2018年11月22日

結婚と二人の奴隷

この時期になるとススキの穂が白くたなびく。夜になると工場の窓ガラスにロッキー店の外灯に照らされ風に揺れて映る様子は、映画のスクリーンのようだ。





そんな中、先週土曜日、マブダチの所に1ヵ月ぶりに杯をかたむけに行った。




彼は奥さんを亡くされ、今は独り身だが、家に入ると、ゴミ一つ落ちてない。「炊事、洗濯、掃除、みんな自分でしまいばなー、あんたは良かなー」と身につまされる思いだが、その労をねぎらうことも私は忘れない。

先月シルバーマークになられたが、今も現役で仕事に行かれてる。囲碁を愛し、酒を友とし、これからも交友は続くだろう。


先般、天皇、皇后、両陛下による最後の園遊会が行われた。




国民の象徴でもあり、夫婦の模範として、国民から絶大な尊敬のまなざしを受けておられた。
そして今日、津川雅彦、朝丘雪路の合同告別式が行われた。芸能界きってのおしどり夫婦という。

窪田空穂に老境の夫婦を詠んだ歌がある。
「老ふたり 互に空気と なり合ひて 有るには忘れ 無きを思はず」
静かな日溜りにもにも似た境涯だが、難しいのは空気になり合うまでだろう。

「結婚」を以下のように定義したのは、A・ピアスである。
「共同生活体の1つの場合で、1人の主人と1人の主婦と二人の奴隷とから成り、それでいて全部合わせて二人にしかならない状態」(悪魔の辞典)
空気になり合うのと、奴隷になり合うのでは、正反対に見えて実は照明の当て方ひとつ共に結婚という一面を言い当てていよう。
二やっとするご同輩もおられよう。


石原裕次郎の唄「赤いハンカチ」の一節にある、「死ぬ気になれば、二人共、かすみのかなたに行かれたものを」と、
空気とか、霞とか、凡人には目には見えない。

落語のくすぐりに「音はするけど、姿は見えぬ。まるであなたは、屁のような」我々は空気とか霞のような存在までは高みを極められない。屁のような夫婦である。
屁のような夫婦で結構!人生観が漂う夫婦であれば。

皇后さまが一言、「陛下!」



Posted by 貝川蒲鉾店  at 00:18 │Comments(0)

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。