、薬も注射もしなかった。時間は10時前だった。
追い出されるようにして、タクシーに乗り込み、運転手さんに、近くにホテルはありませんかと聞いたら、。ユーユーランドに連れて行ってくれた。
朝、朝食を食べたが、まだ治まらない。治まらない時は、イベント業者に訳を言って帰ろうと二人で話し合って、タクシーに乗った。
途中でイベント業者からTELが入る。「貝川さん今どこですか。」「タクシーで向かっています。」
「早く来てください。お客さんが昨日のテレビを見て、並んでますよ。」「あじゃーこれは帰られん事になった。」と思った。
「よし、義弟に電話しよう。」と思って、本渡にいる嫁の弟に電話して、訳を話した。「わかった。すぐ出る」と言ってくれた。
10時過ぎ、義弟も着いた。富澤さんも心配して来てくれた。
弟に富澤さんの紹介をして、売ってもらった。しばらく休んでいたら、不整脈も治まった。「バンザーイ」と心で叫んだ。
富澤さんが来月の3月の第1土日に『木山初市』があるけど、売りに来んね。場所は私たちの市だごを売っている横で売っていいから。と言ってくださった。後で知ったのだが、この人は、益城町商工会の女性部の部長をしておられた。
益城町では有名な人で、知らない人はいないくらい有名だった。
初市に呼ばれて行ってみると、婦人部が売っている市だごの所には、ずらっと行列が出来ていて、その横で売らせてもらった。
だいたい正午過ぎには完売してしまうらしい。それが終わったら、富澤さんがウチの店の前に来て、「だれだれちゃん、買わんね。だれだれさん、あんたも買わんね。はるばる牛深から来ておられるとヨ。」と呼び込んで、瞬く間に1,2万は売れていく。流石女親分。
そこにカギの中島さんが通りかかる。「やっちゃこの人は、牛深の私の友達。」と言って紹介したら、「あんたも大変な人と友達になったなぁ」と言って、大笑いだった。

あれから18年、熊本地震やコロナで中止になったときもあったが、今年は4年振りに『益城町復興初市』として、開催された。





相変わらず、婦人部の市だごの所は行列だ。



牛深から、ハイヤ踊りの桃の会もステージ出演に来てくれた。
昔からのご常連も続々に来てくれた。また、露店商の人たちも「あっ来とらしたなぁー」と言って、続々に挨拶に来て下さった。



有難いことである。最後には、KABの取材まであり、午後のニュースで流れたに違いない。



このイベントだけは私が行かないといけないと思っている。

  


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2023年03月28日

対岸の火事

♪令和5年は~春崔~い、桜~吹雪~けば情~も舞う~♪

3月1日、くしくも72歳の誕生日を迎えた。
世の中に何のご奉公も出来ず、このまま朽ち果ててしまうのかと、毎日自問自答している。
普通だったら、海彩館とか、ちゅうぼう隆とかで一席設けて祝うのだが、孫娘が熱を出したりして中止になった。
大吟醸を手酌で、一人寂しく祝杯を挙げた。




しばらくして、スマホから、吉田拓郎の唄が流れて来た。
♪越えて行けそこを~越えて行けそれを~今はまだ人生を~人生を語らず~♪
そうだねぇ~、もう少しだけゆるゆると生きて見るかァー。

3月6日、夕方七時過ぎ、サイレンが5回鳴り渡った。「アッこれは近火災だ。」と思った。すぐさま防災無線で「久玉町、明石の建物火災です。」とアナウンスが流れた。
ちょうど晩酌をしていた時で、外に見に行こうかどうしようかと迷っていた。どうしても野次馬根性が抑えられない。
するとそこに次男が帰って来た。「公志、ちょうどよかった。今明石が火事と放送があった。ちょっと表に出て見て来てくれ。対岸だから燃えているところが見えるはずだ!」と言って見に行ってもらった。



しばらくして戻って来た。
「警察の所まで行かなければ、見えなかったじゃないか!」と、怒られた。
腹は減っているのにと、悪いことをしたと反省。まもなくして、鎮火しましたと放送があった。まさに対岸の火事だが、火元の人は災難だったでしょう。

そんな中、孫娘が工場にやって来る。





この頃は保育園で熱ばかり出して工場に来る回数が減った。だけど、今は動画で送られて来るので、日常のことはだいたいわかる。







生後、1年と8ヶ月。まだ言葉こそしゃべらないが、たくましく育っている。

挫折の日々が続くが、唯一の希望の光だ。
次回、木山初市を乞うご期待。
  


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2023年03月18日

天草未来大橋開通記念

♪春は名のみ~ぞ風の寒さヨ~♪
ポカポカ陽気とまでは行かないが、周りの木々草花が芽を吹き出し始めた。いよいよ春本番だ。

2月はブログを書かなかった。気がのらなかったが正しいかも。
コロナも緩和され、少しずつイベントも開催され始めた。

2月5日、3年振りの天草マラソンが開催された。当店も、市民センターと競技場で二手に分かれて販売した。
今回はフルマラソンはなく、ハーフマラソンだけだったので、参加選手は少なかった。その分売り上げも少なかった。



2月11日、天草未来大橋の開通記念のイベントが本渡港で行われた。宝島物産公社から、天草物産協会会員に出店のオファーがあった。
そしたら、露天商の人たちから、「自分たちも出店させてくれ」ということで、出店が決まった。
歌や踊り、船団パレード、航空ショーなどの催しがあり、橋も歩いて渡ることが出来た。夜は花火大会もあった。







チラシの効果もあり、大勢の人で賑わった。



航空ショーはブルーインパルスなら見たいなァーと思っていたら、たったの二機だったのでガッカリした。



2月16日、河浦の天空の碁会所が使用できるようになった。ご常連が続々と集まって来た。久しぶりの再会を喜び、さっそく碁盤に向かっていた。



言葉はしゃべらなくとも、碁盤の上で会話をするのが、囲碁の面白いところでもある。



2月25日、26日はとれたて市場で、「天草未来大橋開通記念イベント」があった。我らハイヤ産直隊にも出店の依頼が来た。7業者全員出店した。
2日間とも風が強くて、寒くもあった。特に26日はテントが吹き飛ばされそうであった。旭志、五木村、植木の道の駅からも出店されていた。






旭志の道の駅は懐かしかった。約18年前、友人の紹介で、店内で店頭販売をさせてもらった。
それまでは、店頭販売とか、イベント出店の経験はなく、今の貝川蒲鉾店の原点となった。
旭志の支配人さんと、名刺を交換したら、当時店内で肉屋をしていらした人だった。向こうも知っておられた。近況を話し、近いうち営業で旭志に出て行くことを約束して別れた。



2月28日、防災無線で毎日のようにマイナンバーカードを作れ、作れと放送が流れてくる。絶対に作らないと思っていたけど、「20000円のポイントがもらえとぞ」嫁と息子が言う。しかも2月28日今日で終わりと言うじゃないか。
しぶしぶと、牛深支所に向かった。受付で「スミマセン、ナンマイダーカードを作りに来ました。」と大きな声で言ったら、男の職員が「フッ」と笑った。
「マイナンバーカードですね。」
  


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2023年01月28日

未成年者の就労

♪雪の降る夜は悲しいペチカー、ペチカ燃えろよ、お話しましょーー♪

毎日寒い日が続く、中国に「寒さを憂えう売炭工」という詩がある。
内容は「寒いのはいやだが、炭が売れる為には、もっと寒くなれ。もっと寒くなれ」と願っているのだそうだ。我ら蒲鉾工もその通りだ。
あっという間に、松の内も過ぎ、もう2月になろうとしている。1月の出来事を元旦から、書いてみようかなァ。

元旦、ツムギ達が我が家に新年の挨拶に来た。おとそを飲んで新年を祝った。
今年からはツムギもお年玉をもらって、一人前に食事もした。
その姿を見ていると、まご娘って本当に可愛いものである。



1月3日は、家族みんなで初詣に行った。10時半まで八幡宮に集合するように言った。
境内には、テントが設営されていて、その中でお守りとか破魔矢が売られていた。
テントの中は一段高くなっていた。するとピンク色のフードをかぶった女の子が、勢いよく小走りでテントの中に入っていったが、段差でつまづき、バタッと前のめりに倒れた。
「ワァー大丈夫かよ」と思って見ていたら、泣きもせずすぐ起き上がった。
境内には、雅楽の音楽が流れていた。それに合わせて、手を上げたり、ぐるぐる回ったりして、踊りだした。
「ハハハ、元気な子だなァー」と思ってよく見てみると、「ワァーツムギじゃないか!」ウサギのぬいぐるみを被っていたので、我がまご娘とは気づかなかった。


11時10分前に、神殿に入り、お祓いを受けた。
あんなにちょろちょろと動き回っていたツムギが神事が終わるまでじっと1人で座っていた。おりこうさんだった。



今年は家族写真は撮らなかったが、ツムギの写真だけだった。



1月7日、松の内が終わったが、正月から飲んだ酒が、林のようになっていた。「久保田」「八海山」の新潟の酒、大分の「日田祇園」は長島の義兄から、「大吟醸十勝」は北海道の知人から送られて来た。




それに「島美人の黒」。流石に8日目から3日間酒を飲まなかった。

1月6日から仕事始めだったが、無添加の蒲鉾が全種類欠品していた。
まだ出来ていない蒲鉾がある。人手が足りなので、フル操業である。そんな中、1人の助っ人が工場に現れた。
俺が印字で賞味期限を打っていると、蒲鉾をひとつひとつ取ってやるではないか。「ワァーお手伝いもしてくれるとォー」嬉しかったァー。もう可愛くて可愛くてたまらん。


1月24日から雪が積もるというので、3日間仕事を休みにした。
河浦の天空の碁会所も、11月の中旬からコロナで中止になった。だから行きつけの床屋さんの所に身を寄せてもらっている。
24日から28日まで碁ざんまいだった。



碁が白熱してくると、首に巻いていたタオルを、ハチマキがわりに頭に巻き、一進一退の攻防が続く。
すると、「オイ、貝川君、ハチマキは昼巻くもんじゃないんだヨ」と「え?じゃ、いつ巻くのですか?」
晩だなァ(バンダナ)。  


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2022年12月31日

「カウボーイの来店」

♪好きヨ~あなたーいまでも、いまでも~暦はもう少しで今年も終わりですネ~♪
とうと、暦が最後になるまでブログを書かなかった。
一昨年、30年近く働いて下さった従業員の方が辞められた。労働者不足で、私もふる活動で働かさざるをえなかった。
足腰は痛く、筋肉は衰え、昔のさっそうとしたケンちゃんの姿は、見る影もなかった。

11月26日、健軍商店街から、3年振りに『健軍健康フェアー』のイベントに出店依頼があった。そのイベントは、火を使用することが出来ないので、産直隊の中で、当店だけが出店した。



ステージのすぐ横に場所もとってくれて、役員の方々も売り上げに協力して下さった。嬉しかった。

12月3日,4日はあかね市があった。天気も良く客も多かった。
今年は強力な助っ人が、当店に来てくれた。『ツムギ』だ。「アァー色の白さァー」「ワアー可愛さー」と言って、次々と抱っこしてくれた。おかげで人が集まり、次々とカマボコを買っていってくれた。





人混みの中を歩いてさらいたり、白バイに乗ったりして、貴重な体験をしたに違いない。最後は接待疲れで眠ってしまった。




おかげで予想以上に売ることができた。有難うヨ、ツムギ!

12月15日,16日は年金日に合わせて、グリーントップで売出しがあった。餅とかミカンと一緒に入れて送ると言って、みんな買ってくださった。
この頃になると、在庫が欠品し始めた。ギフトが作れない。ふるさと納税のギフト、水光社のギフト、個人のギフト、みんな待ってもらった。
追い打ちをかけるように、人吉の相良村のイベントも17日になっていた。
仲間に売るカマボコが無いので、キャンセルできないかと掛け合ってもらった。
「チラシを打ってあるから、来てくれ」とのことだった。



「よし、みんなあるだけ売ってしまえ!何とかなるだろ。」結果はいつもの半分の売上だった。

そんな中、一本の電話が入る。小欄でおなじみのあのカウボーイからだった。11月に日本へ帰ってきて『うみそら』を開業しているとの事だった。
12月19日、当店に来てくれた。奥さんも一緒だった。2人とも元気でなによりだった。うちのカマボコを是非メニューに載せたいと言って、買ってくれた。



お土産にパンをもらった。ずっしりとした硬いパンだった。この頃、各方面から食パンを頂くことが多くなった。
パンもうまいけど、やっぱし日本人はご飯でしょう。
朝からはごはん!、昼もごはん!ごはんと言ったら「龍角散」

なんだかんだと言って、今年も無事終えることができた。
この12月は精神的にも肉体的にも大変だった。景気が一向に回復しない世の中が来年も続くのかと思うと、『憂鬱』になってくる。
それを払拭してくれるものは何かないかと考えてみたら、あった。それは酒である。
♪飲んで~飲んで~1人~飲んで~飲んで飲みつぶれてしまうまで飲んでーやあーがて、男は静かに眠るのでしょう~♪
皆さん良いお年を。  


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2022年11月02日

小春日和

山口百恵に『秋桜』という唄がある。いい唄だ。
♪こんな、小春日和の穏やかな日は、あなたのやさしさがしみて来る~♪

11月というのに、穏やかな日々が続いている。これからの人生もこう穏やかに過ごしていければいいのだが、そうはいかないのが人生である。

9月の初め、倉庫に発泡スチロールを取りに行った次男が、なかなか来ない。長男が見に行くが、長男も来ない。
「何をやっているんだろ?」と行ってみると、次男が苦痛な顔をして立っている。足を見ると、右足首が大きく腫れ上がっている。
「どうした?」と聞くと、倉庫の入り口の段差を降りる際、足をこねたらしい。
これはいかんと思い、長男の車で市民病院に急行した。レントゲンの結果は、骨は折れてないとのことだったので、安心した。が、3週間は安静にするようにとのことだった。病院から「労災は使いますか?」と言われたが、「捻挫くらいなら使わない」と答えた。「その代わり松葉杖を貸して下さい」と言って、借りてきた。痛々しそうな格好である。






9月8日まで仕事は休んだ。
10日過ぎたら、注文が増えてきて、在庫が無くなってきた。残っている者だけで仕事するようにした。
1週間くらい続いたところで、今度は従業員の方の義母が亡くなられた。「えーこのタイミングでかよー。」「まぁ仕方がない。いる者だけで頑張らなければ。」と気合を入れる。
3週間目になったので、次男が、市民病院の整形外科に行く日である。改めてレントゲンを撮ってみた。そしたら、「アッ、これは骨が折れている。」と外科の先生が他人事のように言う。ギブスは外れたが、「後2週間様子を見てみましょう。」との事。「オイオイ、骨が折れているなら話は別。労災を使わせてもらうぜ!」
翌日、商工会議所に行き、労災の手続きをした。
「痛い目に遭ったんだ、せめて休業補償くらいしてやらないと可哀想だ。」
すると、今度は長男が、足が痛いと言い出した。
病院に行ってくると言って、仕事をやめて出て行った。結果は痛風だった。「あー、やんぬるかな」
幸い、3日目には仕事に復帰できたが、散々な9月だった。

10月1日から、次男も従業員の方も職場に帰って来た。やっと仕事ができた。だが、一難去ってまた一難。
9月はほとんど仕事にならなかったから、10月の支払いが待っている。
金策を練るが、銀行も目一杯。夜も寝れない。長島の義兄の所へ相談に行く。すると首を縦に振ってくれた。有難かったァ。
帰りのフェリーの時間が少しあったので、唐隈灯台を見たいと言ったら、連れて行ってくれた。
正式名称は『長崎鼻灯台』というらしい。
観光地にするらしく、ちょうど工事をしていて、灯台の所までは行けなかった。



こちらの気持ちとは裏腹に、穏やかな小春日和だった。

10月23日、例年より少し遅めだが、ボラが運ばれて来た。当店の秋の風物詩である。




これが来ると年末にかけての臨戦態勢に入る。
今月から、牛乳やチーズなどの乳製品が値上がりするらしい。
紙パックの牛乳は毎日飲んでいるが、近頃ビンに入ったビン牛乳はあまり見かけなくなった。
高校生の頃、牛乳配達のアルバイトをしていた時があった。とは言っても、友達が旅行とか病気とかで休まざるを得なかった時だけ、代理で配達していた。終わったら、牛乳を1,2本分けてもらっていた。それが楽しみでネー。
昔は、駅とかバスターミナル、フェリーの待合室の売店には、ビン入りの牛乳が並んでいた。なぜか片手を腰にあて、一気に飲み干す人を見たものである。
駅の売店で牛乳を飲んだ男が言う、「この牛乳なんだか水っぽいね。」
店番の女性が言い返す、「たぶん水牛のでしょう。」  


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2022年09月20日

台風一過と女王陛下の国葬

先日、台風14号が九州に上陸した。
テレビでは、天草を中心に北上するという、しかも、今までに経験したことのない大型台風というじゃないか。
「ウワァー、今度は直撃だ、まぬがれないネ」
工場も早めに片付け、準備は整った。
「サァー、どっからでもかかってこんかい!」

18日(日曜日)は床屋さんも休みだった。する事がないのでTELした。「今日は絶好の碁打ち日和ですけど、一局お手合わせ願いたい。」と、すると、「いつでもどうぞ。」と快諾された。
午前9時半だった。二局打って、お昼になったので、お開きになった。昼過ぎたら、雨はそう降らないかったが、風が少し強く吹き出した。
駐車場から、自宅まで少し遠いので、風が強くならないうちに自宅に帰り、午後は家で過ごすことにした。正月以来だ。
8時頃から、風も強くなり、いよいよ本番だ。
今まで経験したことのない台風を経験できるとあって、胸がワクワクして来たが、テレビがあまり面白いのがなく、10時に寝てしまっていた。
翌朝4時に目覚めた。静かだった。
しまった。もう台風は福岡の方に中心は移っていた。
せっかくの100年に1度の台風を経験できなかった。

19日朝、工場の被害を見に行った。車を運転中に工場が見えて来た。煙突を見ると無事だった。いつもそれだけが心配だ。後はみんな無事で、これといった被害も見つからなかったが、友情の柿の木がやられていた。




今年は30個以上の柿がなっていた。それが、先週と今週の台風で半分は落ちてしまった。2,3ヶはカラスにやられた。せっかく楽しみしていたのにィー
夕方、晩酌していると、エリザベス女王の葬儀が映し出された。







すごい、映画の1シーンかと思われる位荘厳さで、二度とこういう国葬は見られないと思う。
軍服の色合いと姿がかっこいい。台風も過ぎた。女王も「風と共に去りぬ」か

そういえば、我が家にも小さな女王が居たな。
この頃は、外歩きが多くなった。白い靴が似合う、ヨチヨチ歩きのペンギンみたいだけど、歩くとピョコピョコと音がする。
1歳1ヵ月でこんなに歩くかなァー。お菓子も食べるし、ジュースも飲む、声も大きし、踊りまで踊る。見てるだけで楽しい。






そうそう、この前、久々にツムギの歌を聞いた。「へーそんな歌あるの?」「50年前の曲だけど、歌ってもいいかい?」「大丈夫かい。誰が唄っているの?」
「ワイルドワンズ」
「君を見つけた~この渚に1人たたずみ、思い出す~ツムギ色した可愛いほほ~忘れはしない~いつまあでも~」
「アア~、聞かなければ良かった。」
26日には運動会があるという。どんな走りを見せてくれるのやら、今から楽しみである。
  


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